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散文 / 母は強し。世間が思う一千万倍。

私は常々、母と母方の祖母を通して「女性の役割」を考える。

私は実家に暮らしており、祖母の家は徒歩20分の場所にある為、週に5日は祖母の手料理を食べに行く。人に手料理を食べてもらうことが生きがいなの、と話す祖母に甘えて、最近では「美味しい」の一言もあまり言っていない。とことん甘えすぎている。

この前もいつも通り車で祖母の家に行き、父、母、弟、祖母、私の5人でご飯を食べていた。その日はたまたまお酒に合う料理かなんかで、両親と弟がお酒を飲む代わりに、唯一お酒を飲まない私が帰りの運転を任された。

私は運転することが好きではないからか、母はしきりに自分がお酒を飲んでいいか気にしていた。一方で、父は当たり前のようにビール缶を開け、それに対して私を含む他の4人はあたかも父が酒を飲む前提で、全員の共通認識かのように何も言わなかったし、何も思わなかった。父が好きなテレビ番組を見ながらお酒を飲み始めている間も、祖母が作った料理を母と私がテーブルにセッティングする。食べ終わった後、皿洗いをする母と娘。何もしない父と弟。
帰りの車を運転しながら、突然私は気がついてしまった。父と弟のために母と私がせっせと働き、それに対して何も感じていなかった自分がいたことを。



娘に運転を任せて自分が酒を飲んでいいのか気にする母
帰りの運転の話が出る前から酒を開ける父と弟

家族のために料理を作る祖母、それらをテーブルに運ぶ母と私
好きなテレビを見ながら運ばれてくる料理を食べ始める父と弟

食後の洗い物をする母、それを手伝う祖母と私
何もせず食後のデザートを食べている父と弟


帰宅後、夜9時。
朝から放置してあった皿を母が洗いだした。
その日は母は1日中仕事をしていたが、父はたまたま休みで家にいた為、おそらく自分がやるのが正解だと分かっていたのだろう。その光景を見て、「俺がやるからそこ置いといてよ」と半ギレで言った。
結局そのピリついた空気が嫌で、私が残りの洗い物をやったけど、父はその状況でついては何も言わず、再びテレビに視線を戻した。私は「ああ、娘がやるのは止めないんだ」と思った。

この1日だけで、いや、この数時間だけでどれだけ「女の役割」について考えただろう。祖母の家で家族間の「役割」の対比に気づいてしまってからずっと、ずっとずっと考えてしまう。

共働き家庭ってなんだろう。
【共働き=専業主婦(主夫)ではない=家事は分担して行う】
単純に考えるとこういう思考になるのだが、どう考えても比重は母の方が大きい。
私の父は家事を率先してやっている方だと思うし、家族全員でご飯を食べる時は平気で4時間話し込んでしまうくらい仲も良いし、父が母を、母が父を愛おしく感じているんだなと分かる瞬間も多くある。
それでも、父と弟は当たり前のように座ってビールを飲める人で、母と私は運転を気にしながら皿洗いをやっている事実に、突然どうしようもなく悲しくなってしまったのだ。

父と母が結婚してから23年。
母はこの23年間で何度自分の「役割」について考え、悔しい思いをしただろう。少なくとも23年間。決して短くない時間。母だから、女だから、強いられてきた「役割」を思うと、母は他の誰よりも強く、娘の私は途端に悲しくなった。

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