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“妊娠”係の私と、それ以外を引き取ってくれた夫

妊娠している約8ヵ月の間、夫から何度も「妊娠おつかれさまです」と言われた。

最初に補足しておくと、彼は大学時代のサークルの後輩。だから、付き合ったあともずいぶん長いあいだ敬語を使われていたし、なんなら完全にタメ口になったのは結婚してからだと思う。

という背景もあって、冒頭の言葉。感じ方はひとそれぞれだと思うけど、私は彼のこの台詞が好きだった。

たとえば一本の記事をつくるときにも、さまざまな役割がある。写真を撮るひと、撮られるひと、デザインをするひと、文章を書くひと、編集するひと、校正するひと……私はライターだから、だいたい書いたり編集したりを担う。

つまり、それと同じこと。

彼と“夫婦の暮らし”をつくっていくなかで、私はそのとき“妊娠”という役割を担当していた。私は、私にしかできない妊娠係を務める。だから、その労をねぎらって言う彼の「おつかれさま」は、すごくしっくりきた。

そして、私が妊娠という大きな仕事を担当したもんだから、彼はほかのさまざまを担ってくれた。お腹が大きくなってからの私は、一度も浴槽を洗っていないし、買い物袋を持っていない。うっかり何かを落としたら、部屋の反対側から拾いに来てくれたこともある。身体がきしみ始めた後期は、毎晩欠かさずマッサージをしてくれた。どうあがいても妊娠は分担できないから、彼はほかのすべてを分かち合ったり、引き取ろうとしてくれたのだ。

そもそも、8ヵ月もの長い間、家にいつも体調が優れないひとがいるなんてストレスだと思う。自分がしんどいのを我慢するより、つらそうなひとを気遣い続けるほうが、ずっと気疲れする。

もうひとつ、私がとても助かったのは、彼とテンションが同じだったこと。

たとえば、臨月が近くなると、いろんなひとによく「早く産まれてきてほしいでしょう」と言われた。でも、私たちは一度もそう感じたことがない。しいて言えば「ときがきたら会おう、我が子よ」という感じ。ぎりぎりまで働いていたのもあって「ときが来るまでは三者三様、それぞれの持ち場で頑張ろうではないか」という話を、夫とときどきした。私と彼は仕事と暮らしを、子どもはお腹のなかで、成長を。ときをゆっくり待ったおかげか、子どもは予定日の前日に、なかなか大きく産まれてきてくれた。

小さなことから大きなことまで、夫婦でテンションが違っていたら、結構しんどかったと思う。産前産後も仕事を続けるし、自分のことも諦めないと決めてから、私自身はふっきれたけれど、周りと温度差を感じる場面は少なくなかった。これはもう誰ともわかりあえないのかもしれないな、と思ったりもした。それでも気楽にいられたのは、彼とはズレがなかったから。理解者が家にいるんだし、あとはとりあえずゆっくりやっていこう、と思えた。

私の母親は四柱推命の鑑定士で、彼とは「ビジネスパートナーとして相性がいい」と言われたことがあるのだけれど。妊娠してから、つくづくそれを実感している。彼はそのときどきで私に必要なことを、淡々としてくれた。温度差もない。彼となら、何かいいものをつくっていけそうな気がする。

Photo: 妊娠6ヵ月。なんかもう大人みたいにしっかりして見える3Dエコー

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