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私の好きな映画ベスト50 Part4!!!!


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50位から35位までのランキング

これまで好きな映画50位から11位までをまとめました。
いよいよ残り10作品。
まとめていてあれ入れてないなとか、入れそびれた~が非常に多くなってしまったのですが、残り全力でまとめていこうと思います。

※個人的なランキングのため、評価軸は個人に属します。
なんであの作品入ってないの?とかなるかもしれませんが、そこは悪しからず…。
あと最後なので超絶駄文で長いと思います。


いよいよトップ10!

第10位『炎628(1985/蘇)』

監督:エレム・クリモフ 主演:アリョーシャ・クラフチェ

レンタルの扱いもほぼなかった一時は“伝説の戦争映画”とも呼ばれた本作『Come and see』。
ソ連からドイツへの憎しみがフィルムから伝わる。
凄いものを観てしまった。

前半の静けさから落とされる、多くの爆弾。
逃れ村へ向かう。
誰もおらず、すべてを理解する。
そして悪夢とも呼ぶべき後半へと向かっていく。
残虐なシーンは数あれど、グロさはあまりないと思う。
道徳観の欠如した場においては、なんだかおかしくなってしまう。
主人公の少年は、命からがら逃げ出すことに成功する。
だからこそ、この世の様々な地獄に触れることになる。
いっそのこと死んでしまえれば、これ以上苦しむことはないのに。
子供だからこそ、戦うことがかっこいいことだと思うけれど、戦場とは現実には踏み入れてはいけない場所。
たった一人の少年にはあまりにもむごい。
途方のない道を歩き、いつ死ぬかわからない日々。
仲間は次々と消えていき、残っていったのは何だろうか。

「子どもからすべては始まる。
貴様らはみんな死ね。
お前ら民族に未来はない。」

本作はずっと前から観たかった作品。
この映画って、映画なんだけど実際にその場にいるような感覚に陥る。実際にどうだったのかなんて知らないのに。
ナチスはひどいことをした、という言葉を聞いてもその詳細を知らない。
実際にここまでの所業を行ってきたのならば、どう感じていいのかわからない。
僕ら人間は誰しもこうなる可能性があるんだから。
今まで観てきた数多くの映画では感じなかった、人間の凶悪性。
確かにドイツ兵に対する怨みなど込められているだろうが、戦争というものがどれほど人間を変えるのかという恐ろしさのほうが際立つ。
ここまでの力強さや残酷さ、無力さや不甲斐なさ。すべてを映し出している本作は、おそらく二度と生まれることはないであろうと断言できるほど凄まじい傑作。
人間が犯してきた過去を僕らは見届けなければならない。

予告編はこちら(※予告編でも結構えぐいので閲覧注意?)


第9位『未来世紀ブラジル(1985/英)』

監督:テリー・ギリアム 主演:ジョナサン・プライス

『モンティパイソン』シリーズのテリー・ギリアムの異様なSF作品。
カオスなカルトSF映画で終わらせるにはあまりにももったいない。
ジョージ・オーウェルの『1985』をベースに、独特な世界観を構築する。

情報管理社会という未来を描いた本作。
便利になっていくはずの情報管理社会。その反面わずかなミスや綻びが仇となっていく。
現代社会において、自分の思い通りになる場所とはいったいどこだろう?
それは自分の空想の中だけだ。
主人公が思い描く空想や、毎晩見る夢は第三者から見ればただの笑い事。
現実に価値を見いだせず、ただ仕事をするだけの人生。
だが突然現実に現れた空想世界のヒロインがいれば、そのために闘うのが男ってものだろう。
彼女を助けることこそが彼にとってのいきがいとなった。
そこから社会への反抗が始まるわけだが、その芽は潰されていく。わずかな希望とともに。
この映画に出てくる人々はまるで感情がないみたいだ。人が少しずつ狂っていて、まともな神経をしている人が少ない。
デニーロ演じるテロリストがまともな人間なのに、指名手配っていうのがおかしい。
この世界では希望を持とうとする人間ほど消されていく。統制された社会に反抗する人間こそが危険だからだ。
それでいて誰もが管理された社会に対し、何の疑問も持たずダラダラと日々を過ごす。
そこにはある種の諦めがあるのだろうか。
そして本作は衝撃の結末を迎える。
このエンディングはそれまでのハリウッド映画に対する批判も込められており、変更を余儀なくされたみたいだが、現在は無事監督の意向していたエンディングで収録されている。はっきり言って、本作はこのエンディングじゃなきゃ意味ない。

本作にはテリーギリアムの脳内に連れていかれるほど熱量がある力作と言えるだろう!
狂ってるのはこの映画か?それとも世の中か?

