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新しい自分になるには「それまでの自分」を殺して死ぬこと


アドラー心理学の思想を解説した書籍、嫌われる勇気の続編である「幸せになる勇気」にこんな言葉がある。


変化することとは、「死そのもの」なのです


この言葉には、それまでの自分を殺す覚悟を決めて、死ぬこと。そのくらいのことをしてやっと新しい自分になれる、という意味が含まれている。


例えば今、あなたが人生に悩んでいるとしましょう。自分を変えたがっているとしましょう。

しかし、自分を変えるとは「それまでの自分」に見切りをつけ、「それまでの自分」を否定し、「それまでの自分」が二度と顔を出さないよう、いわば墓石の下に葬り去ることを意味します。

そこまでやってようやく、「あたらしい自分」として生まれ変わるのですから。

引用元:幸せになる勇気 p.63より


自分の生い立ち、トラウマを理由にして変わらないでいた「それまでの自分」から抜けだし、新しい自分になった私の「転機」についてふり返ってみたい。

知人が「自分の転機の瞬間は覚えているものだ」と言っていた。確かに、10年たっても覚えている。



体重73kg。容姿のコンプレックスを抱え、常にネガティブな私。そこから18kg痩せ、美容整形に700万円かけて顔を変え、新しい自分になれたのは、その「転機」があったからだ。

私は昔の自分を一度殺して、死んだことになる。



16〜17歳のころの体重は68kg。

思春期だから当然、痩せたいと考えていたが、過食をやめられずにいた。綺麗な女性になりたいと思いつつも、運動もせずひどい食生活を送っていた。

身体はもちろんのこと、顔はいつも浮腫んでどこかしらにニキビができていた。食べすぎ、動かなすぎが習慣になっていたせいか身体はいつも重たく、だるい。

という「変われない自分」と「変わりたい自分」の葛藤に悩んでいた時期だった。

変わりたいと思いつつもできなかったのは、主に「精神的な問題」が関わっている。どうせ私なんか無理だ、頑張っても仕方ない、というネガティブ思考。私は愛される資格のない人間で、生きている価値もない、という自己否定・自己嫌悪。

慢性的に抑うつ的で、倦怠感がひどく、無気力感もあった。それらが邪魔をして、行動に起こせなかったのだ。

(今思うと、何らかの精神疾患だった可能性は高いが)

そしてその精神的な問題は、父子家庭で育ち、14歳で父を亡くしてひとり人暮らしになったこと。継母からの虐待経験。こんなダメな私になったのは、生い立ちやトラウマのせいだと考えていた。

「幸せになる勇気」にあった通り、新しい自分になるのは容易ではない。色々な理由をつけたところで結局のところ、私は苦労するのが嫌だったのだ。太っていく身体をながめる苦しさよりも、食べもので胃袋が満たされる毎日でいたかった。現実から逃げていたかった。

どこかで生い立ちやトラウマを「変化しないための材料」として使い、現状維持でいるほうが楽だと、なんとなく理解していたと思う。

だから、変わろうとしなかった。


新しい自分になる「転機」が起きた瞬間は、バイト先からもらったパンをいつものように過食した時のこと。

当時のバイト先はパン屋のレジ打ち。廃棄になるパンはもらえる仕組みになっていた。断ればいいものの、この日は10個ほどもらって帰った。コーン、マヨネーズ、ツナがのったパン。メロンパンに生クリームが挟まり、チョコレートがかかったパン。あんパン。ツイストドーナッツなど。全部で3〜4000kcalはあったかもしれない。

過食後、いつもなら「また食べてしまった……」という後悔や自己嫌悪。トイレに行って吐こうと試みたり、下剤を飲んで終わる。

でも、この日は違った。ウォーキングに出かけたのだ。

急いでジャージに着替える。リュックに水を入れた500mlのペットボトルを10本つめて、背負って家を出る。重たいものを背負って歩けば、消費カロリーが高まると考えたから。テレビか何かで仕入れた情報だと思う。

時刻は21時を過ぎていた。外はすっかり暗く、雨が降っていた。傘もささずに黙々と歩く。摂取したパンのカロリーは、重いものを背負って歩いただけで消費できるようなものではない。

でも、私の中では大きな一歩だった。

自分から逃げても、時間は止まらずに虚しく過ぎていく。時間が過ぎても、変わらない自分が虚しく残る毎日。パンを過食した時、そんな自分にたまらなく腹が立ち、その衝動のまま外に出た。

歩きながら、自分に怒っていた。痩せたいのに食べる自分。変わりたいのに行動を起こさない自分。葛藤や矛盾ばかりの私をいい加減、終わらせたかった。


雨に打たれつつ歩く中で、こう考えた。

『このまま怠慢な生活をしてなりたい自分にならずに生きるのか』

『苦労がともなうとわかっているけど、その道をあえて選んで新しい自分になるか』

どちらを選択して生きるか天秤にかけた。

だったらなりたい自分のなろう、一度きりの人生だと。

現実や変化から逃げる自分を捨てる決心(死ぬ決心)をして、ウォーキングに出かける行動を起こした。これが私の転機。


昔よりも変われた自分が、今ここにいる。


ただ、最近はさらなる新しい自分にむけて「それまでの自分」を殺し、死ぬ覚悟ができていない。

あの日の夜にウォーキングに出かけたような、自分を捨てた感覚をもう一度、味合わなければならないと思う。



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