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日本史でも世界史でも習わなかったこと

高校の時の私の日本史と世界史の成績といったら、この上なく悪かった。どれくらい悪かったかというと、「皇太子」というあだ名の穏やかな世界史教諭が怒鳴るくらいに。それでも「いついつにどこどこで誰々が何某をした」にびっくりするくらい興味がなかったので仕方がない。

ところがシリコンバレーに来て、歴史博物館に行ったりしているから自分でも驚いている。それは初めて「知りたい」と思ったから。そして「どこどこ」「誰々」が明確にイメージできるようになったから。

どうやら今私が滞在しているところは日本と深く関係があるらしい。
ここで安くたくさん買える果物や穀物は、日本からの移民がつくりあげたと言っても過言ではない。
4人の日本人王がいる。
ワイン王:長澤鼎
ニンニク王:平崎清
ポテト王:牛島勤爾
ライス王:国府田敬三郎

彼らを筆頭に、ベイエリアにはたくさんの日本人移民が移り住み、勤勉さと器用さゆえに農業を興したが、戦争が始まり日本人はキャンプへ収容されることになる。
この時も”日本人らしさ”が発揮されて、ありもので家具を作ったり、キャンプで食物を育てたりしていたらしい。その時の現物が「Japanese American Museum in San Jose」に展示されている。

この時小さかった日系人は、日本語を話すと差別されるので親も日本語を極力教えなかった。
戦争が終わると、日本人はSan JoseのJapan Townに戻ってくる。ここはカリフォルニア州法により歴史地区として保護されている唯一のJapan Town。今でも日本食レストランが集まっていたり、日本の雑貨店や和菓子屋さんがあったりする。先月参加した「OBON(お盆)フェスティバル」もここで開催されていて、日本のものから少し形を変えたお盆の形がある。

今は日系2世から5世までがいて、5世になると「日本人としてのアイデンティティ」が失われているとのこと。(それもそのはず、顔はもう日本人じゃないし、親も日本語を話せない)逆に2世は”日本文化”だと彼らが思っているものを変えることを嫌う、と4世の友人は話していた。

その日系4世の友人は、Japan TownにはChangeが必要だと常々言っている。先日行われた会合で、Japan Townを運営するリーダーに若手が選ばれ、確実に変わろうとしているのだと彼女は熱く語ってくれる。
彼女はサンフランシスコの大企業でバリバリ働きながら、ヨガのインストラクターをやり、和太鼓の演奏もし、フラダンスも踊る。「日本の着物は肌の露出が少ないわ!」「スリットを入れるべきだよ!」とも語ってくれるが、実は日本へは行ったことがない。

彼女自身は日本人が他のアジア人と比べておしとやかで、堅実で、常に一歩下がっている、もっと前に出て行くべきと指摘する。日本に行ったこともない彼女からそう言われることは少し不満でもあるけれど、日系人である彼女からしても、日本人がそんなイメージであることは心に留めておかなければならない。
そして、イメージだけで語られないように、日本で本当に起こっていること、を伝えていかなければならない。

すてっぴぃ@来年春に日本サミットin Silicon Valleyやります

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