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down the river 〜同罪の記憶〜

人は去っていくものだと思っていた。
親友と呼べる者は次々と消えていく。
永遠の絆はどうやれば手にできるのか、そればかり考えていた。

「あーくん…。」

桜が散り始め、間もなく新学年新学期が始まろうという春休みの最終日、その地区では大きめの公園内の同じ場所をぐるぐると自転車で旋回しながら敬人はぼそりと呟いた。
小学校2年生へ上がるタイミングで幼稚園からの親友、篤史(アツシ)が転校してしまったのだ。
篤史の父親の車に乗って日が昇る前の森へ行きカブト虫を一緒に捕まえに行った思い出、公園にいる飛蝗や、カナブンを捕まえて一緒に日が暮れるまで観察した思い出、田んぼを泳ぐヤマカガシに驚いて慌てて逃げた思い出、田んぼの用水路の底にくっついているカワニナ、田んぼの底にいるタニシを一緒に観察していた思い出、どれをとっても美しく輝き、フィルターでもかかっているかの様に眩しい。

「もう…会えない…。クックフッうぁあ…。」

敬人は自転車でぐるぐると旋回しながら泣き出してしまった。
視界が歪み、ボヤけて、ゴーグルを着用せずにプールに入った様な世界に突然変わったのだ。

「あーくんは僕の親友だった!あんないい奴いない!あんなに僕と一緒に遊んだ奴はいない!なんで…なんで行っちゃったんだ!!あーくん!」

敬人の人生で最初の辛い別れだった。

「あーくんがいたから僕は昆虫博士って皆から呼ばれる様になったんだ…あーくんのおかげで…。あーくんが色んなこと教えてくれたから…!」

感情が昂ぶるに従って自転車の旋回スピードも早くなっていく。

「なんで!電話もくれないんだ!!いいじゃないか!!話をするくらい!!教えてよ…そっちの電話番号…。あ、…わかった。」

敬人は自転車の旋回を急ブレーキで止めて立ち尽くした。

「僕んちが貧乏だからか。あーくんが電話番号教えたら僕がいっぱい電話しちゃう。お金がかかる。あーくんは頭がいいからそんなことまで考えたんだろう。僕んちのことまで考えて教えなかったんだよ。きっと。でもあーくん…そんなこと考えないでよ。教えてよ。話だけでもしたい。夏休みとかこっち来ればいいじゃないか。僕んちは貧乏だからそっちには行けない。あーくんちは大っきくてお金持ちだ!こっちに飛行機で来るくらいできるだろ?…会いたい…。あーくん…。」

「あーくんて鍵原 篤史くんのこと?」

公園の遊具の後ろから声が聞こえ、敬人はギョッとして思わず跨いでいた自転車ごと倒れてしまった。

「だ、誰だよ!びっくりするだろ!!」

自転車の倒れるガシャンという音と敬人の叫び声に反応しその声の主は遊具の後ろから出てきた。

「ご、ごめん、大丈夫?足、擦り剥いてる。血も出てるよ!」

声の主は新田優だった。
ユウはポケットからティッシュを取り出すと敬人の膝横の擦り傷から出ている血を拭った。

「新田くん?だよね?同じクラスの…あ、ありがとう…。」

「いや、ごめんね?驚かしちった。タハハ…。ね、有田くん…だっけ?確か。鍵原くんと同じ幼稚園だったよね?僕もね、同じ幼稚園だったんだよ?覚えてないかな?」

「え?そうなの?悪い、覚えてないや。ごめんな…。あ、もう大丈夫だよ。ありがとう。」

「そっか。残念!タハハ…。鍵原くん、引っ越しちったね。僕もさ鍵原くんに遊んでもらってたからさ。本当に。」

敬人は目を下に向けた。
自分だけではなかったのだ。
自分は篤史だけだったのに、篤史にとって自分はその他大勢にすぎなかったわけである。
そう思うと目の前にいるこのユウという男に嫉妬に似た怨念の様なモノが湧いてくる。

「どうしたの?有田くん。」

ユウは下を向いた敬人の顔の更に下から覗き込む。

「な、なんでも…痛いからもう帰るよ。」

敬人は激情を抑え込み、自転車を起こすと顔をユウから背けた。

「ねえ、有田くん。明日転校生来るみたいだよ。うちの近くに引っ越してきてね、うちに家族みんなでこんにちはって来たんだよ。穴地くんって言う男の子で同い年なの!うちらと同じ小学校に来るんだって言ってた。うちのクラスだといいね!どうかな、うちのクラス来るかなぁ。」