予告編はこちら


第8位『東京物語(1953/日)』

監督:小津安二郎 主演:笠智衆

日本が誇る名監督小津安二郎。
本作は多くの映画ランキングで必ず名前が挙がるほどの名作。
やはりその輝きは現代でも光を放ち続けている。

戦後の東京。
尾道からはるばるやってきた老夫婦。
すでに社会人となった子どもたちは、最初は快く受け入れるが、段々と雲行きが怪しくなっていく。

家族の在り方とはいったい何だろうということ。
親という存在はいったい何だろうということ。他人、ひいては人間とはいったい何だろうということ。
本作の舞台である東京は、戦後復興から大都会へと変貌を遂げる前。
そのため仕事で忙しくなるというのは必然であるだろう。
どこか両親に対して冷たくあしらっている長男長女。仕事の忙しさにより、両親をかまう余裕がなくなってしまっている。
現実は確かに厳しく、嫌なもの。
理想は誰もが支え合い、優しさを与えていくもの。
親を大事にすることはもちろん忘れてはいけないこと。そして他人のことを大事にすることも、同じように必要なことなのだ。
理想は叶わないかもしれないが、できるだけ理想に近づくことはできるはず。
この社会では仕方がないということではなく、一人一人の心持ちで変えていくことが大切。
人と人は繋がっていて、本心を語り合うこと、思いやることは、毎日心に留めておかなければならないこと。

本作が小津安二郎の代表作であり、傑作であり、日本が世界に誇る映画と呼ぶにふさわしいと思う。
家族という枠組みから、戦後復興期の日本全体を描く小津安二郎。
どの作品も素晴らしいが、彼の作品のなかでも本作と『麦秋(1951)』は、心を深く揺さぶられる大傑作。
まだ鑑賞したことがないということなら、確実に本作は観ておくべきである。
小津安二郎の魂は国を越え、年代を越え、伝わっていくのだ。 

予告編はこちら


第7位『ぼくの大切なともだち(2006)/仏』

監督:パトリス・ルコント 主演:ダニエル・オートゥイユ

フランスの監督パトリス・ルコントは、『髪結いの亭主』や『仕立て屋の恋』など恋愛映画の印象がとても強いが、友情を描いた作品も良作が多い。そして本作は大好きな作品になった。

モノにしか興味のない男。
名前はフランソワ。
歳は50ぐらい。
職業は美術商。
仕事はやり手。
妻と娘がいる。
だが友だちがいない。
今、初めて気付いた。
端から見れば、身なりもよく社交性もあるように見える。
だが、初対面の人に声をかけて怒らせるほどであまりにも不器用。
実際に人との関わり方みてたら、プライド高いし、何でも金でつろうとするし、自覚がなくてどうしようもないおじさん。
全体的に温かい世界観でありながら、友だちというものの存在について今一度見直したくなる。
ブラックユーモア的な要素も強いので、主人公に鋭く突き刺さるナイフのような一撃は面白い。
理想的な友だちがいればそれは最高だが、理想的な友だちになれる人と出会っているのに見過ごしてはいないか?
身近な限られた人を大切にしているのか?
人という存在に対して、無関心になっていないだろうか。

どんなときでも側にいてくれる。
恋人だって大事だが、友だちだって大事だ。
元々コメディ畑のルコントの本領発揮と言える本作。
完成度としては決して高いわけではないが、個人的には友情を描いた作品が好きなので、今回ランキングに!
ちなみに主演のダニエル・オートゥイユは今回のランキングの『隠された記憶』にもランクイン。フランスが誇る名俳優でもある。本人はアルジェリア出身ではあるのだが。

