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「忙しい」と口にする人が勘違いしていること。

こんにちは。
フリーランスのマーケティング・リサーチャー:眼力女子です。

今日は「忙しい」という言葉について考えます。

「忙しい」ことは恥ずかしいこと?

思えば、私は「忙しい」という単語が嫌いかもしれない。

いつ頃からそういうふうに思うようになったかはわからないけど、バイトをしていた大学生のときからもうそう思うようになっていたのは確実。

バブル期のその当時、私はめちゃくちゃバブラーな大学にいたけど、私自身はバブラーに浸りきれない地方から出てきた女子大生だったわけで。

みんなが遊びあくれている中で、私は必死にバイトをして、その合間に大学の勉強も結構頑張った。

お金がたんまりある同級生たちがバイト先にやってきては「も~、自虐的だね!どんだけ忙しくしてんのよ」とよく笑われたもんです。

大学の勉強も面白かったから全然苦ではなく、むしろ自分から積極的に講義に出てた。

そんな私に「どうして手抜きしないの?あの講義は出欠だけでいいんだよ」って同級生たちは優雅に笑いながら私に言ったもんだ。

あのときの日々は私にとって実になる他のなんでもないけど、その頃から「忙しい」って恥ずかしいことなんじゃないか、って思うようになったのかもしれない。

「忙しい」ふうに装うことはときに武器になる?

そして、社会人になって、最初はとある大手化粧品会社の美容部員に。

新人の美容部員は奥の倉庫やバックでの雑用が多くて、なかなか店頭に立つ時間がない。

それでも毎日お店のマネージャーから毎日のノルマをいっちょまえに与えられるから、なんとか売上を達成しなくてはならない。

店頭では優雅に接客しているけど、裏ではめちゃくちゃ忙しく雑用をこなしているわけで。優雅に余裕ある感じで店頭に立てば立つほど、先輩たちは「あれ、やったの?店頭にいてもいいの?」って言われた。

でも逆に、「忙しくて全然店頭に立つ暇がなくて、ノルマが達成できません!」と先輩に泣きつくと優しく雑用を手伝ってくれたり。

このときはある程度「忙しさ」を装うことが武器にもなるんだなと学んだような気がする。

結局、女だらけの環境に合わなくて、逃げるように退社したけどさ。

「忙しい」ことはダサい?

そして、今の職業に繋がるマーケティング・リサーチ業界へ。

マーケティング・リサーチ業界はその頃もきっと今も(いや、コロナ禍でずいぶん働き方改革は進んだと思います)、ハードワークな世界。

今から30年近くも前になるはずなのに、その当時の会社はフレックス制を導入していた、今から思うと最先端。


めちゃくちゃ働いた。

自虐以外の何がある?と思うくらい身を削って働いた。

もちろん仕事が面白かったから。


その当時の会社は残業したり徹夜したりするのが当たり前。

クライアントから夜に電話かかってきてそれからレポートや企画書作成なんてのも日常的にあった時代。

だけど、社風的に「忙しぶっているのダサくない?」という雰囲気がありました。

例えば、その当時は今のようなテクノロジーがないので、最後にオフィスのカギをかけた人は毎日ノートに帰宅時間と自分の名前をサインして帰る決まり。

だから、毎日誰が一番最後まで残業しているのか、何時まで残業していたのかが分かる仕組みで。

それを社員たちはそのノートを見ては「ねえみて、またこの人、徹夜してる」「またあの人がカギ閉めだよ」「連続何日なんだろうね」って噂話をしていました。

だから、残業しても徹夜しても、それを人に言いたくない、言わないという雰囲気。

「昨日遅くまでやっていたの?」と聞かれないように、私だけじゃなく、みんなやっていたと思う。

その当時の会社ではそういう風潮だったんです。

だから、フレックス制をみんなうまく使って、日中は集中して効率的に、でもクオリティは維持して、もちろん徹夜や残業は否めない。でもメリハリを作って、ずっと忙しくならないように自己マネジメントする。

それが当たり前の価値観。

必死で段取りを覚え、効率的なタイムマネジメントを学び、できるだけ早くできるだけ上質なアウトプットを。

決して「忙しい」ことがかっこいいことではなかったし、ポジティブな価値観でもなかった。

「忙しい」人は仕事ができない?無能?

そして、またこんな例も。

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とある男性社員さんがおりました。

その男性社員は段取り悪く、いっつも遅くまで残業してました。

それなのに、周囲には「俺、昨夜遅くまで忙しくてさ」とか「また残業しちゃったよ」とか、さも手柄のように得意げに自慢。

周囲の社員たちはそれに辟易してた頃。

その男性社員の奥様は中国人。

毎日帰宅するとやいのやいの、いろんなことを言われるみたい。

そんなある日、男性社員はみんなにこう言いました。

昨夜帰宅したら、かみさんに「あんた、なんで毎日そんな遅い!」って怒られたから「忙しいんだよっ!」て言い返したんだ。

そしたらさ「それはあんたが無能だから!」って言いやがるんだぜ、ひどいだろ~。

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って。

これを聞いた周囲の社員は全員笑いをかみ殺し。

「本人は無能だけど、奥さんは有能だね。」という定評に(笑)。

そんなエピソードが語られるほど、その当時の会社は今で思うと働き方改革最前線だったんだな~と思う。

人はなぜ「忙し」ぶるのか?

