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万葉を訪ねて ―総論5 作家論と人麻呂との出会い―

前回はこちら↓


これまで4回にわたり、万葉集大考の総論部分で真淵の精神が刻んだ足跡を丁寧に辿ってきた。今回は「総論の5 作家論」を扱う。(10~13頁)

だが、その前に真淵の足跡を今一度振り返っておきたい。

古代の歌はひとの真心の発露であり、現代の歌はひとの仕業である。このことを真淵は長年の万葉研究の中で発見した。この発見に導かれて歴史を眺めれば、古代のありさまを知るには古代の心を知らなければならず、古代の心を知るには古代の歌をよく味わうことが何よりも肝要であることが判明した。(総論の1)


そうして得た古代のありさまとは、裏表のない実直な心を持ち、心・言葉・行為の三者が一体となった人々が、自生的な暗黙の制度によって秩序を保つべく日々努力した、素朴だが誠実な社会であった。時代が降り社会が複雑化すると、為政者は外国由来の人為的な制度で社会を設計せんと企てた。文と武を始めとする本来すべての人間に具有する精神の二元性を切り離して分業した。その結果現代人は精神の均衡を崩し、これを起因として心を伴わない美辞麗句が横行することとなった。現代の歌が軽薄になった根本の要因は、この社会の変化にこそ求められる。現代社会においては、ひとは専門化・細分化された役割の中で生活せざるを得ず、全人的な表現は様々な形で抑圧されているからだ。(総論の2)


古代の歌の最大の特徴は「作為のなさ」である。思う所を飾らず偽らず率直に歌うからには調べの整わない駄作も生まれたが、それはいまだ詠歌の形式の定まらぬこの時代ならではのことであり、万葉歌人たちが置かれた苦しい条件であった。しかし、この逆境こそが同時に真心の歌を生む好条件でもあった。未定形の感情に形式と言葉を同時に付与する古代の歌の営みは意識の生成と同義であり、偽りを忍ばせる余裕すらない悪条件が、むしろ純粋な表現を可能にした。現代の歌は安定した形式にあぐらを掻き、題詠を始めとする数々の作法に制約されて、むしろ真心の表現を困難にしている。したがって、現代の歌人たちは古代の詠歌表現の秘密を解き明かし、古代の歌と其処に写された真心へと立ち返って、己らの歌を革新せねばならない。(総論の3)


万葉集は130年間の長きにわたる古代日本人の歌の営みを写し取ったアンソロジーであり、当然のことながら歌の風体は幾度か変化している。最古層の未定形歌が徐々に形を整えて、柿本人麻呂を頂点に万葉歌の形式と内容は完成を見た。そこから先は模倣期となり末期には真心の表現でない歌も散見されるようになったが、古今和歌集の登場により、万葉集とは異なる姿と心ではあるものの、和歌は新たに出発することが出来た。この古今の歌風が現代まで脈々と受け継がれているのであり、万葉集は「日本最古の歌集」という便利な名札を付けられて、理解されることもなく神棚の奥深くに飾られ千年の眠りに入った。(総論の4)


以上の濃密な議論を経て本節に至り、万葉集全体を解釈する真淵の筆は万葉歌人たちへの批評へと行き着いた。独断で選ばれた総勢21人への批評は簡潔ながら的確であり、小林秀雄が本書を「万葉集に対する最初の文芸批評」と語ったのも頷ける。

例えば、大伯皇女の短歌に対して「あはれなるしらべ」であり「哥ちふもののしらべはかくぞありなましとおぼゆ」と評し、志貴皇子の歌を指して「静にしてこまやか」(いずれも11頁)と評するといった具合である。ふたりの代表的な歌を以下に挙げておく。

国歌大観番号165

現身(うつそみ)の 人なる吾や
明日よりは 二上山を
兄弟(いろせ)とわが見む

これは弟の大津皇子が謀反の嫌疑をかけられ処刑されて、二上山に葬られた折に詠まれた歌である。私が今こうして悲しむのは弟を亡くしたからではなく、弟のいない世界に私が生きているからなのだという哀切極まりない嘆きを、真淵の言う「あはれなる調べ」に乗せて歌っている。

国歌大観番号1418

石(いは)走る 垂水(たるみ)の上の
さ蕨(わらび)の 萌え出づる
春になりにけるかも

この歌の見事な効果は、滝の号音が鳴り響く周囲と注意深く見る者にしか見えやしない小さな蕨を発見し、其処から季節の変わり目を感じ取る静かな観察者とのコントラストである。