予告編はこちら


第6位『アイズワイドシャット(1999)/米』

監督:スタンリー・キューブリック 主演:トム・クルーズ

誰もが知る巨匠スタンリー・キューブリックの遺作であり、彼の作品群の中で最も語られることが少ない本作。
確かに冗長でありメリハリもない作品ではあるだろうが、嫌に現実的なこの世界観に深く沈むほど浸りたくなるのだ。

主演にはトム・クルーズ×ニコール・キッドマン。
主演にこの美男美女を据えたのは、夫婦は表面上には美しく、他者から見れば羨望の眼差しであるべきだという意味なのだろう。
そんな夫婦の関係にいつしか亀裂が生まれていく。
至るところで浮気の誘惑が待ち受けるトム。
その部分に足を踏み入れかけている。だが浮気をしようとしても心のどこかで歯止めがかかり、浮気しようとした相手の行く末を見れば、社会的に闇へと堕ちてしまうというのは見てわかる。
本作は浮気や夫婦関係についてのあまりにも普遍的なメッセージを複雑に提示している。
本作のタイトルは、アメリカのことわざがあてられているようだ。
『結婚前は目を十分開け、結婚後は目を半分閉じよ。』 
タイトルの『アイズ・ワイド・シャット』とは、結婚生活のことわざをもじったタイトルのようにも見える。
だが、もうひとつの意味がある。
現実世界の全ての真実は、いつだって誰だって手にいれることはできない。
世の中の真実は、取捨選択されている。
誰がその真実を知っているのか。
そんなこと、僕たち一般人には一生わからない。
"ある程度のことには目をつぶる必要がある"というのは、夫婦生活の成功の秘訣であるようで、この世界で生きていく上での合言葉。
"ある程度のこと"とは真実。
探らずに"目をつぶる必要がある"のだ。
本作は、世の中や世界の真実というものの曖昧さまでもを描ききっている。


本作が撮影された後、キューブリックは死を遂げることとなる。
陰謀論者により様々なことを語られる、非常に扱いに困る作品ではあるが、現実世界にふと訪れる不可思議な瞬間を切り取った本作はいいも知れぬ魅力がある。
上品さがあり、美しさがあり、不気味さがあり、唯一無二の世界がある。
キューブリック作品はどれも素晴らしいけど、本作だけは別格。圧倒的すぎる。
いくらなんでも冗長すぎるが、キューブリックの遺作ということもあって最後まで目が離せない。
メッセージがあってもなくてもいいのだ。
だってキューブリックだぜ。 

予告編はこちら(本編はR18なので鑑賞注意)


第5位『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う(2015/米)』

監督:ジャン=マルク・ヴァレ 主演:ジェイク・ギレンホール

妻が交通事故で死んだ。
でも悲しくないんだ。
朝車で通勤途中の夫婦の会話が展開されていくが、そこで意識が飛ぶ。
目覚めると病院。妻は死んでいた。
周りが悲しみに暮れるなか、夫であるディヴィスは自販機にイラついていた。
妻が亡くなったのに、彼は悲しみを感じることはなかった。

無くなってから気付くもの。
無くなっても気付かないもの。
大切な人を亡くしたことで、自分を振り返ってみると、自分の中身は空だった。
全てを成り行きに任せ、本心と向き合うことから遠ざけていた。
心の中のモヤモヤ。
悲しいことなのに悲しくない。
本作は『"壊す"ことで再生する物語』だ。
ディヴィスは身の周りのものを壊していく。
壊すということは中身を完全に把握するということ。
パソコンを壊せば配線や基盤。トイレのドアを壊せば金具や板。家を壊せば柱やコンクリート。
壊すだけで中身が全てわかる。
でも自分を壊しても中身がわからない。

