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教育改革に対する想い〜中学の記憶から〜

大変ご無沙汰の、noteです。
おおよそ2年ぶり。STEAM JAPAN編集長の井上祐巳梨です。

あまりの日々がドタバタ劇だったこともあり、筆は休めてしまい・・・、STEAM教育についてや教育改革全体についての想いは、講演会などで直接お伝えすることが多かったかなと思います。

ですが、なぜ久々に書き綴りたいと思ったかというと。
久々に実家に帰り、見つけてしまったのです。

何を・・・そう、「中学生時代の卒業文集」を。

中学の卒業文集に、「21世紀の教育改革について」と書いていたことは鮮明に覚えており、STEAM JAPAN AWARDの表彰式などでもチラッとお伝えしたことはあったのですが。

内容を何を書いたかというのは全く覚えていなかったのです。

パラパラ・・・めくってみると。驚きました。

やはり、「21世紀の学校教育について」!そのまんまのタイトルでした笑。

こちらが現物です!

中学の卒業文集

読み進めていくと・・・特に「ゆとり教育」についての考え方が今とは異なっていますが(当時は中学生。当時は「ゆとり教育」についてあまり知らずに書いているようにも思います。)、経済格差についてや、自分自身が、みんなが、意見することにより学校教育をより良い方向に変えていくことができるはずだ。という箇所は今も考えている考え方でもあります。

「自分の思ったことを、内側から声をあげていかなくてはならない。」
よくよく思い出すと、本当に学生時代から、「どうして?」「なぜ?」、おかしいことには「おかしいと思います。」とハッキリ言うタイプだったなぁ、と思い出されます。

中学の卒業文集に、自分の楽しかったことや、行事についてなどを書くのではなく、「21世紀の学校教育について」物申す文章を書いていること自体が、ある意味自分らしいな、と思ってしまいました。

たまに、「なぜ教育事業をやっているのか」聞かれたりもしますが、これはもう自分が中学から思っていた「時代に合った教育を」「学校教育をより良い方向に」というある種の執念?!に近いものがあるなと思ったりもします。

中学の時の自分から、受け継いだバトンは、今もまだ持ったまま。

あの時の自分へ。

あの時感じていた理不尽や、おかしいな、という気持ちは、今の自分の原動力になっています。さらにより良い方向へ。バトンを持って走り続けます。

あとがき
11月1日は「新潟教育の日」だそうで、新潟県及び新潟教育委員会さんよりお声かけいただき、社会につながる探究的・創造的な学びについて、講演をさせていただく予定です。
日本全国、どんどんと探究的で創造的な学びが広がっていったら。と願っています。


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