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海水浴の思い出は、さざなみに乗って。

今年も、夏休みの予定を決める時期が近づいて来たので、2021年のnoteへ発表した作品を再掲します。


高校受験前までは親戚一同と毎年夏休み、千葉県館山市の内房総へ海水浴に行くのが本当に楽しみでした。うちの家族と母方の叔母二人の家族、時々父方の従姉妹も参加して、大体総勢で15人くらいだったかな。ファミリーを精神的にまとめていた祖母もまだ元気いっぱいで、出かける数日前には浅草橋の花火問屋に二人で買い出しに行ったものです。

館山に行く前夜は、子供心に堪らない興奮と期待でいっぱいになります。気が高ぶっているせいか明け方の四時頃に目が覚めてしまい、隣のリビングを見ると朝日にぼんやり浮かび上がる膨れた鞄が複数。それを確認して「ああ、今日から館山だ。嬉しいな」と二度寝をした記憶は、既に40年近く前なのにまだ鮮明に覚えています。


私が小学校6年生の時に念願だった犬を飼えるようになり、この柴犬とは本当に様々な場所へ旅しました。館山海水浴にも三回は参加したはず。ペットはケージに入れればサイズや距離は関係なく一律250円で国内に連れて行ける時代で、初海水浴の事前練習として上野公園に連れて行き、乗り物酔いしない体質なのだと確認。最初は犬連れするのにドキドキしましたが、普段は他人の訪問には神経質に吠える彼も、終始家族と一緒なのが安心なのかとても大人しかったですね。

東京駅の内房線「さざなみ」乗り場まで地下を降りてホームに進むんですが、いまだにあのステンドグラスを見るとワクワクします。大人になってからも幕張の漫画イベントに参加する時には「懐かしいなあ、館山に行ったなあ」と。

特急指定席券を事前に父が購入してくれていて、私はいつも窓側の席、犬のケージを脚の間に入れて覗き込むと、彼も嬉しそうに座っていました。東京から次の停車駅が錦糸町で、青砥と柏在住だった叔母達がそこから乗ってきます。


8月最初の週なのでほぼ乗車客は家族連れ。しばらく会えなかった従兄弟と声を控えつつはしゃぎ、叔母が作ってくれたおにぎりや唐揚げを食べて2時間と少し。車窓から海の青が覗くと、子供達のテンションがマックスに上昇します。あの気持ちは大人になっても全く変わらないですね。


まだ改築工事前だった昭和の館山駅に着くと、お土産店を少し回ってから各家族がそれぞれタクシーに乗り込み、長年お世話になってきた民宿へ。子供は待ちきれずお茶休憩している大人を急かして水着に着替えます。父と叔父が大きなビニールボートや浮き輪を膨らませてくれて……、初日に熱い砂浜へ足を踏み出すあの感覚はよく覚えています。


私は10歳になるまで泳げませんでした。母親に入れられたスパルタ教育のスイミングスクールでのトラウマから夏休みの水泳通いがずっと苦痛で。でも小学校4年の夏に「泳げない組」の楽しい指導を受けて一気にけのびが出来るようになり、一週間で15メートルスイマーに。それから水泳が大好きになって、大人になってからも旅行時はプールがあるホテルを探しています。


中学生になってから海の素潜りが得意になり、浅瀬で遊ぶ従姉妹の仲間には入らずにずっと水深2メートル辺りを潜っていました。近視なので母にレンズ入りのシュノーケルグラスを買ってもらって、忘れずに毎年持参。私が数時間も戻らないので、祖母と母は監視を怠れなかったようです。少しでも不安になると大声で呼び戻されたなあ。


波が穏やかで水温も暖かい千葉県内房の海岸は、家族連れには最適です。東京から特急さざなみに乗れば2時間弱で到着するし、安心出来るのは自衛隊基地がすぐ近くにあるので治安も良い。民宿から少し歩く場所の駄菓子屋にも子供達だけで往復していました。その頃はコンビニという存在が無かったんですよ……。

当然ながら雨続きの4日間にも遭遇。夏なので台風と当たりやすく、豪雨を眺めながらも従兄弟と屋内を走り回ったり、貸し出されている漫画を熟読したりなかなか充実していました。多分、白土三平の「カムイ伝」は館山の民宿で全巻読破したはず。はじめの2日間は無心に遊んでいるんですけど、3日目は「明日帰るんだ……」という重い空気感を背中に背負います。特に宿題は苦痛ではなく、一人っ子なので静かな家に戻るのが寂しくて。


朝と昼過ぎに海水浴をして泳ぎまくり夕方に入浴してバーベキュー、夜には花火。地域の盆踊り大会に混ざったりもしました。そうだ、バスに乗って海外線にある中華料理店でランチもしました!

従姉が発熱して寝込んでしまったりクラゲに刺されたり……アクシデントも含めて思い出すと本当に楽しかったです。最終日はお土産を買って帰りのさざなみに乗ると、一気に疲労に襲われて親戚と別れる錦糸町駅まで爆睡していることが多かったっけ。


館山宿泊中に台風が関東を直撃した翌日、たくさんの廃棄物が押し寄せた海も見ました。動物の死体が流れ着いてきたショックは忘れられない。でもあの年齢に普段は体験出来ない体験を重ねられたのは、大人になってから無駄になっていないと思います。遠足で出かけた川よりも海の方が暖かくて広くて好きだったし、水の流れや水温の差も子供ながら明確に判別しました。

思い返せば、あの当時の親世代と現在の私はほぼ同年齢。毎年夏休みに普段は離れている姉妹と遊びたかった気持ちも分かります。館山市が「南総里見八犬伝」やドラマ「ビーチボーイズ」の舞台だと知ってからも、高校の仲間達や親友と二人旅にて館山で泳ぎました。馴染んでいたのでやっぱり行きやすいんですよね。

40年近い年月が流れて、祖母や両親、親戚の多くが亡くなり私も一人。

もうあの賑やかな海岸を大勢で遊ぶ日はないだろうけど、またぶらりとさざなみに乗って懐かしい館山の海を訪れたいです。

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