ユウは敬人の背中に向かい話しかけた。

「そ、そう。いい奴だといいね。」

敬人は別に興味は無い。
ただ激情を向けている対象であるが何故か親しげに話しかけてくるこのユウという男を何となく突き放せない感じがするのだ。

「ね、いい奴でさ!鍵原くんみたいに生き物とかすっげえ詳しい奴だといいな!ね、有田くん!!」

「あーくん…。あーくんは1人しかいないよ。んじゃ帰るね新田くん。」

敬人は消え入りそうな声を絞り出すと、後ろのユウを見る事なく自転車に乗り家へ帰った。

・・・

「皆!今年も1年間よろしくお願いします!」

1年生に引き続き、2年生も同じ担任でクラス替えは無い。始業式が終わり、教室で1年間見慣れた女性の担任が大きな声で挨拶をした。

「さて、今日は転校生が来てます。入って。」

担任は教室に入る様に促すとその転校生が入って来た。
敬人は視線を感じて右斜め後ろをチラリと見ると、ユウがニヤリと笑うと「あ・な・ち・く・ん」と口だけ動かした。
敬人は不機嫌な顔で溜め息を付くとその転校生に目を向けた。

「は?あーくん?」

敬人は驚きを隠せず声が出てしまった。
かつての親友、鍵原篤史にそっくりなのだ。

「穴地龍也です。よろしくお願いします。虫…昆虫が大好きです。前の学校では昆虫博士なんて呼ばれてました。昆虫好きな人もそうじゃない人も仲良くしてください。よろしくお願いします。」

当然、敬人と穴地が打ち解けるのに時間はかからなかった。
敬人は穴地に篤史の影を追い求め、穴地は意識することなくその期待に答えた。
敬人は篤史と同じ遊びをして、穴地はそれを喜んで受け入れた。
そして夏休みに突入する頃には敬人は穴地を「あーくん」と呼ぶ様になっていった。

「あーくん、今度プール行かない?自転車でちょっとのところに市営プールがあるんだよ。」

「うん、行こうよ、いいじゃんいいじゃん。でもさ自転車で道路走っちゃ行けないんじゃないの?4年生から…じゃなかったっけ?」

穴地は心配そうに敬人の顔を覗き込んだ。
穴地の言う通りこの地区の小学校では4年生で交通安全教室に参加してからでないと自転車で公道を走ってはいけない決まりになっているのだ。

「構うもんか、あーくん。大丈夫だよ!バレないバレない!」

「うん、そうかな。わかった!じゃあまずは明日終業式終わったら宿題ババっと半分以上やっちゃお?一緒にやれば早いよ?ね?」

「ええ?あーくん真面目だな。まぁあーくんと一緒なら…。」

「ぃよし!決まりぃ!明日うちに来な!!」

・・・

カリカリと2人はテーブルでHBの鉛筆を滑らせた。

「あーくん、これわかんない。わかる?」

向かいに座る穴地に敬人は小声で算数の文章問題の解き方を聞いた。

「ん?あぁ、こういうのはさ…文章に騙されちゃいけないんだよ。こうやって…」

穴地は文章問題の数字にマーキングをした。

「まず出てくる数字を目立つ様に印を付けんの。」

「ほおほお…んで?」

「そしたらこの数字をどうしているのか、どうしたいのか、何がわからないかを文章から読み取るんだよ。この問題だったら…」

穴地はカリカリと解説をしながら敬人のワークブックに書き加えていく。

「ね?解けちゃった。どうせこんなにいっぱい文章書いてても使うのはここに書いてある数字だけ。僕達を騙そうとしてるだけだよ、これ作った人。」

穴地は優しく微笑むと、自分のワークブックに向かい始めた。

「ほぉぅぉぉ…すんげ…。」

敬人は穴地が書いた解説を読み直し感嘆の声を上げた。

「タカちゃん、忘れない内に早く同じ様な問題下にあるから解きなよ。」

「お、おう!ホントすげぇなぁ、あーくんは…。」

・・・

そして2人は市営プールへやってきた。
小さなプールだが安価な為か、人は多い。

「遅いな…何やってんだよ、あーくんは…って…。」

敬人は絶句した。
後ろに立っている水泳パンツ1枚の穴地の肌ツヤ、そして夏の高い太陽に真上から照らされて弾け飛ぶのではないかと思うほどの笑顔に敬人は完全に言葉を失ったのだ。

「いやぁ!!今日来て良かったよ!!行こうぜ!?タカちゃん!!」

「あーくん…」

敬人の「あーくん」という言葉は穴地に向かい、放った言葉ではなかった。
自分の横をスローモーションで通り過ぎていく穴地の姿は敬人の目には篤史にすり変わっていたのだ。

