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毒親は、家族の死体を叩きたい。

母が求める家族の死。

母にとっては義理の両親。
母にとっては夫。

彼等の死を
あの人は懇願する。

「あと何年以内に、仕事中に死ねば…」
「〇〇が死んだら棺桶にある死体を、鞭で一緒に叩いてあげようね」

夕飯時や、ふとしたタイミングに始まる、いつもの日常。



幼い私も無知だった。

幼い私は
それを「うんうん」と聞き、そういうものなんだと純粋に思っていた時期すらもあって

一緒にやろうと求められたときには
何も考えずに「うん」と答えた。

ただ同意すればいい。あの人が求めているのはそれだから。
(実際にやることはなかったし)



何も感じない子ども。

そして
死を願われている家族に対して、私は何も感じなかった。

母から、死を願われている家族も
私にとって、虐待者であることには何ら変わりはなく、
願われても、仕方のない行為をしている。
(虐待の種類が違うだけ)


小学校に上がる前から
こうした話題が、ごくごく普通、よくある光景になっていた気がする。

今思うと、



『家族が死んだら、鞭で一緒に死体を叩こう』
なんというパワーワード。

幼かった私は
どこの家庭も、家族が家族の死を願い、
そのあとに入るお金を楽しみにしていると、違和感すら感じない。
(他の家を知らなかった。ここが私にとっての当たり前だったから)

そして

何も分からない子どもに
それを求めるあの人を、異常という一言で片付けていいのか…
当時の私には、まだ判断することができなかった。



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桜色せつな
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