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誰かに優しくできるようになりたい


誰かに優しくできるのは、
自分に余裕がある分でしかできない。

まるで、コップから溢れた水のように、
まずは自分が満たされていないと
誰かに優しくするのは難しいのだ。


まさしくわたしがそうだ。

心の余裕、身体の余裕、時間の余裕

これらがないと誰かに優しくするのは最低限のことになる。
優しいというか、失礼にならないくらいのことしかできない。


giveの精神が昔から少ない、ケチなのだ。
我ながら情けない。
しかも、お金に関わることだとなおさらだ。

それに気づかされることがあった。


職場の先輩がいる。
先輩は、わたしが誕生日だからと
「好きなケーキをひとつ先輩からプレゼントするチケット」
というものをくれた。

店長という立場だからしてくれるのかもしれないし、
プレゼントをあげるにも
何がいいかわからないからかもしれない。

それにしても、
そこまで後輩にしてくれるのは優しいと思う。

わたしはそこまでできない。


誕生日をみんなの分を把握して、
手作りのチケットも用意して、
ケーキも買うなんてそこまで優しくできない。

もとから、そういうのが楽しいのかもしれない。
見返りを求めないgive精神が本当にすごい。


これは一例で、日ごろから先輩は優しい。


先輩の人柄が好きだし、明るい。
弱みを見せたがらないけれども、
日ごろから感謝の言葉を伝えてくれる、
褒めてくれる大好きな先輩だ。


わたしは、後輩から見たら優しいらしい。
それはきっと怒らないからで。

質問にはなるべくわかるまで噛み砕いて
伝えるようにはしてる、
接客でもお客様にできることを頑張ってやってはいるつもり。


でも、それは " 仕事 " だからだ。


お金をもらっている以上、
とりあえず役職がついている以上、
やらなくてはいけない仕事だからだ。

プライベートで優しくは、できていない。
やらなくても困らないことは、やらない。

そういう割り切り方をしているわたしは、冷たい。


そう思わずにはいられなかった。

結局のところ、わたしはケチなのだ。
もらったチケットも、
「好きなの買ってあげる」と言われると
嬉しいけれども払ってもらうと思うと値段を考えてしまう。
相手に負担にならないくらいがいい考えてしまう。


昔からそうだった。


親とどこかにいって、
フードコートで親から「買ってきていいよ」と
言われると、思わず安いものを選んでしまう。


そんな自分が嫌だ。


素直に受け取れればいいのに。
お金に関わると、自分はケチになる。

誰かに純粋に何かをあげたいと思えるような
わたしになれるよう今は少しでも自分のコップを
満杯にする努力をしたいと思う。


きょうもありがとうございました!


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