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ちょうど1年前の今日、生まれた息子

その数日間どんより重かったお腹が、朝起きると同時にしくしく痛み始めた。これが陣痛かな、と思うものの、痛みがなかなか規則的にならない。初産婦が病院に行く目安は、定期的な痛みが10分間隔になってからだという。5~15分間隔のばらばらとした痛みがしばらく続いて、いよいよだなと思った。

もしこのまま入院するなら、お風呂に入っておきたい。昨日の夜にももちろん入ったけど、出産はどれくらいかかるかわからないし、なんか、念のためもう一回。迅速にお湯を溜めて入浴したら、急に痛みが強くなった。やばい、4~10分間隔になってる。いま思えば、温まってリラックスしたせいで、お産が進んだんだと思う。お風呂好きでよかった。朝8時から陣痛が始まったので、夫もスムーズに仕事を休めて、最初からずっと付き添ってもらえた。

病院に行ったのが11時半頃。内診をしてもらうと、子宮口はすでに4センチまで開いていた。妊娠経過が順調だったので、医師に頼らず、助産師の介助だけで産めるという。分娩室ではなくマットレスの上で、自由に過ごせるプランだった。特に何のこだわりもなかったけれど、それはそれで気楽そうだから、うれしい。

楽な体勢を探してしばらく試行錯誤したものの、とにかく脱力して静かに呼吸するのが一番マシ。初めは夫に腰を押してもらっていたけれど、途中からはただただ力を抜いて、あおむけに転がっていた。細く長く、静かに呼吸をしていても、定期的に腰に広がる不快感。痛みの波がくるたびに汗が噴き出て、髪がぺったりと顔に張りつく。夫はその髪の毛を耳にかけてくれたり、うちわで仰いでくれた。あとから「あのとき汗を拭いてくれればよかったのに」って思ったけど、お互いそれなりに動転していたのか、そこまで気が回らなかった。

初産は、子宮口が10センチの全開になるまでが長い、という。全開になるまでいきめないから、いきみたくなるのを我慢するのがつらいらしい。病院到着時には4センチだったけれど、それからは一切状況を聞かされぬまま、3時間が経った。ずっと付いていてくれた助産師さんが、別の助産師さんと会話をしている。

「どう?」「赤ちゃんが上のほうにいて降りてきてないので、まだちょっとかかりそうです」「子宮口は?」「14時頃に全開してます」

……全開してた! 知らないあいだに!! 教えてよー!!! もちろん、そんなツッコミをする体力はない。

どうやら、私の体は準備OKだけど、赤ちゃんがまだ少し奥のほうにいる様子。少しでも降りてきやすいように、あおむけから横向きに体勢を変えたとたん、下腹部の圧迫感が倍増した。ここまでほとんど無言で耐えていたのに、思わず悲鳴が出る。いままでの人生で出したことのない、そして、よく分娩ドキュメントとかで見るタイプのうめき声が、自然と漏れた。

15時すぎ、お腹につけていたモニターが突然けたたましく鳴った。すると、どこからか大勢の助産師さんが現れて私を取り囲み、なにやら慌てた空気。痛みに朦朧としながら「あれ? 私やばい?」と思っていると、すばやく酸素マスクが取りつけられた。

「赤ちゃんの心拍が一瞬弱くなりました。なので、最後までこの部屋で自由に産んでほしかったけれど、万が一のことを考えて、分娩室に移動しますね」

移動の準備が始まり、手を握ってくれていた夫を見ると、とても不安げな顔。出産中の一番印象的な場面を聞かれたら、この表情のような気がする。彼の優しさをしみじみ感じて、私は不安をおぼえずに済んだ。

そして分娩室に移動したのが15:35。いままでいた陣痛室とは違って照明も明るく、いわゆる病院らしい雰囲気の部屋だった。だけど、早くも疲れてきていた私にとっては、ちょうどいい気分転換に。薄い意識で壁時計をチラ見しつつ「もうしんどいから16時目標でいこう」と思ったのを、覚えている。

鼻で大きく吸って、細く長く口から吐く呼吸を、もう何十回続けただろうか。痛みの感覚はかなり短くなっていたけれど、痛みの引いている時間はなんだかとても眠くて、すっと意識が遠のく。必死で痛みをのがし、痛くないあいだは短く眠り、また痛みで目が覚めて……の繰り返し。ほんの1、2分を眠れたのは、少しでも体を休めようという本能だと思う。分娩台に寄り添っている夫は「(……寝てる? いや、まさか寝れるわけないよね?)」と困惑していたらしい。そのまさかでした。