「何やってんだよ!!タカちゃん!!ボーッとしてないで!この日の為に宿題一緒にやったんだろ!?早く来なよ!!」

「あぁ!今行く!今…」

敬人は泣いてしまった。連絡先も教えず、引っ越してからも連絡をせず、簡単に自分の元を去っていった篤史、そして目の前で自分の心を鷲掴みにした篤史にそっくりな穴地という人間の狭間で敬人は混乱してしまったのだ。
そしてこの時、敬人の心の中で小さなバグが発生してしまった。

『あぁ…僕…あーくんのこと忘れられないや…ずっと心の中にいる…。僕…あーくんのこと…篤史くんのこと…』

敬人はプールに入ると一目散に穴地の所へ泳いだ。
笑顔で両手を広げて待ってくれている穴地のいる所へ泳いだ。
そして敬人は水中で穴地を抱き締めた。
敬人は水中で感じる穴地の温もりにもう抑えが効かなくなっている。

『篤史くん…篤史くんのこと好きだ…。』

敬人の心の中の小さなバグは、水面に垂らしたオイルの様に虹色となりまんべんなく広がっていく。
穴地はそれに答えるかの様に敬人を抱き締め返す。
そして2人は顔を見合わせ、ゴーグルを着けると阿吽の呼吸で同時に水中へと潜った。
2人は両手を握り合うと水中で頷き合った。
敬人の心の中のバグは後数cm四方で完全に正常な部分を埋め尽くす。
そして2人は遂に水中で口づけを交わした。
幼き恋が静かに完成し、敬人の心の中のバグは完全に心を覆い尽くしたのだ。
愛し合う2人が口づけを交わす、そんなことなど知る機会が無いにも関わらず、まるで最初から予定されていたかの様に自然と2人は口づけを交わしたのだ。
2人はこれを機に当たり前の様に口づけをする様になった。
そしてそれは長くは続かなかったのである。

・・・

「タカちゃん、僕引っ越すんだ…。」

「…え…。」

その年の冬休み前の終業式前日に穴地は衝撃の告白を聞いた。そして敬人の目の前がグニャリと歪んで行く。

「パパの転勤でね。もう…会えないな…。」

「ど、どこに?どこに行くの?あ、会えないなんて嫌だ…嫌だよ…。」

「ドイツ…。ドイツだよ…。パパがドイツの工場長になるんだって…多分もう日本には戻らないって…さ…。」

「あ…あ…あーくん…い、嫌だよ…。も、もうキス出来ないの?」

「うん…。」

穴地は冬晴れの白い光の中でクルリと敬人に背を向けた。

「おかしいんだってさ!男の子同士でそんなことすんのって!!」

穴地は肩を震わせて声を絞り出した。

「僕達お互い好きなのに??そっちの方がおかしいよ!!」

敬人も反論するが、持論が通用しないことはもう分かっていた。

「パパが言うんだ、間違い無い。タカちゃん…さよならだ。」

「嫌だ…。て、手紙くらい…」

「もうパパにもママにも知られてる。タカちゃんからの手紙は捨てられるよ。」

「あーくん…嫌だ…。」

「明日の終業式は出ないんだ。もう…ここで…お別れだね…。」

「あーくん…」

敬人は涙でもう前が見えなくなっていたが、穴地の影が振り返り近付いてくるのは分かった。

「これ、あげる。」

穴地は古ぼけた軟式野球ボールを敬人に渡した。

「…?」

「これ、僕だと思って…ね?う…うっ…」

穴地も泣いてしまっている。

「いいかい?タカちゃん…よく聞くんだ…うっ…うっ…男の子同士でキスするのはおかしいんだ。止めよう。今後も絶対に止めるんだ。いい?パパが言うんだ。絶対に間違い無いよ。」

