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理想と現実の差分に矛盾を感じ抱え生活をする「KURKKU FIELDS」(最終回)

クルックフィールズの良さについて書いた前回の記事を自分で読み返してみても、良い体験をさせてもらったときに感じるよくある話をしているだけ(働いている人が良い人で、循環の仕組みがすごい!)になってしまっているようにも思えてもどかし過ぎるのですが、続けてみたいと思います。

先日のクルックフィールズイベントのワークショップをきっかけに堆肥づくり(コンポスト)を始めました。 
毎日コンポストに生ごみを入れて攪拌させるという手間をかける必要があるのですが、これを面倒に感じてしまうのではないかということが少し心配でした。
ところが、開始して二週間以上が経ちましたが、面倒くささを "気持ち良さ” が上回っています!
毎日300グラムの捨てるだけのゴミだったものが、栄養を多分に含んだ土に向かって段々と変化していくということを、とても気持ち良く感じています。

そして、この生活変化のきっかけを私たちに与えてくれた、クルックフィールズの方々、クルックフィールズの循環の仕組みこそが、私が一番伝えたかったクルックフィールズの良さであり、凄さ、素晴らしさ、そして感動にも繋がっているのだと思います。
そして、分かること=自分が変わること。この考え方についても身をもって理解できた感覚もありました。

そして、この生活変化が起きた理由を突き詰めて考えたときも、
“気持ち良さ” に辿り着きます。
この変化のきっかけも、クルックフィールズという場所で感じた、
“気持ち良さ” でした。
人、動物、体験、アート、植物、食べ物、循環の仕組みなどの全てを含めた “気持ち良さ” です。。
美しい景色は日本中にたくさんありますし、現在のクルックフィールズは完成に向けてショベルカーなどで開発している部分もあるため、美しい景色としては完成していません。それにも関わらず深い感銘を受けました。
そして、その理由を自分でも理解したくて考え続けてきました。


ここ数年の私は、90年代のカルチャーから現在への連なりについて興味が高まっていました。その理由を一言で表すと「かっこよさ」という言葉になると思います。
多分に漏れず自分が子どもの頃に着ていた服を思い出したり、そのときの雰囲気を感じられることが惹かれる理由のように思います。
更には、高校生大学生の頃に好きだったブランドを作っていた方が新しく作ったブランドを立ち上げ時から追いかけながら、ブランドというものができていく過程も目の当たりにしました。それ自体も楽しいことでしたし、実際その新しいブランドの服を買って着てみると満足感もありました。

一方では、環境問題、資本主義を取り扱う書籍を読んだり、ポッドキャストで聞いたりする機会は以前よりも増え、自己矛盾も抱えていました。

90sから現在へ連なる音楽を聴きながら家でコンポストをかき混ぜ、特段環境問題に気を遣ったわけでもない服を身にまとって、またクルックフィールズに遊びに行きたいと思います。(それまでは、完成した堆肥の行き場となる畑を耕し続けたいと思います。)

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