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映画『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』

2019年/製作国:ドイツ/上映時間:94分 ドキュメンタリー作品
原題 Jenseits des Sichtbaren - Hilma af Klint 英題 Beyond the Visible – Hilma af Klint
監督 ハリナ・ディルシュカ




予告編(日本版)


予告編(海外版)


内容説明

 20世紀初頭、唯一無二のビジョンを確立し、
 カンディンスキーやモンドリアンより早く、
 独自の手法で抽象的絵画を描いていた画家がいたー

 その名は、ヒルマ・アフ・クリント。1862年にスウェーデンに生まれた彼女は、スウェーデン王立美術院で美術を学び、卒業後、当時の女性としては珍しい職業画家として、伝統的な絵画を描き、成功を収めていた。一方、彼女は多感な青春期から霊的世界や神智学に関心を持っていて、それは妹を亡くしたことでより強くなる。神秘主義に傾倒した彼女は、独自の表現の道を歩みはじめ、同じ思想を持った4人の女性芸術家と結成した芸術家集団「5人(De Fem)」での活動やルドルフ・シュタイナーとの出会いなどを経て、一層輝きを増していく。しかし、同時代の画家たちが新たな芸術作品を発表し、広く展示を行う中、彼女が自身の革新的な作品を公表することはなかった。そして、死後20年間はそれを世に出さないように言い残し、この世を去った…
 
 世界がようやく発見した驚異の才能!
 彼女は何を見つめ、
 なぜ美術史から拒絶されたのか
 
 月日は流れ、現代。彼女は突如として世界に発見された。
 各地の展覧会で評判を呼び、2018年~2019年のニューヨークのグッゲンハイム美術館での回顧展は、同館史上最高の来場数(約60万人)を記録し、大きな話題となった。今、世界中の人々の心を鷲掴みにする彼女の絵は、なぜ死後20年を経ても知られることがなかったのか。そして、生涯をかけて自分で道をつくり、その道を歩んだ彼女が、目に見えるものを超えて見つめていた世界とは。
 キュレーター、美術史家、科学史家、遺族などの証言と、彼女が残した絵と言葉から解き明かす。

公式サイトより


レビュー

 ヒルマの生きた時代に女性が知識と感性、さらにはオリジナルの芸術性を獲得するに至るには、そうとうに恵まれたそれなりの環境を必要としたが、ヒルマは選ばれし者であるかのように、恵まれた家庭に誕生した。

 理解ある父親は娘に(と言ってもヒルマ自身もまた聡明であったがゆえに父も娘の教育に力を注いだのであろう)、数学、天文学、航海術、等を教えた。
 その後、ストックホルムの技術学校にて肖像画を学び、スウェーデン王立美術学院に入学、卒業。
 ここまでの過程で、ヒルマは教養と美術の基礎を身につけ、その後の人生に重要な人脈を得たに違いない。

 その後、自らの画によって稼いだ資金を元に、科学や博物学等の情報を蒐集しゅうしゅうしその見識を広げていったとみるのは、あながち的外れな想像ではないように思うけれども、素晴らしいのはヒルマが世界を感じ、理解し、認識するために、総合的な学びを生涯に渡って行うための計画を、若い時分から立てていたことである。

 まず大地の花を理解したい
 世界の花々から始めよう
 同じように 水中の生き物
 全てを研究しよう
 そして様々な動物が住む
 青いエーテルに至る門を進む
 最後に森の中に入り 
 冷たく暗い木々の間に住んでいる動物や
 湿ったコケや 個々の木の研究をする
 

ヒルマ・アフ・クリントのノートより

 そしてヒルマは様々なものを写生するうちにある地点に達し、【この地球上の形あるものには共通する「法則」がある】ことに気付いたのであろう。

 ひとつのスケッチを完成させるたびに、
 人間、動物、植物、鉱物、創造物すべてに対する
 私の認識が、より明確になっていく。
 私は限られた意識から解放され、その上にいるかのような気持ちになる。
 

