マガジンのカバー画像

変かなわたし

573
運営しているクリエイター

2019年2月の記事一覧

ただ在る様に

色とりどりの花が咲き始めました。

花達の持つ色や香りは独特で
それぞれ個性の違う要素を放っています。

アロマオイルを始めてみると
その中に 「これは痛みを感じる時にぴったりだ」
「これは肩こりに」
「これは傷口に」・・・
と云った自分に今ぴったりだと感じる、
何か引き合う 色や香りがあります。

スパイスや生薬と言われるものを含め
ありとあらゆる植物や動物達も
今そこにいる、今ここに在る、

もっとみる

意識の向こう

毎朝、私は何故目を覚まし起き上がって行くのだろう。
私が居る事、居ない事に どんな意味があるのだろう。

意識は眠ると肉体を離れ
空間と思える超微細な意識体の中に吸い込まれるように上昇し
そこでは現実である幻を、見て帰って来るのかな
と 思っているのです。

その時々の意識の質量の違いによって
浮上する段階や世界は違っていて
いずれも、いずこも 様々な幻想を繰り返していて
その中の一つの場面に、今

もっとみる

瞬間

どんな文字も言葉も、機が熟さなければ腑には落ちないのだ。
と思えています。

これまでなぞって来た星座の意味も
生命の歴史も、人生と云う道のりも

それぞれの時や場面の持つ意味も
総てが自分に反映し、
得心が行き始める時があります。

結局この言葉に帰り着くため
遠回りして「自分」を探し求め
とぼとぼと頼りなく歩き続けて来たのに

単なる一般論的な表現ではなく、
最大公倍数的な、誰にも通じる様な

もっとみる

水仙

水仙が揺れています。
花屋さんの店先には、桜の枝に花開く
薄桃色の花びらが恥ずかしそうに風に吹かれていたりします。

もう春なんだな と、
冬 厳しかったな と
空を見上げると
今日は青い空に光が溢れています。

生命は、宇宙は
止まる事なく循環し続けてるのだな と思い出します。

直面している事にばかり気を取られていると大局を忘れてしまいます。
宇宙の循環に意識が飛んでしまうと現実と言われるもの

もっとみる

前を向いて

「回復」とは、それまでの症状とうまく付き合い、普段通りの生活を送れている事が
その人にとっての「回復」と云うのだそうです。

私も「症状」とされる泥沼状態の中に居た感覚を、
もう過ぎ去った過去のものだと、頭の中で思っていても
数々の後遺症として残っている感覚を、どうにも打ち消せない。
まだ囚われている感から、逃れる事が出来ないでいました。

でも考えてみると、そうなのかも知れない

全く「何もなか

もっとみる

奇跡の人達

久しぶりにお日様の当たる窓辺で、
朝からごろごろとしています。

うつらうつらしてみたり、空を見て流れていく雲を
ぼーっと見ているだけの時間も久しぶりです。

いつもいろんな考えが頭の中を巡り、
なかなか手足を休めることも出来ず、
心も体も疲れ切ってしまうまで
止まる事が出来なかった。

止まる事が怖かった。
止まった自分を想像できなかった。

悟空もこんな風にエネルギー溶液のカプセルの中に入って

もっとみる

充電

映画館に入ったまま、思わず2回3回と見てしまう映画があります。
スクリーンから離れる事が出来ず、
映画館から出て来た時は、もう目が真っ赤だったり
異世界から帰って来た様に、現実世界に戸惑ったりしてしまいます。

そんな作品に出会って心が震え揺り動かされて、
普段降り積もった汚れや垢が
振り落とされ、浄化された様な気持ちになるのは幸せです。

そんな私を見て呆気にとられ、何時までも子供の様に夢うつつ

もっとみる

生きてれば

「生きていれば落ち込むこともあるわ
状況を好転できると思ったら、ぜひ努力すべきです。」

「がっかりして あきらめてしまうと言う選択もあるけれど、
失敗から学び、未来を信じて希望を持ち続け、
前を向いて歩んでいくと言う選択もあるのよ。」

と ターシャは言います。

「今は大胆不敵ですけど、昔は私も、自信の無い子供でした。」
と言うターシャは
自分のことを同じ人間、現実の自分は
やはり同じように、

もっとみる

吹雪の中で

雪が積もります。

綺麗だとか喜べている内は、
降り積もる雪の日も、好きな日、季節でいられます。

けれど何日も雪に閉ざされ、外に出ることもままならない
暖をとる事も満足にできる状態ではなくなって来ると

凍死したり、帰る家の無い人達の話を耳にする度に
人事ではない身に迫るものを感じてしまいます。

そしてそんな極寒や吹雪の中を
救援、救護、その他の対策作業に走り回っている人達のいることを思うと

もっとみる

今必要な

犬や猫、或いは他の動物達から助られる
癒される、感動させられる。
そんな場面を、瞬間を
もらう事が多くなりまし。

TVを通じ今ほど番組自体も、視聴者も
増えていく様な時は無かったのかも
と思います。

それ程人同士は疎遠であり、
離れて行って孤立感が増しているのかも知れません。

お互いに言葉で傷つけあう事の無い
無条件に信頼し寄り添っていてくれる誰かを
いつも探し何よりも必要としているのかも知

もっとみる

未来への向かい方

好奇心から何かを始める。

興味本位で何かを始める。

何かに挑戦すると意図的に
意識して始める。

其れは多少の違い。
そして大きな違いにも変わっていく。

そんな気がしてきています。

意識して挑戦する。
明確な意図を持って挑戦してみる。

感覚的に、言葉の持つエネルギーは
私の場合確かに違う感じがします。

好奇心からだと、広くではあるかも知れないけれど
何か浅くて、表面のみをなぞっただけで

もっとみる

発信

同じような発想から出発しても、
人それぞれの展開の仕方で、その後に広がる世界は
驚くほど異なってきます。

生れ育った環境から、その人格を築き上げて来た
その価値観や時の動き、出会う全てのものの違いから
全く違うその人のみの表現の仕方が生まれて来ます。

それによってある人は桧舞台の見世物に祭り上げられ、
ある人はひっそりと路地裏の日陰者で終わってしまうこともあるのです。

それを悲しいと、淡々と

もっとみる

生き方を・・・

「生き方は変えられる」と、日野原さんは言います。

「生き方」って何でしょう。

そもそも生きるって何でしょう。

目覚めて、食べて排泄して眠る。
シュタイナー的に言えば、
その循環を生きると言うのでしょうか。

感覚感情を含め、入れ替わりたえず変化し続ける
その循環を「生きる」と云うのなら

「生き方」と云うのは、その循環の仕方を意識して
自ら決めて行くという事でしょうか。

そうであれば循環の

もっとみる

生き様 死に様

「死に様は生き様」とは、よく聞く言葉です。

どう生きたかによって死に様も変わってくる。

「よく生きた」と云うのはどういう事でしょうか。

生きることに執着しない、生きることに捕らわれない
そうであれば、死ぬことにも捕らわれない、
死に絶えず怯え不安を感じ、死の恐怖に貼り付いていることもない。
と云うことでしょうか。

自分の死に場面がわからない。
判るとかえって悲惨かもしれない
安心どころか受

もっとみる