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むかし弟とやり込んだサッカーゲームの話

私には4つ下の弟がいて、小さい頃はよくテレビゲームをした。その中で思い出深いものの1つに、スーパーフォーメーションサッカーというスーファミのソフトがある。我々はこれをスーフォーと呼んで親しんでいたのだが、今回はそのスーフォーにまつわる兄弟の思い出について回想してみたい。

まず任天堂のホームページを見ると、スーフォーの概要は下記のようになっている。

このソフトは、1991年に発売されたスーパーファミコン用のスポーツゲームです。
ゴール後方から眺める、3D視点が特徴のサッカーゲームで、選手ごとに個性がある16の基本チーム、8種類のフォーメーションを選択可能。世界の強豪相手に勝ち抜くヒューマンカップ、1試合のみのエキシビジョンといったモードが遊べます。2人での対戦はもちろん、協力してヒューマンカップを遊ぶことも可能です。

「ゴール後方から眺める3D視点」というのは、次のようなことである。例えば下の画面だと、白のドイツチームが赤のベルギーチームと対戦しており、白は画面下方から上方に攻め上がって図にあるベルギーゴールを目指す。

逆のパターンは下図、オレンジのオランダと青のウルグアイの対戦。青が上から下に攻めてきて、図のオランダゴールを目指す。ボールが赤または青(陣地が上側にあるチーム)のゴール付近にある時は上の図で、ボールが下に行くに従って画面が縦スクロールしていき下の図のようになる。

おわかりだろうか、下から上に攻めるほうは視界がいいが、逆は視界が悪いのである。例えばオランダの立場で、敵のロングシュートがカーブして飛んできたら?シュートを打った地点がセンターサークルだとすれば、画面には最初その付近しか映っていない。ボールとともに視点が下に移動してきて、オランダゴールが映る頃にはボールは既にゴールイン寸前である。

つまりオランダキーパーは、ボールの軌道を読む力と、かなりの反射神経が求められる。一方で下から上に攻めるオランダは視界がいいのでパスワークなどがしやすい反面、ウルグアイ側もかなり前から自分のゴールが見えているためキーパーとしては守りやすい。このような違いがあるので、公平のため前半・後半で視点(陣地)が交代するようになっている。

最近のサッカーゲームはどうなっているのか知らないが、当時としては縦スクロールのサッカーゲームは画期的だった。だいたいは横スクロールで、左から右に攻めるチームと右から左に攻めるチームが対戦する、ある意味公平で、全体を俯瞰するような視点が主流であり、スーフォー発売以降も縦スクロールはニッチな立場であり続けたように記憶している。

また、視界が悪いことに起因するのかもしれないが、横スクロールのゲームに比べれば選手やボールのスピードがノロい。これにより、慣れてくると、相当ダベりながらプレーすることが可能になる。特に下に攻める時はなかなか相手を抜けないので(なにしろディフェンダーが見えないから。ディフェンス側は見えなくてもある程度選手を操作でき、突如タックルで襲いかかれる)、下側の神ディフェンスと上側の神ゴールキーパーとのねじり合いとなり、膠着したゲーム展開の中で四方山(よもやま)話が繰り広げられるのである。

そんな膠着状態を打破しようと、必殺シュートの開発も行われる。例えば前述したカーブのロングシュートは、本当にセンターサークルから打ってしまうとゴールに到達する頃にはボテボテになってしまうため、いくら視界が悪いといっても余裕でキャッチすることができる。なので選手のシュート力に合わせて絶妙な発射地点を選び、ドライブシュート!とか言いながらゴールの端ギリギリを狙ったりする(カーブをかけつつ端を狙うのはそう簡単ではない、高度な技だ)。

あるいは、地面スレスレを這うイーグルショットでゴール端の最下を狙う。サイドラインすれすれを攻め上がり、横からカーブでミドルシュートを放つ。あるいはショートコーナーから同じ動きに繋げる。反則を誘ってPKを得るための、相手ゴールエリア内での執拗なドリブル。反射神経(集中力)を極限まで高めているために全く動かないキーパーに対して、めちゃくちゃ近距離まで近づいてゴール高めに突き刺すファイヤーショット。さまざまな必殺技が開発された。