「うん、…わかった!わかったよ!」

「これで最後…」

2人は最後の口づけを交わすと穴地は背中を向けた。

「タカちゃん、さよなら。また…どこかで…。」

・・・

3学期が始まった。
冬休み中、昼はひたすら落ち込み、夜は涙を流すという日々を過ごしていた敬人は何の希望も持たず、抜け殻の様にフラフラと登校した。

「有田くん。おっはよ。」

ユウがそんな敬人を見兼ねて朝の挨拶をした。

「お、おはよ、えぇと…。」

「新田優だよ。もう、いい加減覚えてよ。」

ユウはふくれっ面になり敬人を冗談っぽく睨んだ。

「あ、あ、新田くん…わ、悪いな。」

「ね、良かったら今日遊ばない?公園で。」

「え?」

「有田くんが自転車でくるくるしてたあの大っきな公園だよ。あそこに一緒行こうよ。ね?」

「で、でも…。」

「自転車で行こうよ。先生に見つからない様にさ。」

「あ、あ…。」

「ぃよし!決まり!じゃあお昼ご飯食べたら、あの公園に自転車で集合!やった!!有田くんと遊びたかったんだよ!!」

「あ、あの…」

「んじゃ、絶対に来てよ!!ハハハ!やった!!」

敬人は無邪気に喜びその場からスキップをしながら去っていくユウを見て、フンと呆れた様に笑った。それは約2週間ぶりの敬人の笑顔だった。

・・・

「ねえ!有田くん、元気無かったけど!もう大丈夫!?」

「ああ!!大丈夫だ!!」

2人は公園のジョギングコースの様な所で自転車レースを繰り広げていた。

「有田くん速いなぁ!クソ!」

「新田くんなんかに負けるかよ!ほら!ラスト1周だ!!ついて来れるかな!?」

敬人は思い切りペダルを踏み込むと凄いスピードでユウを置き去りにして先へと行ってしまった。

「ぐぉ!?有田くん速えぇ!!」

敬人は大きく差をつけてゴールした。
ジョギングコースから普通の遊具があるスペースへ行くのに緩やかだが大きな階段がある。
敬人は激しい息使いで、フラフラになりながらその階段に腰を下ろした。

「ハァハァ…」

敬人が吐く息は白い。穏やかな気温であるとはいえ、まだ1月だ。

「有田くん!!速いって!ハァハァ!タハハ…。グホッ!ゲホッ!!」

むせながらユウはゴールするとそのまま倒れ込む様に敬人に近寄りそのまま隣に腰を下ろした。

「有田くん元気無かった…ハァハァ…」

「…。」

「知ってたよ、ハァハァ…鍵原くんも、穴地くんも有田くんの親友だったんだよね。」

「…。」

「ずっと悲しそうにしてたからさ…ハァハァ…。」

「あーくん…。」

「有田くん、ハァハァ…怒んないで聞いて?ハァハァ…。僕もあーくんだよ?ハァハァ…あ・ら・た…ね?あーくんだ。」

「え?」

「良かったら僕が有田くんのあーくんになるよ?ね?これからも一緒に遊ぼうよ。あ!有田くんもあーくんじゃん?ね?ハハハハ!」

「新田くん…。」

似ても似つかないこの新田優という人間が何故か篤史と被って見える。
敬人にとってのあーくんは2人とも頭脳明晰でスタイリッシュ、スポーツもある程度できる万能な人間だった。
この新田優という人間は明らかに前者の2人とは違う。だが何故かこうして見ると被って見えるのだ。
そして敬人の心は再び燃え上がり始めた。

「あーくん!あーくん!あーくんが帰ってきた!あーくんが帰ってきた!!」

敬人はそう叫ぶと横を向き、ユウを思い切り抱き締めた。

「ハハ…有田くん、痛いよ…。でも、これからも一緒に遊ぼうね?」

「あぁ、そうしよう!あーくん、これからあーくんって呼んでいいの!?」

「だからそう言ってんじゃん?僕はあーくんだよ。ね?有田くん。」

「あーくん!あーくん!」

「ハハハハ!痛いっての、有田くん!」

「ハハハ!」

「ハハハ!」

・・・

そして2人は濃密な時間を過ごす。
トイレまで同じ個室に入り、尻を拭き合い、お互いの身体を触り合い、普段から抱き締め合う。
そこまでしていながら、告白や口づけという一歩を敬人が踏み出さなかったのは穴地の言葉が抑止力となっていたからだった。

「男の子同士でキスするのはおかしいんだ」
「今後も絶対に止めるんだ」

その抑止力がユウとの距離をかろうじて適正なものに保っていたのだ。

しかしその抑止力は数年後に出会う、性格はまるで似ていないが見た目は篤史そのものである藤田哲哉によって崩壊することとなる。
そして敬人は揺れるのだ。
何故か篤史と被って見える新田優と性格は違うが見た目が篤史そのものの藤田哲哉の間で。

敬人がユウへ放ったあの言葉は、かろうじて僅かに残っていた穴地の抑止力が最後の抵抗を見せた意地の様なものだったのだ。

「ユウ…女に…女になれ…」

ボロボロで茶色く変色してしまった軟式野球ボールは敬人の部屋でユウとの一部始終を見届けて、その役目を終えた。

※いつもありがとうございます。
次回更新は本日より4日以内を予定しています。
次回からは通常のストーリーに戻り、再誕⑥として更新します。
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