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"使えない"が人に対して表現されるの嫌だ。 もっと優しいのがいいな。

こんにちは、すがどんです。

インターネットやテレビでたまに見る、人に対する"使えない"という表現。僕はモヤっとしてしまいます。

あなたもどこかで聞いたことがある表現なのではないでしょうか。

自分が影ででも直接ででも"使えない"と人から言われたら、うーん、とても悲しくて傷ついてしまいますね。

何か能力が足りないことは仕方が無い。もしかしたら環境が合っていなくて自分の能力が発揮できていないということもあるかもしれない。

そのことについては認めて環境を変えるなどして、より幸せな方向に向かっていけば良いと思います。

一方で、パフォーマンスが悪いことに対して"使えない"と表現するのは、表現としてどうなんだろうと思うんです。

「使えない」ってものに対しての言葉だと思うから。

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・鍋を使いすぎて穴が開いたから使えない。

・鍵が曲がってしまって使えない。

・電球が切れてしまって使えない。

"使えない"は、本来はものに対するこのような表現だったのではないでしょうか。

本来使えないものに対する表現を人に対して使うことで、使えないもののように能力がないというニュアンスが込められています。

でも、人にはものにない心がある。

その人にしかない心が無視された表現だからこそ、違和感を感じるのだと思います。

何か変えてほしい態度や行動があるのなら、それを客観的にフィードバックしてあげればいい。

それを"使えない"という表現で伝える必要はない。"使えない"という表現だからこそ傷つく心が人間にはあります。

それから"センスない"という表現も気になります。下記記事でも書いています。

スポーツでも「使う」って表現されるのを疑問に思う。

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スポーツでもよく、

監督さんが、"○○(名前)"を使ってペースを変えようと思いました。

とか

選手が、"監督に使ってもらえるように良い準備したいと思います。"

とか発言しているインタビューを見かけます。

その表現を"起用する"っていう表現に変えるわけにはいかないでしょうか。

"使う"のほうがカジュアルな感じがするんでしょうか。

"使う"という表現だと主従関係を感じてしまいます。監督が主で選手が従で。

でも、監督も選手もチームの中での役割のひとつでしかないと思うんです。

もっと言えば 、監督はチームの状況を外から把握してチームを指揮する役割。キャプテンは選手の立場としてチームをまとめてリードする役割。副キャプテンはキャプテンがいないときに代わりにキャプテンの役割を担い、キャプテンをサポートする役割。

こんな感じで一つのチームの中で役割が分かれていて、それぞれの役割に優劣も無いし、ただ淡々とそれぞれの役割がフラットに存在しているだけだと思うんです。

だからこそ、主従関係を想起させるような"使う"という表現をやめていくのが良いのではないかと思っています。

無意識に"あいつ"を見下していませんか

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人に対して使えないと表現する方は、どこかで、その"あいつ"より自分は上なんだと思っているのではないでしょうか。

確かにいまあいつが担っている担当や役割においては能力が足りていなかったりするかもしれない。

そのことについては担当や役割を変えることで、あいつのパフォーマンスがよくなる可能性もあると思うんです。

だから、あいつの一側面を見ただけで"使えない"という冷たい言葉で一刀両断しないでいくのはどうでしょうと提案したいと思います。

あいつにも色んな可能性があると思うんてす。あいつにもあなたが持っていない才能や能力があるかもしれないと思うんです。

その見下している人が知らないところで、あいつはすごい能力や才能を持っていると評価されて、大切な存在なのかもしれません。

自分とその周りにいる人の差なんてたかが知れています。見下すほどの差なんてないと思うんです。

人には得手不得手があって、その不得手の部分が目立っているからといって、"使えない"とバッサリ表現する必要はありません。

でももし、日々使えないという表現を使われて苦しくてしょうがないなら逃げるのも全然ありだと思っています。下記記事でも書いています。

適材適所が完璧に行われている組織やチームは無いと思いますが、それぞれの人が持っている能力や才能が発揮されやすい環境やポジションに配置されて、それぞれが最高のパフォーマンスをしていったら、素敵な社会になるのではないかと思います。

P.S. 本記事の便宜上"あいつ"と表現していますが、僕は見下した感じの"あいつ"という表現も好きじゃありません。笑

おわりに

今回は、人に対して"使えない"と表現するのはみんなでやめませんかー、という提案でした。

学校・会社・チーム、色んなところで明日からやめようとしたら明日からやめられることです。

"使えない"という表現をやめることで、少しでもギスギスした雰囲気が無くなって優しい社会になったらいいなと思います。

もし、"使えない"と言われて傷ついてしまっている人がいるのなら、気にする必要は全くないと伝えたい。

そう言われてしまった原因がわかるのなら、改善できることは改善すればいいし、逃げて環境を変えたって良いと思うんです。

みんなが、自分が持っている能力や才能をいかんなく発揮して、"使えない"という表現が人に対して用いられない社会になったら良いなと思います。

そこに貢献できるように、僕はこれからもコーチングや情報発信を行っていきたいと思います。

それではー

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