ヒルマ・アフ・クリントのノートより

 深く物を見る能力を持つ者は
 形の奥が見える
 そこにある生命と呼ばれる不思議な側面に
 焦点をあてられる

ヒルマ・アフ・クリントのノートより

自然の不思議を知れば知るほど
自分自身を知るようになる

ヒルマ・アフ・クリントのノートより

 そして決意し、更なる学びを積み重ねつつ、実行する。

 この瞬間 私は意識している
 この世に生きている自分は宇宙の中の原子で
 発展する可能性が無限にあることを
 その可能性を探求したい

ヒルマ・アフ・クリントのノートより

 思考は宇宙を幾何学的な図形に結晶化させる

ヒルマ・アフ・クリントのノートより

 恐怖は無視すべき
 己を信じる意思がないと
 良いことは起きない

ヒルマ・アフ・クリントのノートより

 力強い作品を作るために
 若い頃に切望していた形状や色の再現を
 諦めざるを得なくなった

ヒルマ・アフ・クリントのノートより

 必要なのは勇気だった
 稀有で素晴らしい教えを授けてくれる霊界を通して
 私はそれを与えられた

ヒルマ・アフ・クリントのノートより

 楽園のように美しく 感動的な色彩で
 私の奥底にある感情をさらけ出す10点を描く
 人生の四段階の構成について 世界に発信することが
 先導者の意図だ
 各段階で「最大の10点」が 4日かけて作られる
 幼年期
 青年期
 成人期
 老年期

ヒルマ・アフ・クリントのノートより

慣れ親しんだ人生を捨てる覚悟をした者だけに 新しい人生が現れ
その美と 完璧性は広がり続ける
だが それを手に入れるには 思考と感情の両方で静寂に至る 必要がある

ヒルマ・アフ・クリントのノートより

 ヒルマはトップで時代を駆け抜け、論理的でありながら美しい作品を数多く制作するが、時代の壁(「男社会」の壁)は厚く、無視され、無き者にされ、それどころかその功績を奪われた挙句、模倣までされた可能性すらある。
 ※本作ではカディンスキーがシュタイナーを通してヒルマの作品に関する情報を得ていた可能性を、「それとなく」「さらりと」しかしながら「しっかりと匂わせて」示唆している

 
 だがそれでもヒルマは屈することなく奮闘した

舞台で奮闘する
多くの演者は間違った服を着ている
女性の衣装の多くは男性を隠す
男性の衣装の多くは女性を隠す

ヒルマ・アフ・クリントのノートより

※「舞台」というのは「人生という舞台」のことであろう

 しかし、ヒルマの作品(抽象画)は最後まで(身内や友人以外には)無視され続けることとなった。
 だが、ヒルマは確信していたに違いない。自分の作品が世に出たならば、必ずや理解される日が来るであろうということを。

もし私の使命が成就するなら
人類にとって大きな意味がある
私には人生の最初から最後までの
魂の道のりを描くことが出来るから

ヒルマ・アフ・クリントのノートより


 そのヒルマの死から80年後、識者達は以下のように話した。

 「美術史はスーツ」。スーツを想像して。男性はその繊維
 全ての女性は常にその装飾品だった

 美術史を書く時は過去に書かれたものを引証する。追加はできても覆すことはできない
 だから彼女を美術史に入れるのはほぼ不可能だ
 特に歴史を狂わせるような人物は追加できない

 MoMAで「抽象画の発明」という展覧会があった
 でもヒルマンについては一切 言及がなかった
 これはある種の敵意だと言わざるをえない
 私の質問に対してMoMA いわゆる美術史のバチカン
 「彼女の作品が抽象芸術なのか確信がない」と答えた


 ヒルマの時代は 見たり触ったりできるものだけでなく
 見えるものの先にも 現実が存在するということが
 科学で明らかになった時代

 目に見えない光の領域で大きな発見があった
 人々は空間の全てが
 知覚できない強力な「波」で満たされていることを知った
 (中略)
 私達は世界を見ていなかった ということを発見した
 ここで奇妙な結論に至る
 もし芸術家として世界を ありのままに描きたいなら
 見えるまま描いたらダメだ (なぜなら)そうではないから
 ありのままに見せたいなら 創造をしないと

 彼女はビジョンを生むだけでなく 科学にも敏感だった
 自然科学や植物学と同じように 量子力学にも目を向けていた
 ダヴィンチは 芸術家であり科学者だった
 ヒルマもイメージの領域では同様だったと思う
 彼女は私達が現実であると理解するものの境界線をなくそうとした

 70年代初め 近代美術館に ヒルマの作品が提案された
 館長はこう言った
 「結構です。彼女は存命中に作品を公表しなかった。だから興味がない」
 (中略)
 彼は絵を見さえしなかった

 空想的な芸術家は芸術家でないとしたら 美術史はほぼなくなる
 コンスタブルやブレイク カディンスキーもいなくなる
 キリスト教以前のものも全部
 それで誰が残る?