それなのに、忙しぶる人は必ずいる。

「忙しい」=「仕事ができない」=「恥ずかしい」という方程式で育ってしまった私にとっては、「忙しそうね」と声をかけられるとそれはなんとも言い難い情けない感情になるのです。

そんなときは「そうね、忙しい」って答えるのが正解なのか、それとも「いや、忙しくないよ」って答えるのが正解なのか、毎回悩む。

最近は「忙しくしているようにみえる?」と聞き返すようにしています。

私が「あの人、忙しそうだわ」と感じるのは決して褒め言葉じゃなくて、「みっともない」「段取り悪い」「なんとかしたら?」という想いから。

そういうふうにみられているとしたらいやだな、と思って。

「忙しい」って無能の印だと思うんです。

だから「忙しい」を言い訳にしない、って決めてる。

「忙しそう」な人の特徴

私から見て「忙しそうだな」って感じる人は、

・心の余裕をなくしてる
・やることに追われて、自分を見失っている
・忙しさを理由に、周囲に配慮がない

こういう人たちは、自分が「忙しい」ことによって周囲に迷惑をかけている自覚がない。

自分自身がボトルネックになって、さらに前に進まないという負のループに入っていることに気付くべきだと強く思う。

そんな無自覚に忙しい人には「あえて時間を作って、やることリストと優先順位付け、スケジューリングを行うこと」とアドバイスしています。

時間的なゆとりは精神的なゆとりにつながります。

「時間がない」からこそ、自分の時間を組み立てる時間を作るのです。

私が過去、会社のHRMの一環で「有能な人のコンピテンシーモデル」を作成したときに、行動の7割は段取りだったという分析結果だったから。

「段取りよし」=「有能」は、データ的にも実証できています。

「忙しい」と自慢する人の傾向と対策

それと、「忙しい」「忙しい」と口にする人は、

・忙しい自分はかっこいい
・忙しさは有能の証拠
・忙しいのは人のせい

と思っているわけで。


正直、私が今まで出会った人で、これ以上の激務はあろうか?と思った人はただ一人。

その人は、医者であり政治家であり経営者であり母であり妻であり親を介護している、しかも難病持ちでもある、幼馴染み。

常に余裕があり、くだらないメールにも即レスをくれる。

いったいいつ時間があるの?と思う人間の器。

彼女が「忙しい」と口にしたならば、それは真実で、友人としては助けてやらねばと必ず思うだろう。

でも彼女が「忙しい」という単語を口にしているのを知らないし、はたからみてて「忙しそうだな」と感じたこともない。


これ以上に時間が足りない人はいますか?

これ以上の責務を負っていますか?

これ以上に忙しい人はいますか?


だから、「忙しい」「忙しい」と口にしている人に私は言いたい。

あなたは本当に何でどんだけ忙しいの?

それに対して、私からどんな返事を期待しているの?と。


何度も言う。


「忙しい」と口にするたび、「私は段取りが悪い無能です」と言っているのと同じだよ。

「忙しい」のは、誰のせいでもない、あなた自身のせい。

自分で自分の首を絞めている。

そのことに早く気づかなくちゃ。

「忙しい」と口にするのを意識的にやめた方がいい。

さらに無能が加速する。


私の営業マインドの鉄則として「常に優雅に」。

クライアントに対して常に余裕でゆとりある感じで接すると肝に銘じています。

なぜなら、クライアントは忙しそうな人に仕事を振りません。

意外と思われますか?

・忙しそうな人は自分の仕事をちゃんとやりきってくれなさそう
・忙しそうな人はスケジュールを守らなそう、調整が大変そう
・忙しそうな人は自分の仕事の優先順位を下げられそう

・・・などなど、実はネガティブな印象を持つことの方が多いんです。

だから、営業成績を上げたいと悩むビジネスマンにはまず「忙しい」と口にするのはやめて「いやいや、全然忙しくないんですよ。だからいつでもお声がけください」と言うようにさせると同時に、メールや電話に対しては常に最優先にレスをするように徹底させます。

それだけ?と思うかもしれませんが、それだけで営業成績は抜群に伸びます。

「忙しい」という言葉は、ビジネス上、全くメリットを持ちません。

「忙しい」というマウンティング。

また「忙しい」=「稼いでいる」というアピールの人もいるみたい。

そういう人の場合、「私、忙しいのよ」はある種のマウンティングでもあるわけで。

特に、最近の起業ばやりの中では「私、忙しいの」をアピールするSNSも目立つ。

いやいや、本当に忙しかったらSNSやっているヒマなんてありませんから(笑)。

それに、忙しい状態での稼ぎ方って全然かっこいい稼ぎ方じゃないよね。

身を削っているレベルってことだ。

それに「忙しさ」は、実はその人その人によって感じ方の程度が違う。

え?たったそれだけのことで忙しいの?って思う作業でも、その本人にとっては「忙しさ」の極致だったりすることもあるだろうし、

前述の幼馴染の彼女のように、え?それで忙しくはないの?って思うくらいの量を日々こなしている人もいるし。

だから「忙しさ」を、自分の方が忙しいとか口にして、人と比べること自体が無意味。

そっと自分の心の中だけで「この世で私が一番忙しい」と思っていればいいんです(笑)。

「忙しい」に対して認識を改めよう。

というわけで、ながながと「忙しい」という言葉について考えてきました。

なぜこのタイミングで?と思うかもしれません。

それはやっぱりこのコロナ禍、思うところがあったこの時期、働き方改革が叫ばれ、行動変容とともに意識を大きく変えなくてはいけないタイミング。

もう一度みなさんにも「忙しい」という言葉の意味を考えて欲しくて。

私ごときがおこがましいとは思いますが、何の気なしに「忙しい」と口にしている人に気付いてほしい。

自分で自分の価値を下げていることに。

「忙しい」のは決してかっこいいことじゃない。

結局いいたかったのはそういうこと!











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