この歌は春の喜びを表したものであるとは作者の弁だが、その喜びの「静してこまやか」な様子は絶品であり、真淵の批評眼の確かさが知られる。

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さて、こうして残りの19人に対する批評についても解説してゆくことが本項の目的ではない。上に挙げた歌は真淵の批評眼の確かさの実例を見てもらう以上の意味はない。

本節については前4回のような訓古的な方法は冗長であるし面白くないから採用せず、「1点」に集中して考えてみようと思う。それは真淵の柿本人麻呂への批評である。

「柿本朝臣人麻呂は古へならず後ならず一人のすがたにして、荒魂(あらたま)・和魂(にぎたま)いたらぬくまなんなき、そのなが哥、いきほひは雲風にのりてみ空行龍の如く、言は大うみの原に八百潮のわくが如し、短うたのしらべは、葛城のそつ彦真弓をひき鳴さんなせり、ふかき悲しみをいふときは、ちはやぶるものをも嘆しむべし」(11頁)


真淵は柿本人麻呂を万葉最大の歌人とみなしていた。しかしそれは総論の4で述べたような、世間が彼を歌聖と讃えた仕方とは全く異なる。むしろ真逆であった。

人麻呂の官位を六位以下と認定し、人麻呂の実作と人麻呂の歌とされてきた他人の作とを厳密に分けるなど、真淵は謂わば人麻呂の「脱神格化」を行った。

彼は人麻呂を讃えたかったのではなく、人麻呂と出会いたかったのである。人麻呂の歌を味わう努力の果てに人麻呂の心を掴んだ時、真淵は文字通り衝撃を受けた。

この批評文にはその衝撃が写し取られている。

柿本人麻呂は古代にも後世にもいない一人の姿である。

荒ぶる魂から和やかな魂まで至らない所が無い。その長歌の勢いは雲風に乗って大空を駆け上がる龍のようだ。言語表現は大海原に数えきれない潮が湧くかのように豊穣である。短歌の調べは弓を引き鳴らすがごとき緊張感がある。悲しみを歌う時には神々すら涙を落とすに違いない。

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私がこの文章に最も感じ入るのは、「一人の姿」という言葉の重さである。一般的にこの歌は一人の姿をしていると言う場合、そのひとの性格をよく写している、といった意味で使われるのではないだろうか。

しかし真淵は「一人の姿」に異なる意味を込めているようにしか思われない。なぜなら、歌と性格の一貫性が問題ならば、真心を歌にした万葉歌人は皆その条件を満たしているはずだからである。

そのあとに「荒魂・和魂」という精神の二元性についての言説が続く。ここで総論の2の議論が活きてくるわけである。和の心も武の心も喜びも悲しみも、あらゆる感情の両極をも十全に表現することが出来た人麻呂、彼の歌こそが一人の姿である、と。


だとすればこういうことにならないか。

歌が一人の姿をしているとは、あらゆる言葉にならない思いを自在に歌にすることが出来ること、あらゆる抑圧された人間性を歌にして解放することが出来ること、それまで誰の意識の上にも明確には現れなかった人間感情の全側面を言語表現に昇華して存在させること、その歌を聴くことを通じて人々が己の全人性を回復することができることを指す、と。


集団的無意識(ユング)という便利な言葉で済ませたくはないが、少なくとも人麻呂は古代の人々の無意識の代弁者だった。

その歌は個人の口から発せられたには違いないが、其処に居合わせた全ての人々の心に通じていた。古代日本という場に生活した集団の思いを隈なく明かし、一場をカタルシスの舞台と化す呪術的な意味合いを有していた。まさしく「ちはやぶるもの」即ち神々を「嘆しむ」ものだったのだ。


なぜ人麻呂にそれが出来たかと言えば卓越した言語能力はむろんのこと、一人の人間としては比類のないほど広範で豊穣な感情を抱えていたからであろう。

歌と性格の一貫性などという生易しいものではない。両極にぶれる人麻呂の感情は、気を抜けばたちまち人格が破綻するほどに強いものだった。それこそ「真弓をひき鳴さん」がごとき緊張感の中で思いの丈を歌にしてゆくことにより、人麻呂の人格は何とか保たれていた。

そんな姿を真淵は人麻呂の歌の内に直観して衝撃を受け、その衝撃の全重量を「一人の姿」という短い言葉に込めたのではないだろうか。

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