生きているうちになぜ自分は愛することを疎かにしていたのか。
忙しすぎる毎日は、いつしか空虚になっていた。
毎朝同じ時間に起き、運動し、体毛を剃り、数字とのにらめっこ。
そして一日が終わる。
妻のことを含め、身の周りのことすべてに無関心だった。
そして妻が亡くなり、一人の時間ができ、空虚だった自分と向き合うことになる。
そこでやっと気付くんだ。
自分という存在と、疎かにしてきたすべての物事。
自分を壊して、壊して、壊して。
それでもまだ足りない。

本作は“象徴”という描写にこだわっており、ジャン=マルク・ヴァレの手腕が光る。
本作はディヴィスの揺れ動く感情と、ディヴィス自身でも理解できていない本心を繊細に描いている。
だが、そんな部分をわかりやすく説明することはなく、周りの情景やジェイクの演技のみで感じとらなくてはいけないため、全てを把握しきるのは少し難しい。
劇中でも、回想シーンや夢のシーンなど現実から背いたシーンが多々挟まれる。
それはディヴィスの本心の奥底にあるイメージであり、喪失感から生まれる"象徴"でもある。結構ユーモアのある演出もされているので、個人的にはめちゃくちゃ好きなんだよね。
邦画でいうと『永い言い訳(2016)』がテーマとしては近いみたいだが、自分は未見(←1300本みてるくせに)なので、それよりもわかりづらい作品であるかもしれない。
確かに一回観ただけでは、漠然としすぎていてよく分からないっていうのも分かる。
でも、それで終わるにはもったいないと思う。
余白が多い作品で、僕が感じ取ったものは単なる一部でしかなく、もっと多くの表現がなされている。
そんな奥深さのある本作は、僕ら人間の心の中の奥深さとリンクしているようであるのだ。

日々に追われてしまうときは人生に何度も訪れるだろう。そんなときに観たくなる2010年代の大傑作。
鑑賞し終わった後、本作のタイトルを理解したとき、僕の心はこの作品から離れるのを許してくれないのだ。

予告編はこちら


第4位『銀河鉄道の夜(1985/日)』

監督:杉井ギサブロー 主演(声優):ジョバンニ(田中真弓)

(1985年の作品3作目じゃん。すごい時代だな…。)
宮沢賢治の代表作『銀河鉄道の夜』のアニメ化作品。登場人物たちはみなネコとなり、寓話性を高めている。
遥か遠くに見える銀河がすぐ目の前まで迫り、永遠に消えることのない旅路へ向かわせる。

意図しない出来事により、多くの思考が頭を巡る。
銀河を走る鉄道で、ジョバンニは多くの人(ネコ)と会話し、多くの価値観を受け取る。
側にいるカムパネルラは、どこか達観しているようだ。

ジョバンニは孤独。

学校で過ごす日々は、自分をバカにする友だちしかおらず、昔仲の良かったカムパネルラとは会話をすることも少ないようだ。
病気がちな母。遠方へ漁の仕事をする父は、まだ家には帰ってこない。
家庭を支えるためにジョバンニは遊びに行くのも控え、仕事をしている。

夢の断片のように、いくつものエピローグが本作を語る。
ジョバンニを連れ去る銀河鉄道は、孤独なジョバンニに与えられたプレゼントなのか。
それはわからない。
ただ、誰もが通りうる“死”であったり、人生に関する価値観を与える瞬間を、この鉄道は抱えている。

「本当の幸とは?」
本作で提示されるのは、“自己犠牲”こそが本当の幸ということ。
だがそれはあくまでもカムパネルラの視点であれば。
自分にとって本当の幸とは、“共に生きること”なんだと思う。
本作でしきりに孤独な姿を撮していたジョバンニは、カムパネルラと出会うことで孤独さを薄めていく。
それまで無表情に映っていた姿とはまるで対照的。
彼はその瞬間に生きる楽しさや喜びを再確認したはず。
誰もが共に生き、共に分かち合うことこそ、本作が語りたかったのではないかと僅かながらに感じている。