 ヒルマが到達したのは
 意識の高い状態の可能性を
 受け入れることだったと思う

 彼女の作品の多くは二極化した世界で生きることを描く
 男性と女性の世界 昼と夜の世界
 暑さと寒さの世界
 私達は世界が両極端に分断されていると感じる

 世界の進化には ジレンマが伴う
 明と暗に分かれるのだ
 二つの力で成立する盲目の世界
 そこでは この問題は特に理解しがたい

 500年間の美術史に何人の女性が?
 基本的にゼロ
 理由は「偉大な女性画家がいなかった」から
 でも真実じゃない
 それは嘘だ

 男性の美術史では天才が全て
 天才ではないとして女性は排除された
 可愛い花の静物 素敵な肖像画
 完璧な風景画を描けても それは天才の作品ではないと
 女性にとって芸術の世界は今もなお厳しい
 コレクションの大部分が男性の作品で それが当然だと思っている
 多くの女性芸術家がいて 美術学校がある
 美術学校は 女性の割合が多いみたい
 だから学校とマーケットの間で何が起きているかを考えるべき
 これがクラブシステム
 ボーイズクラブでもマーケットクラブでもいい とにかくそういうもの
 それが多くの人(女性画家) を排除し 美術館もその例外じゃない
 

※上記コメントと同時に、鋭い指摘の面白いポスターが提示されますゆえ、ぜひ本作を鑑賞の事

 今や女性芸術家の展示では チェックボックスに印を付けて終了
 「よし、次に行こう。ポリコレだ。不均衡を解消した」
 それで女性の展示会は流行りになった
 でも望みはそうじゃなくて美術史の一部になりたい

 これは美術界のシステムに仕掛けた トリックのようなもので
 権威が何であるかを示す実験
 1940~50年代の抽象美術史を書いたのは?
 それはMoMA
 その作品を持っているのは?
 それもMoMA
 今 それに対抗する歴史が出てきた
 中心はマーケット外の女性
 MoMAにはない
 ゆえに「彼女は重要じゃない」と彼らは言う

 投資戦略として世界で売られる人気芸儒家は連作を手掛ける
 連絡だけが世界同時に販売できて より高く売れるから
 だから今 ヒルマが市場に出れば 皆 興味を持つし
 MoMAは真っ先に展示すると思う
 でも彼女が市場システムと相容れないというトリック
 とても悪意ある形で
  市場システムの狭量さがしめされていると思う
 この市場システムで大事なのは
 どれだけ稼げるかということ
 ヒルマでは稼げない

 
 本作の監督はハリナ・ディルシュカ
 その編集はとてもエキサイティングで、人々のインタビューの内容、そして監督自身の考えをも巧みに組み合わせ、且つ多数のヒルマの作品を惜しみなく提示しつつ、その言葉を的確に配置して見事であった。
 圧巻は、ヒルマのスケッチに描かれた場所を特定しそのスケッチが如何に正確なものであったか(ヒルマの画家としての実力が如何に高レベルに達していたか)、またヒルマの連作が如何に「論理的」「科学的」且つ明確な「意図」と「意思」でもって構築されていたかを解き明かした、シンプルでありながらこれ以上ない説得力を持つ、その手法である。
 本作が長編第一作であるとのことであるが、緻密で丁寧な、心のこもった傑作であった。
 


公式サイト


書籍





個人的なメモ

 ヒルマはいわゆるヴィーガンであった。
 とても納得。

 『吐く 吸う』というシンプルな作品に、長年の呼吸に関するイメージを具現化してもらえた。

 ヒルマの作品群は、人を虜にする魅力と知性を併せ持つ、稀有な芸術だ。
 有名美術館に飾ってある大抵の作品達は、通常、そのどちらかしか持ち得ないのだから。

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