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sugashi-kararine
2019年2月26日 09:11
色とりどりの花が咲き始めました。花達の持つ色や香りは独特でそれぞれ個性の違う要素を放っています。アロマオイルを始めてみるとその中に 「これは痛みを感じる時にぴったりだ」「これは肩こりに」「これは傷口に」・・・と云った自分に今ぴったりだと感じる、何か引き合う 色や香りがあります。スパイスや生薬と言われるものを含めありとあらゆる植物や動物達も今そこにいる、今ここに在る、そ
2019年2月24日 09:04
毎朝、私は何故目を覚まし起き上がって行くのだろう。私が居る事、居ない事に どんな意味があるのだろう。意識は眠ると肉体を離れ空間と思える超微細な意識体の中に吸い込まれるように上昇しそこでは現実である幻を、見て帰って来るのかなと 思っているのです。その時々の意識の質量の違いによって浮上する段階や世界は違っていていずれも、いずこも 様々な幻想を繰り返していてその中の一つの場面に、今
2019年2月22日 18:18
どんな文字も言葉も、機が熟さなければ腑には落ちないのだ。と思えています。これまでなぞって来た星座の意味も生命の歴史も、人生と云う道のりもそれぞれの時や場面の持つ意味も総てが自分に反映し、得心が行き始める時があります。結局この言葉に帰り着くため遠回りして「自分」を探し求めとぼとぼと頼りなく歩き続けて来たのに単なる一般論的な表現ではなく、最大公倍数的な、誰にも通じる様な
2019年2月18日 09:37
水仙が揺れています。花屋さんの店先には、桜の枝に花開く薄桃色の花びらが恥ずかしそうに風に吹かれていたりします。もう春なんだな と、冬 厳しかったな と空を見上げると今日は青い空に光が溢れています。生命は、宇宙は止まる事なく循環し続けてるのだな と思い出します。直面している事にばかり気を取られていると大局を忘れてしまいます。宇宙の循環に意識が飛んでしまうと現実と言われるもの
2019年2月17日 09:51
「回復」とは、それまでの症状とうまく付き合い、普段通りの生活を送れている事がその人にとっての「回復」と云うのだそうです。私も「症状」とされる泥沼状態の中に居た感覚を、もう過ぎ去った過去のものだと、頭の中で思っていても数々の後遺症として残っている感覚を、どうにも打ち消せない。まだ囚われている感から、逃れる事が出来ないでいました。でも考えてみると、そうなのかも知れない全く「何もなか
2019年2月16日 09:36
久しぶりにお日様の当たる窓辺で、朝からごろごろとしています。うつらうつらしてみたり、空を見て流れていく雲をぼーっと見ているだけの時間も久しぶりです。いつもいろんな考えが頭の中を巡り、なかなか手足を休めることも出来ず、心も体も疲れ切ってしまうまで止まる事が出来なかった。止まる事が怖かった。止まった自分を想像できなかった。悟空もこんな風にエネルギー溶液のカプセルの中に入って
2019年2月15日 15:27
映画館に入ったまま、思わず2回3回と見てしまう映画があります。スクリーンから離れる事が出来ず、映画館から出て来た時は、もう目が真っ赤だったり異世界から帰って来た様に、現実世界に戸惑ったりしてしまいます。そんな作品に出会って心が震え揺り動かされて、普段降り積もった汚れや垢が振り落とされ、浄化された様な気持ちになるのは幸せです。そんな私を見て呆気にとられ、何時までも子供の様に夢うつつ
2019年2月13日 09:13
「生きていれば落ち込むこともあるわ状況を好転できると思ったら、ぜひ努力すべきです。」「がっかりして あきらめてしまうと言う選択もあるけれど、失敗から学び、未来を信じて希望を持ち続け、前を向いて歩んでいくと言う選択もあるのよ。」と ターシャは言います。「今は大胆不敵ですけど、昔は私も、自信の無い子供でした。」と言うターシャは自分のことを同じ人間、現実の自分はやはり同じように、
2019年2月12日 13:56
雪が積もります。綺麗だとか喜べている内は、降り積もる雪の日も、好きな日、季節でいられます。けれど何日も雪に閉ざされ、外に出ることもままならない暖をとる事も満足にできる状態ではなくなって来ると凍死したり、帰る家の無い人達の話を耳にする度に人事ではない身に迫るものを感じてしまいます。そしてそんな極寒や吹雪の中を救援、救護、その他の対策作業に走り回っている人達のいることを思うと
2019年2月9日 10:37
犬や猫、或いは他の動物達から助られる癒される、感動させられる。そんな場面を、瞬間をもらう事が多くなりまし。TVを通じ今ほど番組自体も、視聴者も増えていく様な時は無かったのかもと思います。それ程人同士は疎遠であり、離れて行って孤立感が増しているのかも知れません。お互いに言葉で傷つけあう事の無い無条件に信頼し寄り添っていてくれる誰かをいつも探し何よりも必要としているのかも知
2019年2月7日 09:01
好奇心から何かを始める。興味本位で何かを始める。何かに挑戦すると意図的に意識して始める。其れは多少の違い。そして大きな違いにも変わっていく。そんな気がしてきています。意識して挑戦する。明確な意図を持って挑戦してみる。感覚的に、言葉の持つエネルギーは私の場合確かに違う感じがします。好奇心からだと、広くではあるかも知れないけれど何か浅くて、表面のみをなぞっただけで
2019年2月4日 15:14
同じような発想から出発しても、人それぞれの展開の仕方で、その後に広がる世界は驚くほど異なってきます。生れ育った環境から、その人格を築き上げて来たその価値観や時の動き、出会う全てのものの違いから全く違うその人のみの表現の仕方が生まれて来ます。それによってある人は桧舞台の見世物に祭り上げられ、ある人はひっそりと路地裏の日陰者で終わってしまうこともあるのです。それを悲しいと、淡々と
2019年2月3日 11:29
「生き方は変えられる」と、日野原さんは言います。「生き方」って何でしょう。そもそも生きるって何でしょう。目覚めて、食べて排泄して眠る。シュタイナー的に言えば、その循環を生きると言うのでしょうか。感覚感情を含め、入れ替わりたえず変化し続けるその循環を「生きる」と云うのなら「生き方」と云うのは、その循環の仕方を意識して自ら決めて行くという事でしょうか。そうであれば循環の
2019年2月2日 09:56
「死に様は生き様」とは、よく聞く言葉です。どう生きたかによって死に様も変わってくる。「よく生きた」と云うのはどういう事でしょうか。生きることに執着しない、生きることに捕らわれないそうであれば、死ぬことにも捕らわれない、死に絶えず怯え不安を感じ、死の恐怖に貼り付いていることもない。と云うことでしょうか。自分の死に場面がわからない。判るとかえって悲惨かもしれない安心どころか受