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ラジオの世界は寛容でやさしい(私の好きなラジオ番組一覧)

二年前にラジオを聴き始めました。 仕事の繁忙期中の夜中に起きてしまい眠れなくなってしまった夜、 諦めて仕事をしようと思い、それまではほとんど使ったことのなかったradikoというアプリを何気なく開いたときに流れていた番組、 スチャダラパーからのライムスター「Forever Young」 ~まだイケる!まだまだイケる!朝まで生ラジオスペシャル~ がきっかけとなりました。 ライムスターは、兄貴的な6歳年上の友人が以前勧めてくれて少し聴いていた時期があったり、フェスで一度観たこと

    • 記憶の中にある絵が動き出した!『THE FIRST SLAM DUNK』

      記憶の中にある絵が、そのまま動き出しました。 日本で最も有名なバスケの試合(とも言える)、山王工業高校 vs 湘北高校。 当時放映されていたアニメはほとんど見ていませんでしたが、スラムダンクの漫画は小学生のころから何度も何度も何度も読んできました。 なので、数々の名シーンが当時頭の中で想像していた動きと違和感なく、というよりむしろ完全同期するかのように表現されていることに対しての驚きの連続でした。 そして、これは間違いなく今まで見たことのない、したことのない体験でした。

      • 生きがいについて「余命10年」(2)

        私はこのような映画が苦手です。 このような映画というのは、愛する人が死んでしまったり、愛する人の記憶が失われていってしまうような映画です。 苦手というのは、(激しく)泣いてしまう可能性が高いからです。 今まで、このような映画を観るときは、私は残される立場になる男性の視点に入り込んで観ていたように思います。今回の映画は女性の視点、気持ちに入り込んで観ていました。 その違いを考えてみましたが、おそらく(というか、ほぼ間違いなく)自分の愛する人を失うということを想像すらしたくな

        • 生きていくことは 愛すること 愛されること、そして死に向かうこと。「余命10年」(1)

          子どもを妻の両親に見てもらっての夫婦映画も数えてみると5本目。今回は「花束みたいな恋をした」以来の妻の選んだ映画。 常に死の足跡が聞こえる映画。しかし、不思議と死の匂いはあまり感じない映画でした。 もちろん、強く感じる瞬間はありました。強く、強く、、。 病いを患い、死に向かうことを受け入れて、それに向かうことが中心になった日々、 愛する人に出逢い、大きく愛されることによって、色彩を持てるようになった日々、 どちらにおいても、あまり死の匂いは感じませんでした。ただ、足跡は

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          私たちも日常で演技をしているのかもしれない「偶然と想像」

          0才と3才の息子二人を子育て中の私たちは、妻が誕生日プレゼントとして祖父母に貰った子ども二人を見てもらう券を使って、妻と半年ぶりに映画を観に行ってきました。 映画選び係の私が今回選んだのは『偶然と想像』。 私の好きなラジオパーソナリティーの二人が取り上げていて決めました。内容部分は何も聞かずに知らずに。 自分で選んだ映画を観ている最中に妻はこの映画で大丈夫かな?と少し心配に思ってしまうことは少なくないのですが、今回は少しではなく多分に思ってしまう内容でした。 しかしそれは今回

          私たちも日常で演技をしているのかもしれない「偶然と想像」

          「わかる」ということについて

          超相対性理論「わかるの深淵を覗く」、全三回を聞きました。 自分の人生で起きていること(過去に起きたこと)と照らし合わせながら思考を巡らせることができるこのポッドキャスト番組が大好きです。(同じ回を何度も聞き直したくなるポッドキャストです。) このnoteで私が四回に分けて書いたクルックフィールズでの体験、そこからの生活変化(コンポストを始め、畑を耕し始めたこと)は、まさに今回のテーマである「わかるの深淵を覗く」の内容にぴったりはまる話でした。 環境問題について、知識としては

          「わかる」ということについて

          理想と現実の差分に矛盾を感じ抱え生活をする「KURKKU FIELDS」(最終回)

          クルックフィールズの良さについて書いた前回の記事を自分で読み返してみても、良い体験をさせてもらったときに感じるよくある話をしているだけ(働いている人が良い人で、循環の仕組みがすごい!)になってしまっているようにも思えてもどかし過ぎるのですが、続けてみたいと思います。 先日のクルックフィールズイベントのワークショップをきっかけに堆肥づくり(コンポスト)を始めました。 毎日コンポストに生ごみを入れて攪拌させるという手間をかける必要があるのですが、これを面倒に感じてしまうのでは

          理想と現実の差分に矛盾を感じ抱え生活をする「KURKKU FIELDS」(最終回)

          感動の記憶を生活に取り入れる「KURKKU FIELDS」(3)

          前回、クルックフィールズという「施設としての」体験を綴ってみましたが、今回の滞在の充実感、高揚感は全然別なところから湧き出てきているように自分では感じています。(もちろん施設、設備というハード部分も大いに楽しめてクオリティーも素晴らしいです。純粋にとてもとても楽しかった!) それが何なのかを考えることは自分にとって重要なことである気が強くしているので考え続けているのですが、その答えさがしのための対話を求めすぎてそろそろ妻にも嫌がられてきました笑 その答えというのはおそらく

          感動の記憶を生活に取り入れる「KURKKU FIELDS」(3)

          クルックフィールズに一泊して帰ってきた今も引き続き多幸感が続いている理由を探す「KURKKU FIELDS」(2)

