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「世界の終わり」以後にぼくらが検討すべきことについて(その2)



 「世界の終わり」の意味内容とそのイメージについてもう少し書いてみたい。
この投稿を読んだ方のなかには、「世界の終わり」=人類の滅亡と受け取った方もいるようだが、そんなに簡単には人類は滅亡しないと、思う。いずれ滅亡するにしてももっとぐずぐずの状況がしばらく(一万年単位で)続いてゆくイメージの方が現実に近いように思われる。
 1980年代に現れた「あの空虚で明るい、不思議にさっぱりした感じ。」まさにそれは「風の歌を聴け」の持つ世界イメージに他ならない。「きみたちの来し方行く末にはしがらみは、何もないんだよ、そう考えてもいいんだよ。」これがぼくがあの瀟洒な短編から受け取った主要なメッセージであった。
 一方当時のオピニオンリーダーが展開できなかったメタレベルの思想の(現実社会に対するという意味)話をすれば、世界史の段階では、日本は、アジア的な遺制を抱えたまま、西欧的な近代(モダン)を通過して、欧米のような先進社会と同じようにポストモダンの現在に入りつつある、というのが、正鵠を得た見方であったろう。つまり当時のオピニオンリーダーたち=アブクのような言説の担い手たちは、盛んにポストモダン、脱構築などとほざいていい気になっていたが、柄谷行人みたいな「ポストモダンって要するにアジア的やん。先祖返りとちゃうんかい。」みたいな視点がまったく欠落していた。ポストモダン、脱構築、こういえば、一見、洒落て聴こえるかもしれないが、これは要するに、これまでの社会体制の解体という意味である。Ancien regime(アンシャンレジーム)をぶっこわしちゃえ的な。(笑)
 日本の知の世界は、いつでもそのときの世界史の中心にある文化を移植して流行らせることに躍起になる。決していままでの先人のideaの積み重ねを基盤にして、新しい思想や社会の仕組みを作っていこうとはしない。大変コンビニエンスを好む体質なのである。この時もニューアカデミズムなどという言葉が流行ったように、ポストモダニズムの旗手の思想が日本にも盛んに翻訳され、「現代思想」などの雑誌でも何度も特集が組まれた。ドゥールズ、ガタリ、デリダなどを旗手とする社会思想が脚光を浴び、レビィストロースやラカンなどの現代思想の担い手の名前もまた、下記に述べた二人のフランスの思想家の名前も、構造主義の思想家たちというふれこみで、盛んに当時の日本の知識人に引用された。彼らの中でぼくらが、この人は怖いぜ、と思ったのは、ミシェル フーコーとロラン バルトだった。特にフーコーの著作物は、当時の西欧思想輸入業者には、マルクス主義やヘーゲル的な世界観を軽くクリアした彼の方法論やその理路など、とうてい難解で歯がたたず、という感じであったし、自らの思想的な煩悶で交通事故死したロラン バルトは、軽妙な洒落た思想家としてしか紹介されていなかった。バルトの「明るい部屋」や「神話作用」など、誰も本気で読んでなかったし、多分、思想輸入業者にこの二人の思想家に対する理解などは、求めるべくもなかった。フーコーは、1984年になくなったが、日本では吉本隆明が、「言葉ともの」を中心にフーコーの思想の全体像をとらえることが、肝要だと述べ、フランスでは、確か1980年代初頭にサルトルが、フーコーを最後の保守の偉大な思想家として最大級の賛辞を与えていたと記憶している。
さすがにサルトルは、見えていたんだな、とその時に彼の思想家としての力量が見えた気がした。
 さて、村上春樹の「風の歌を聴け」、「1973年のビンボール」、「羊をめぐる冒険」、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」、「ダンスダンスダンス」などの初期~中期の小説から見えた、現実社会の話に戻るが、もちろんこれらの小説の言説内容も(現実社会に対する)メタレベルの話である。だが、村上春樹という作家の創作方法について、また、彼自身がどこかで書いていたように、「物語を書くために自分は、無意識の深海におりてゆき、なにかをつかんで現実世界に戻ってくる」という言い方、また「回転木馬のデッドヒート」にみられたような小説作法を見ると、この作家の特徴は無意識がとても巨大である、ということだ、という気がしてならないのである。冒頭に書いた「風の歌を聴け」のメッセージがどこからきたのか、また「羊をめぐる冒険」のなかの未知の世界イメージがどこからきたのか、と言えば、それは現実社会にしかもとめられないものなのだ。村上春樹は、日本民族思想の無方法の泰斗と誰かに言われた、あの柳田国男に近い資質を持った小説家と言える、というのが、この作家に対するぼくの評価である。
 「あの空虚で明るい不思議にさっぱりした感じ」は、この小説家が、当時の日本の現実社会に生きていたマス(大衆)の無意識から拾ってきたその「核心の表現」に他ならない、と、思われるのである。    (この項つづく)

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