自己犠牲のもと、誰かのために生きていくというのは、自分の人生を生きていくことに繋がっていくのか?
果ては命を差し出すこと、それは本当の幸であると言えるのか?
人生で初めて“死”を意識した瞬間、誰かの幸を願う瞬間。
そんな唯一無二の初めての瞬間が詰め込まれている。
かなり芸術さが伺える作風であり、数多の解釈の余地を与える作品。
宮沢賢治の原作の世界観を崩すことなく、むしろ新たな傑作を作り出したといっても過言ではない。
秋の夜長、ぜひ星空のもと鑑賞したい傑作だ。

予告編はこちら(Blu-ray発売のやつしかなかった)


いよいよトップ3になります…!!!
特にこっから3作品については、非常に個人的な作品です。


第3位『気狂いピエロ(1965/仏)』

監督:ジャン=リュック・ゴダール 主演:ジャン=ポール・ベルモンド

世界に衝撃を与えた『勝手にしやがれ』から5年。
フランス映画界の異端児ゴダールの傑作がまたも生まれた。
初期のゴダール映画には欠かせないアンナ・カリーナとベルモンドの逃避行。
映画の可能性を最大限に。
18歳の僕が初めて観たとき、映画というものの無限の可能性を感じた。

フランス映画界で起きたヌーヴェルバーグをけん引していた当時のゴダールによる、詩的でありながら私的でもある本作。
『勝手にしやがれ』からカラーとなり赤、黄、青など原色の使い方はまるで絵画を思わせる。
本作は難解とも呼ばれる作品ではあるが、ゴダールと当時妻であったアンナ・カリーナとの関係性を知っていれば、本作の顛末は非常に私的な作品であることがうかがえる。
特筆すべきは情報量の多さである。
本作を始め、ゴダール作品は非常に情報量が多い作品が目立つ。
本作以降の中期~後期にかけての作品は、政治的要素が増え始め技量を凝らしながら非常に難解な作品へと進んでいく。
本作はその点ストーリーの流れは伝わるため、物語としての理解ができつつ全く理解できないとはならない。

映画では様々なことが起こる。
現実では起きないようなことまでも。
この映画は、そんな”映画”という果てしない可能性を追求し続けている映画ではないかと思う。
アクション、ラブロマンス、ミュージカル、サスペンス…多様なジャンルであり、様々な展開が待ち受けている。
それは常識では考えられない範囲の物であり、自由なものだ。

この映画は面白い、面白くないという作品ではない。
映画とはそういう次元のものだけでなく、多様な表現をすることができるし、数々の憶測を作り出すことができる。
型にはめられたわかりやすい映画より、型にはまらない自由なものこそ映画である!という映画に対する挑戦なのかもしれない。

映画にはわかりやすいストーリーがあるもの。
映画には(SFやアクションなどを除き)あるべき姿でつくるべきもの。
そんな自分の物差しが破壊された作品であり、ゴダールでしか表現することができない作品である。
本作のまねごとをしても、観客にここまで”知覚”させることは誰にも不可能。
本作を挙げるとめんどくさい映画好きというレッテルを貼られるかもしれないが、それほどまでにすごい作品。
ゴダールは多作であるため、はっきり言うと当たり外れがめちゃくちゃある。
だが間違いなく本作は彼の転換的な作品でもあり、しょうもない(誉め言葉)ゴダールという人間性を認識することができる傑作。
語るよりもぜひ観て、体験してほしい。

予告編はこちら


第2位『ストーカー(1979/蘇)』

監督:アンドレイ・タルコフスキー 主演:アレクサンダー・カイダノフスキー

映像の詩人と呼ばれたアンドレイ・タルコフスキーの代表作であり、祖国ソ連で撮影された最後の映画。
誰も足を踏み入れない場所“ゾーン”
その奥には願いが叶う“部屋”がある。
タイトルの『ストーカー』とは、ゾーンを案内する人間のこと。
作家、教授、ストーカーは、願いが叶う“部屋”へと歩を進める。
SFという要素を含みながら、人間や社会とはなんぞや?という内面世界へと広がりを続ける。作家と教授という人類の創造性と技術性を代表する二人が、人知を越えた“部屋”へと近づくにつれ、案内人のストーカーを巻き込んだ論争を続ける。