          家族四人で泊まったクルックフィールズ。 タイトルにも書いたとおり、多幸感がずっと続いています。 ですが、この多幸感の正体、言い換えるとクルックフィールズの良さということになるのだと思うのですが、これがなかなか言葉で表すことができません。妻も同じようなことを言っていたので帰ってきてから二人であれこれ話しているのですが、なかなか難しいです。 なので、まずは体験したことをまとめてみたいと思います。 この日は私たち以外に宿泊する人がいなかったため、なんと閉園時間の17時から翌朝1

          クルックフィールズに一泊して帰ってきた今も引き続き多幸感が続いている理由を探す「KURKKU FIELDS」(2)

          グランドオープン前のクルックフィールズへ「KURKKU FIELDS」(1)

          クルックフィールズが2022年の春にグランドオープンという話を聞き、その前の誰もいない朝と夜の時間を体験したい! そう思い立って、泊まりで行ってきました。 今年の真夏に長男の三才の誕生日旅行の際に短い時間で一度寄ったことがありました。 その日のことは家族みんなで汗だくになり次男も小さかったため暑さのことが心配で過酷だったことを一番に思い出しますが、その記憶の奥にとても引き付けられる何かがずっと残っていました。 私たち夫婦は子どもが生まれる前は沖縄の竹富島が大好きで、毎年泊

          グランドオープン前のクルックフィールズへ「KURKKU FIELDS」(1)

          人は他人と自分を比べてしまうということを突き詰めて考えたら多様性の大切さに辿り着きました

          ルッキズム、家の大きさ、学歴、足の速さ、、、 人は他人と比べて自分の位置を確認して生きるということを自然にします。 しかし、比べられてしまうときに激しく嫌に感じて距離を置きたいと思ってしまう相手と、比べられても気にならない人がいるということに気が付きました。 『比べられる』という同じことをされながらも、何が違うのか。 突き詰めて考えって至った答えは、複数の価値観ものさしを持っているかどうかでした。 複数の価値観ものさしを持っている人でも他人を比べてしまうことはあります

          人は他人と自分を比べてしまうということを突き詰めて考えたら多様性の大切さに辿り着きました

          今ここに意識を集中する。をできている人「マインドフルネス」

          今ここに意識を集中するというマインドフルネス。 数年前から行われている禅の逆輸入といったものなのでしょうか。 未来や過去をのことを考え(心配し)ながら今を生きてしまうことは、ある意味人間なら当たり前のことだとは思います。だからこそ “いまここ” に集中することの重要さを認知し、その状態へ意識的に向かう必要があるのだと考えます。 これを体現するとしたら、どのようなことになるのかを自分の生活で考えてみると、ランニング、ガーデニング、コーヒーをドリップで淹れるなどの時間にできて

          今ここに意識を集中する。をできている人「マインドフルネス」

          孤独と向き合い上手く付き合って生きていく(しかない)「ノマドランド」

          この映画の主人公ファーンのように生きたとしても、たくさんの孫に囲まれて生きたとしても、人は皆それぞれ孤独でそれが人間だと思います。 先月、二人目の息子が産まれました。妻のお母さんが一ヶ月、私たちの家に手伝いに来てくれていました。正確に言えば、そのうちの一週間は妻の実家で妻の両親と暮らしていたのですが、訳あって妻のお母さんだけが私たちの家に来て暮らすことになりました。 アカデミー賞の受賞直後、この映画の主人公と同年代である妻の両親はノマドランドを観に行きましたが、その感想は

          孤独と向き合い上手く付き合って生きていく(しかない)「ノマドランド」

          ミナリ

          『大切なことはすぐそばにある』 映画を観た感想をシンプルに一言で表すとき、この言葉となることがあります。 しかし、その大切なことを日常の生活において、ずっと覚えていることがなかなかできないのです。 時折、この大切なことを思い出すために映画を観ているとも言えてしまうぐらいに。 この映画のラストシーンにも、このことが描かれていました。 私にはもうすぐ三才になる息子がいます。彼はもうすぐ九十歳になる私のおばあちゃん、彼にとってはひいおばあちゃんのウメちゃんが大好きです。 私の

          ミナリ

          人の好きを笑うな 「花束みたいな恋をした」(5)

          note内の #花束みたいな恋をした 「定番」で一番目に表示される記事、いわゆる一番LIKEを集めている記事(しかもダントツで)が、とてもネガティブな感想のものとなっていました。 それ以外の記事でも、「好きなカルチャーについて、どう好きなのか、なぜ好きなのか、が語られない。」という意見を見かけました。 私はそのようには全く思わなかったので(ちなみに私は麦くん絹ちゃんとは世代が違い、彼らが愛する作中に出てくる固有名詞のほとんどを知りませんでした)、この意見に対する自分の中に湧

          人の好きを笑うな 「花束みたいな恋をした」(5)

          カルチャーに上下はない 「花束みたいな恋をした」(4)

          カルチャーに染まっている麦くんが好きだったからそう思うのではないか? この指摘には考えさせられました。 パズドラしかやる気が起きなくなってしまった麦くんに対して、可哀そうという気持ちや、社会に変えられてしまったという感想を持った方は私だけではないのではないかと思います。 しかし、パズドラしかやる気が起きないように変わってしまった麦くんに対して、それも一つの人生だと捉えることは重要なことではないかと思いました。(映画的に描写、演出が感情を動かすものになっているとは思いますが

          カルチャーに上下はない 「花束みたいな恋をした」(4)