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労働とは何か

世の中は労働で成り立ってるのは確かでしょう、しかしその労働も誰かが起業して成功した民間企業での職になります。

日本は共産主義ではないので国営の無償労働ではありません、全ては民間企業に頼った労働なので、そこには必ずポジションの奪い合いがあると思います。10人いればその10人が同じポジションに入れるわけではなく、その中から選ばれる必要がある。そのため何処の企業でも働くにはその競争の中に自ら飛び込み勝ち取る必要があります。

能力は解らない、基準は肩書や職歴など、今まで何をやってきたのかの選別になります。その選別を得て選ばれるわけであり、そもそもからその選別から必ず誰かがはじかれ、外れてしまうのなら皆が平等に仕事をするなど到底不可能なこと。


では外れてしまった人達はどうするかと言うと、低賃金でも仕方なく妥協し自分が受け入れられる、誰もやりたくない仕事を引き受けるしかありません。常に人手が足りない所と言うのは労働環境、待遇が悪いからに他ならず、たとえ妥協してそういった企業に就労しても必ず後の不満が蓄積するものです。

労働環境改善、待遇が悪いから誰もその仕事を選ばないわけで、人手不足なのはそこで働きたいと思う人がいないから。たとえ働いてもその環境の悪さに気がつき辞めてしまう。

だから堂々巡りの人手不足が発生する。


確かに労働する場所は多くあります、しかし安心して働ける場所と言うのは少ないもの。何処で働いても結局は不安や不満、その企業への不信感が募って行くものです。だから結局長続きしない、そこにずっと従事していたいとする気持ちが薄れて行く、そうなるといくら頑張ろうと思っても日々蓄積するストレスによって一刻も早くそこを辞めたくなるもの。頑張れだけでは繋ぎ止めることができない人の心、せめて賃金だけでも良いとするなら我慢や妥協はできるかもしれない、しかしいつまでも賃金は上がらない、その上で酷使され長時間労働を強いられるなら、それはもはや労働する奴隷と言っても間違いではありません。


みんながやっているから、だけで解決できる問題ではなく、これは人の尊厳と自由への渇望が絡む問題なので単純に我慢しろ、頑張れ、だけで解決できるような問題ではありません。


そういった生贄役に甘んじて引き受けて生きるなら、全ての時間と気持ちを犠牲にしなければならない。これは必ずしもお金だけの問題ではなく、人の心の問題でもある。


世の中には今も自転車操業のような状況に置かれている中小企業もあるでしょう。待遇を良くしたくてもできない事情や賃金を上げる事もできない理由もあるでしょう。中には赤字ばかりで黒字にならない企業だって存在すると思います。

我々はその事情も解らずに、何処かの企業を探してその場所で労働を担わなければなりません。いつどうなるのか解らないのは、我々と同じで企業も同じ状態にあるわけです。


だからこそ自分で何かをしようとする事に意味があるわけです。資本主義社会においては企業も我々も立場は同じなわけであり、いつどうなるのか解らない不安定な状況の中で生きなければならない。

待遇が良く、成功している企業の中に入るのはとても大変です、同じくその枠の中に入りたいとするライバルはたくさんいます、それぞれ労働時間や休日などの希望もあるとは思うが、そこで働きたい場合、その中での競争に勝たなければならないわけです。誰もが当たり前のように同じ待遇で働くことができない、それがこの社会なわけです。


自分で何かを始めた、この代理店委託販売営業を引き受けたのをきっかけに、自分は確実に後々別な何かをするでしょう、それは間違いなく、今はまだ他に何をするのかは決まってはいません。今後資金的な余裕ができたなら、他にもいろいろやりたいと思うことはあります。

何よりも普通に労働者として働いているより、自分自身で何かをすることは数倍もワクワクするもの、必ずしもお金を稼ぐことが目的ではなくても、そんな楽しいことはやめられないと思います。だから自分は今後も別な何かに挑戦はするでしょう。

今もこれを書いている自分はとてもワクワクしています。何をしようか、あれをしよう、これをしようと考えてるだけでもワクワクするもの。

だから一般労働により、何とかそれを行うための資金を作る、それもまたワクワクする事の1つでもあります。


きっとまだ何かをやる、自分はそれを確信しています。



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