タルコフスキーのランクインも本作で2作目。
ソ連時代に当局の検閲により、思うような作品を撮影することができなかったタルコフスキー。
本作の主人公であるストーカーは、ゾーンという世界がなければ生きていくことができない社会不適合者であり、おそらくタルコフスキー自身を模していると思われる。
舞台をSFにしているのは、遠回しにソ連批判を行ったとしても言い訳がたつからではないかと感じているがこれいかに。
もはや映画を芸術の域にたどり着けたのはタルコフスキーであるし、ソ連という国で過ごしていたからこその難解さが本作をより素晴らしいものにしているのではないだろうか。

現実世界で生きるのは苦しい。
でも苦しみの中に幸せが見える。
人間とは創造するためにいる。
それこそが私の生きる意味。
ゾーンはタルコフスキーの内面世界そのものであり、ゾーンの世界のみ色が染まっているのは、唯一心の拠り所であるから。
だが、家族の存在は彼にとっても大きく、現実世界に希望を見出だすことができたのだろう。

まあどんな解釈でも可能だろうし、正解はないのでこの映像が好きなんだよね。

個人的に本作をはじめとしたソ連(ロシア)映画は、芸術さや難解さにおいては他国よりも複雑に思う。
タルコフスキーをはじめ、クリモフ、ゲルマン、エイゼンシュテイン、パラジャーノフ、チュフライ…ロシア文学が生まれた地であるから、よりこの深淵さを感じられる。
まだまだ観れない作品があり、自分が知らないものもたくさんあるだろうが、ソ連をはじめとした東欧諸国の作品群は観ておいて損はないと思う。

話がそれてしまったが…。
前作の『鏡(1974)』は確実にタルコフスキー自身を描いたものであり、美しさはあるが個人的には『鏡』の後の本作を薦めたい。
汚ならしいおじさん三人組がただ歩き回るという、この文面だけだと何の魅力も感じられない作品だが、観てみるとあっという間にこの世界に引き込まれる。

本作は希望が反映されている場合に、その世界に彩りが与えられている。
現実世界はまさに色がついていない無意味な世界のようで、ゾーンの中でしか価値がないようだ。
本作に惹き付けられたのは、やはりストーカーの独白。
憂いも喜びも。
この世界に色が染まるように。
この世界に奇跡が起こるように。

↓過去にもnoteにレビューを載せましたので、こちらも参照いただければ幸いです。

予告編はこちら



お待たせしました。
いよいよ第1位の発表です…!



第1位『摩天楼はバラ色に(1986)/米』

監督:ハーバート・ロス 主演:マイケル・J・フォックス

ここまで発表してきた私の好きな映画ベスト50。
数々の名作を押さえ、今回栄えある第1位に輝いたのは、『フットルース(1984)』の監督ハーバート・ロスとマイケル・J・フォックス主演でおくる『摩天楼はバラ色に』です!
(え…この流れでこの作品が1位?)という風に自分なら思いかねないが、この時代のアメリカ映画は非常に魅力があり、脚本的なぼろさも感じられるが、アメリカン・ニューシネマから明るい時代へと変貌を遂げたというアメリカの歴史も感じられる、非常に色濃い作品だ。
1970年代半ば以降本作のような作品群は随所に見られ、叶わない夢なんてある?と言わんばかりのエネルギーには力を貰う。
これこそ映画が存在すべき理由であるだろうし、この時代だからこそ何でも許せるような寛容さがある。

田舎から両親の元を離れた大学出の青年は大都会ニューヨークの荒波にもまれる。
就職予定の職場からは初日にリストラされ、親戚を訪ねてなんとか職を手にいれる。
親元を離れて夢と希望に満ちたニューヨークから、いきなり人生の辛さを突きつけられる。
そんな青年は大勢の中の一人にすぎないが、彼にはそんな程度で負けない若さと情熱があった。