助産師さんたちが何人か、分娩台の足元に集まって「なんかが引っかかってる…」「骨盤が細い?」などとひそひそ。聞こえてるよ!! 小声でやられると不安になるので、はっきり言ってほしいと思いつつ、もちろんつっこむ体力はない。とはいえ、赤ちゃんがようやく降りてきたらしく、いきみの指示が出た。

「強い痛みがきたらまずは息を吐ききって、もう一度大きく吸い、おへそのほうをしっかり見ながらいきんでください」

長期戦では絶対に体力がもたないから、少しでも早く決着をつけたい。早く産みたい一心で、助産師さんの指示を忠実に遂行する私。

あとで助産師さんが言うには、このときはまだ赤ちゃんが5センチくらい奥にいたものの、ここからぐいぐいとお産が進み、以降はとてもスムーズだった、とのこと。分娩中もかなり褒めてもらったけれど、励ますために誰にでも言ってるんだろうなと思っていたら、退院間際にも「本当にいきみがうまくて、ラスト1時間はまるで教科書のような進行だった」と言っていただいた。せっかくだから日常でも何かの役に立つ機会があればいいのだけど、おそらくなさそうです。

しかし分娩とは、いきんでも痛いし、いきまなくても痛い。もはや数秒ごとに痛みの波がやってくる。何度目かのいきみで、急に何かが弾けるような感覚があり、破水。酸素マスクのゴムがゆるくて動くたびに外れ、HPを削られながら自分たちで何度も直した(こんなことばっかり覚えてる)。

「とっても上手です! もうちょっとですよ~。少し休憩して力を蓄えて、次の痛みが強いときに力一杯いきましょう」

ちらりと夫の顔を見ると

「もうちょっとですよ」

と、助産師さんの言葉を繰り返す。うん、それ私にも聞こえてたよ。

こんなときでも通常運転の夫がなんだか面白くて、私もちょっと我に返り、いつものトーンで「……もう無理です(笑)」と答える。分娩台を囲むみんなでちょっと笑いました。ほがらかなお産。

いよいよあと少し感が出てきた頃、お医者さんがやってきた。産道を広げるために麻酔なしで会陰を切る、というのはよく聞く話。でも、分娩の痛みに紛れて、会陰切開の痛みはあまり感じないという人が多く、私もそれを期待していた。お医者さんはハサミを構えて、すぐさまためらいなく パチン !!!

「いっっった!!!!」

まるで効果音のようにわかりやすい「パチン!」が聞こえると同時に、いままでとは全然違った潔い痛みが走り、反射的に声が出た。お産を頑張っている母の悲鳴ではなく、足の小指をタンスにぶつけたり、紙で指を切ったり、そういう日常的なリアクションの声。あとから夫に「こういう場面でも素の声が出るんだと思った」と言われたし、自分でもそう思った。お産で一番痛かったのは、間違いなくこの瞬間でした。次点は、赤ちゃんの頭が引っかかったまま、次の陣痛の波を待っているときかな……。

そして17時ちょうど。頭が引っかかったまま何度かいきんだあとに「はい、力を抜いていいですよ~」と言われ、ずるりと引っ張られて出てきたのが、息子でした。3458g、51.5cm。

直後は、夫と一緒になんだか呆然……そののちお互いに笑顔がこみあげて、分娩台で横になったままハイタッチ。ドナルドダックのような産声をあげた息子は、なんだか思っていたより大きくて、力強い。たったいま確かに自分で産んだのに、とても私のお腹から出てきたとは思えない存在感で、不思議な気持ちになりました。

分娩の担当助産師さんが、退院するときにこんなことを言ってくれた。

「お産の間じゅう、旦那さんが一生懸命支えようとしているのが伝わってきたし、お二人がとても信頼しあっているのがわかりました。『二人で産んだ』という一体感がすごくある、素敵なお産でした」

土日祝日と深夜は追加料金がかかるので、できれば平日の昼間に産まれてきてほしいと思っていたら、水曜9時に始まって17時に終わった。公務員のようなお産でもありました。

そんな2016年3月16日から丸一年。とても楽しくて、不思議な一年でした。お誕生日おめでとう。元気に育ってくれて何より。これからもよろしくね。

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