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寝る前の読書

今から寝るだけ、の時間が好きだ。
仕事から帰宅して、もちろんくたくたで、いろいろな家事を終わらせて、ご飯を食べてお風呂に入って、やれやれ、あとは寝るだけ、の時間。

だいたい寝る30分くらい前に読書の時間をとる。
(読めないこともあるけれど)

就寝前に読むのはエッセイが多い。
(小説を読むときもある)
エッセイはひとつひとつの話が短いのがいい。
エピソードをひとつずつ読むと、言葉が自然に胸の底のほうに落ちていく。

今は3冊を順番に読んでるところ。

ひとつめは酒井順子さんの本。



今は敬遠されがちなさまざまな「差」について綴ったエッセイ。
多様性や個性が重視される世の中にも、見えないところで階級は消費されている。
わかりやすいのが皇室のはなし。
酒井さんの古典をひきながら語られるエッセイが好き。世相と照らしあわせながら格差が語られていて、なるほどなぁと唸りたくなる。


ふたつめは、穂村弘さん。



穂村弘さんのエッセイは、刊行されるたび読みたくなる。穂村さんの目をとおして現実を眺めると、世界の不確かさを見せつけられる気がするのだ。

ぐにゃりと現実が歪むような。そんなさまざまな感慨が短歌になっていくんだろう。
内容も装丁の雰囲気も、就寝前に良さそうな本。

最後は、気になっていた一冊。


noteで紹介されていて、読みたいなと思っていた本。予想以上に素敵だった。

私設図書館を運営する著者の、図書館の在り方と本のはなし。
これを読んでいると、図書館が秘めているものが(普段は見えなかったり、意識していない部分が) 明らかになっていく気がする。

司書でいることで果たせる役割についても再考できる。


図書館の書架は素晴らしい窓がたくさん付いている壁のようであり、図書館員は誰かを窓辺に招いて、窓を開き「あそこに綺麗な花が咲いているよ」とか「ここに立つと風が気持ちいいよ」と声を掛けることができるんだと、山奥で図書館をしながら気が付きました。

『不完全な司書』より


著者が、司書を「広大な森に分け入るための案内人」だと言っていたのも素敵だった。
図書館がさまざまな窓をそなえた場所なら、視野を広くする手立てにもなる。

不完全な、というタイトルが付いているけれど、完全なひとなんてこの世にはいない。

その不完全性を惜しみなくさらけだして、自分がとおった道を語るそばにはいつも本がある。

図書館が誰にとっても拓かれた場所であるべきなのは、どんなひとでも呼吸しやすくするためかもしれない。そんなことも思ったり。

本を貸し借りするだけ、本を買うだけ、じゃない図書館や書店が増えている。

今まで行ったなかでとくに素敵だったのは、上野の国際子ども図書館と、石川県立図書館。
書店なら、恵文社一乗寺店と文喫。


この私設図書館も含めて、いろんな書店や図書館めぐりを、またしてみたくなった。



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