そうなると守る方の技術も向上せざるを得ない。相手のポジショニング等から何を狙っているかを読み、各攻撃に対応したキーパーのポジショニングや、ディフェンダーとの共同戦線、オフェンスラインへの圧迫、カウンター手法の開発。結局は膠着状態に落ち着くのであるが、四方山話は(必殺技が出そうなタイミングなど)所々に緊張感が散りばめられた形に進化していく。これは対戦の時間を無限にとれる、兄弟ならではの現象だと思う。

ところで、noteの中を探してみると下記のような記事が見つかる。ゲームが兄弟間の仲を取り持つのは我が家だけの話ではないらしい。

まぁ男同士の兄弟なんて世の中こういうものなんだろう。どんな兄弟にも多かれ少なかれ、ライバル関係というものがあると思う。ゲームという非現実世界では意地を張る必要がなく負けても傷つかない一方で、競争心自体はそこで発散することができる。また繰り返し遊ぶことによって相手の考え方、ゲーム戦略が分かり、それを取り入れることも可能だ。

ある攻め方をしている時、「はいはいそれね、ではこう返しましょう」というのは、言葉ではなくゲーム内の行為であるが、まさしくそう言っているかのように機能する。ゲームはコミュニケーション行為そのものであって、下らない四方山話はそうしたコミュニケーションの内容を下敷きに行われている。
ゲームを離れた話題はもちろんあるけれども、その話題から離脱してすぐまた今しているゲームの話に戻れることが、冒険に出る(現実の話をする)にあたっての安心材料になるのである。

男ってそれくらい面倒くさい生き物だ。子供の頃はケンカして、思春期には無駄口をききたくなくなり、働きだしたらどんどん共通の話題がなくなる。それでもゲームが共通の趣味であれば、無駄口をききたくない思春期でも会話ができる。ゲームは無駄であると同時に、極めて厳格なルールから成る論理的存在だからだ(無駄口をききたくないというのは論理的なことしか言いたくないということである)。言語の能力が未発達な時期に論理的行為ができる気持ちよさを、ゲームは提供してくれる。

大人になってお互い忙しくブランクができても、それこそSyuheiinoueさんの記事にあるように「やるか」の一言で関係が取り戻せるだろう。様々な対戦ゲームを何度もプレーして、これほど実力伯仲している相手は兄弟以外にない。新しいゲームも互いに同様なスムーズさで習得できる。ゲームが教育に悪いだの、逆に脳に良いだの言われるが、コミュニケーションの共通基盤という側面は見落とされやすいのではないか?

対戦だけではなく、1人用のマリオを死んだら交代するルールでプレーすることで共通の目的に向かって進むとか、がんばれゴエモンゆき姫救出絵巻の2人同時プレーでチームワークを育むとか、それこそサッカー日本代表を一緒に応援するためにスーフォーの日本チームを使ってワールドカップに立ち向かうとか、コミュニケーションにも色々ある。1人用のシミュレーションゲームでさえ、片方がプレーしているのをもう片方が見ながら口を挟むことができる。

最近はオンライン対戦が当たり前になっているだろうけれども、同じ場所の空気を共有しながら大画面でゲームする楽しさが身に沁みているから、私はなかなか携帯ゲーム機やオンライン文化に馴染めない。みんながどう考えているのか、知りたいところである。

ちなみに今回ご紹介したのは初代スーフォーだが、日本チームでワールドカップを勝ち抜く2人同時プレーの際は下記のソフトを使っていた(ドーハの悲劇で有名な94年ワールドカップ終了後の実データが使われている)。サッカーゲームは実在の選手に感情移入する意味でも役に立つと思う。2022も頑張れニッポン!!

参考:その他のスーフォー

ではでは。

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