本作には80年代のアメリカの良いところがつまってる。
この時代のニューヨークにはどの国にも負けないほどの魅力がある。
やけにニューヨークの街並みや、多くの人たちが歩く姿がシーンとして挟まれるが、それはニューヨークの繁栄や多様性を連想させる。
いやいやそんな展開ねぇだろ、と笑えるほど都合の良い展開で名作とは決して呼べない。
だが映画の良さは夢や希望を与えること。
嫌な現実を忘れさせてくれるのも映画の良さだ。
この映画が公開されるのは僕が生まれる随分と前だが、あっけらかんではちゃめちゃで、それでいてどこか純粋で清々しい。
こんな映画は今の時代ではなかなか生まれない。
80年代というどの国も発展途上で、明るい未来を思い描いていた時代だからこそ生まれた作品。
この時代のハリウッドをはじめとした映画は、新しく何かが生まれるんだという希望に満ち溢れている。
そんな時代と共に成長してみたかった。そんな風に思ってしまう。
実際どんなだったのか感じることはできないが、ただこの映画を観ただけでそんな夢や希望を感じさせてくれる。

本作が大好きな理由はもう一点あり、主演がマイケル・J・フォックスだからだ。
いつの時代も高身長で彫りの深い俳優たちが活躍するなかで、低身長で童顔のマイケルが縦横無尽に走り回る姿は最高なんだよなぁ。そんな姿を見れるだけでも最高。
本作はそんな魅力が彼の作品のなかで最もあふれでている作品だと思う。
常に全力。それでいてどこか控えめ。
チャラチャラしていないし、いつも爽やか。
そしてやっぱりかっこいい。
そんなマイケルが大好きなんだ。
『BACK TO THE FUTURE』はもちろん大好きな映画だが、本作も大好きだ。

自分が社会人になる前に、社会に出ることの不安を感じたとき本作に勇気付けられた。
僕らには若さと情熱がある。
きっと上手くいく。
そんな心強さを与えてくれる、僕にとっては唯一無二の作品。
明日死ぬなら僕はこの作品を最後に観るつもりだ。

予告編はこちら



まとめ

ここまで見てくださった方がいらっしゃるなら本当にありがとうございました。
大した内容でなく、自分の自己満足以外の何物でもないですが、お付き合いいただけて非常に嬉しく、光栄に思います。

今まで観てきた映画をただ観たで終わるだけではなく、こうやってまとめていくことで、映画の面白さをより感じることができると思っています。
何かの節目にまとめたとかそんなわけではないですが、ふとまとめたくなり、こうしてまとめると止まらなくなり…。
ランキングを作っていくなかで、あの作品入れ忘れた!あの作品好きなのに入れられない…と悔やみが多くなった部分もありましたが、やっぱり映画は楽しいし面白いです。
どうしても若き日に観た作品のほうが印象に残ったり、あまり映画を観てきてないから簡単に衝撃を受けたりすることが多く、ただ無駄に映画を観るだけで終わらなかったあの時の自分を褒めてやりたい。
今でも数は減りましたが、映画は観ているしまとめられるときにレビューを書いたりしています。(昔より時間的にも技術的にもレビュー書けなくなったのが悲しい…)

以前何かでも書きましたが、現代はこういった娯楽がただ消費だけされているように感じており、昔のものより今最新のものが持て囃されています。
映画も例に漏れず、やはり映画館で上映される最新作ばかりに目がいってしまっているように思います。
本当はそんなことはないかもしれない。
けど、僕ら映画好きの人間はひとつの映画でも大切にしているのだろうか?
誰かにとってはただの映画でも、他の誰かにとっては大切な名作かもしれない。

そんな思いを持ちながらレビューを書いています。
もちろん自分にとってはつまらないとか、これはよくないって作品はあるわけで、それならばなぜこの作品は良くなかったのか?までをまとめると整理しやすいし、それこそ作品に対する敬意なんじゃないかなぁとも思ったりするわけです。

映画をただ観るだけでなく、こうしてまとめていくことで、自分が大切にしている価値観や考え方がわかる。
逆に自分では否定しがちな価値観を受け取ったり、単純にこういう物語は嫌いなんだと理解することもできる。

もちろん映画は娯楽なので、ただ観て楽しい!となるだけの作品も素晴らしいんです。

これからの人生、映画のように楽しい人生を送りたい!!!
だからこそ映画に愛をこめて。
ありがとうございました!


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