吹雪の中で

雪が積もります。

綺麗だとか喜べている内は、
降り積もる雪の日も、好きな日、季節でいられます。

けれど何日も雪に閉ざされ、外に出ることもままならない
暖をとる事も満足にできる状態ではなくなって来ると

凍死したり、帰る家の無い人達の話を耳にする度に
人事ではない身に迫るものを感じてしまいます。

そしてそんな極寒や吹雪の中を
救援、救護、その他の対策作業に走り回っている人達のいることを思うと

そんな人達には、帰る家があり
待っている家族があり、温かなご飯が用意されているのだろうか
と 心配になってしまうのです。

そしてそれを遠巻きに見ながら
お前がああ言った、こうやったと
互いの責任追及にばかり時間を費やし、
真の対策をやっているかのような見せかけだけで

今 目の前で寒さに凍えている、
死に逝く人達の悲しみや孤独を
どうしたらいいのだろう。
どうするのだろう。 と思ってしまうのです。

「里山資本主義」と云うものがあるそうです。
持つ者が持たざる者に、物々交換と云う形で
金銭だけに頼らない、循環する社会の中に居る人達があるそうです。

きっと 考え方も生き方も
より安全で安心なものに変わって行くのだろうと
想像してしまいます。

唯ただ明日は晴れるかな と
明日はお日様が融かしてくれるかな と

音も無く降り積もる雪を見ながら
一日一日が、無事に過ぎて行ってくれる様に
祈るばかりの毎日になってしまいました。        

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