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万葉を訪ねて ―序の8 ウタノイキ―

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国歌八論論争は通説によると芸術至上主義の在満と為政者的道徳主義の宗武公と古学主義の真淵の3者が、歌学をめぐって交わした論争とされる。

在満は政治から峻別された芸術のための芸術を説く。宗武公は文徳教化としての理性の芸術を説く。真淵は古代を理想とする感情の芸術を説く、という訳だ。概ね間違っていないが大雑把に過ぎる。

前項で確認されたことは在満は芸術至上主義や文学と政治の峻別を言いたくて「詞花言葉を玩ぶ」と言った訳ではなく、古代の詠歌はたしかに良きものだが現代とは時代が違うので、現代の詠歌は現代の形式を求めるべきであって、安易な擬古主義に陥ることには反対だと主張したのである。

これを有職故実の専門家が言う所が面白い。古代の儀式典礼を研究する者が擬古典に反対するのである。相対主義者よろしく、時代に合った歌を詠めと言うのである。

そして「ことばを永うして心を遣る」即ち「ひとの心を永遠の言葉として表現する」という在満の歌への本質規定は、古代を理想とする必要はないということを意味する。

現代人には現代人特有の心というものがあるではないか。現代人の心を表現するには現代的な詠歌の形式が必要なのであって、古代の詠歌形式で表現できるものではない。ならばどうして現代人が擬古的に詠まねばならないか。

古代に還ることは不可能であるだけでなく不必要でもある。歌の現状が単なる言葉遊びに堕しているのは、現代人の心を表現する現代の詠歌形式が見つかっていないからなのである。



宗武公と真淵の共通点は、在満が以上のごとく主張した古代回帰の不可能と不必要に異議を唱えたことにある。現代の詠歌を現代的に再生するのは無理であって古典古代を参照にしない限り再生は為し得ない。ここは共通している。しかし再生の方向が異なる。

宗武公は古典の本質を始めから「人心の慰安」や「民度の上昇」といった文学の効用に直結している。「目的論的文学観」と言い換えてもよいし、荷田春満と同様の演繹的態度と呼んでもよい。

真淵の見解は宗武公のそれと近いようでいて実際はかなり違う。歌の質が高いか低いか、歌の内容が道徳的に良いか悪いかよりも、大事なことがあると真淵は主張する。

それはその歌がある時にある場所である人の口から歌われたという事実だ。歌の生成する瞬間をイメージせよ。その歌が詠まれた場にまで遡れ。その歌を詠んだ人の息遣いと場の気配を感じられるようになるまで読み続けよ。 どうしてこの人はこのように歌わざるを得なかったのか、そこにはどんな心があったのか?

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そこへ遡ってみなければ歌の味わいは滲み出てこない。事実や理論や普遍的な真理など誰にでも言える。そんなことを言うためにわざわざ歌にする必要はない。古代の歌は古代のひとの真心を写したものだ。千差万別で、普遍的真理に回収できない、ひとそれぞれの真心を。だからこそ詞花言葉を玩ぶだけの現代の詠歌よりも古代のそれは優れているのだ。

なるほどその真心は「わりなき願ひ」かも知れない。死は避けられないことかも知れない。別離は仕方のないことかもしれない。花が咲くのは自然の摂理かも知れない。そんな当たり前のことに一々泣いたり笑ったりするのは馬鹿馬鹿しいことかも知れない。

だが、どうして私たちはそんな「わりなき歌」をよむと心を揺さぶられるのか。物知りびとが万能だと誉めそやす道理とやらは、この事情を何も説明しないではないか。

真淵に言わせれば、在満の主張である「歌は統治にも平和にも役立たない」とは悪い冗談でなければ暴論である。


歌を味わうことは真心を知ることに等しく、真心を知ることは道徳に先立ち道徳を可能にする条件である。


真心を知ることで人々は他人に親愛の情を抱く。親愛の情は平和を基礎づける。人々が互いの真心を共感し合い、他人に親愛の情を抱いている社会の統治は易しい。


ただ、真淵は宗武公と違って平和や統治が歌の本質だとは決して言わない。それは歌を味わう効用であり結果に過ぎず大して重要なことではない。歌を味わう楽しみが先である。歌人の心と親しく交わる楽しみである。効用は後からやって来る。

詰まるところ真淵が在満の説にも宗武公の説にも同意できなかったのは、両者ともに歌を味わうことの意味を問わずして、直接に歌の本質や効用を云々しているからだとも言える。

本当は真淵が言いたかったことは次のことだけだった。

味わえる歌だけが良い歌である。真心で詠む歌だけが味わうに足る。味わえる歌はほとんど古代にしか残っていない。だから古代の歌を理想とし手本とする。歌に真心の味わいさえあれば形式(在満)とか内容(宗武公)とかはどうでもよい、と。


さて、ここで一首だけ万葉考をよんでみたい。この序論では真淵の生涯を解釈し、本論で真淵と共に万葉集を読むスケジュールだったが、話題が真淵の歌の味わい方に触れてしまったので、具体例を挙げざるを得なくなったのである。

国歌大観番号16、額田女王が天智天皇の命を受けて春秋の優劣を判定した歌。


冬ごもり春さりくれば
鳴かざりし鳥も来鳴ぬ
咲かざりし花も咲けれど
山を茂み入りても取らず
草深み手折りても見ず
秋山の木の葉を見ては
もみづをば取りてぞ偲ぶ
青きをば置きてぞ嘆く
そこし恨めし秋山ぞ吾は

一見ちっともむつかしい所のない歌である。

冬が終わり春になると、長いこと鳴かなかった鳥がやって来て鳴く。長いこと咲かなかった花が咲く。でも山は茂り草は深くて、この手に取って見ることは叶わない。秋山の場合は黄葉を手に取って愛でることができる。まだ色を染めない青い葉も混じっているから、それは折って取ることが出来ないのを恨みとするけれど、私は秋に心を寄せる。


真淵の解釈はこうだ。

「うら枯れる秋は山に入り易げなれば、秋山の黄葉に吾は心依りぬと也。こは山の花黄葉の事なれば、女の山ぶみを思ほしてのたまふのみ。上に花鳥をのたまひし様を思ふに、赤裳裾引き行き交ふべきけ近さならば、春に依りて判りなん。所により身につけ折りに従ひて、事を分かたれるこそ面白けれ」(「万葉考」より)


現代風に解せば次のようになろうか。

「天智天皇はただ春秋の優劣を判定せよと命じたのだから、本来で言えば額田女王は春の花鳥風月と秋の花鳥風月の特徴を比較して、それぞれの長所と短所を述べるべきであった。しかし彼女はこの問いを我が身に引き寄せて考えようとした。客観的な問いに主観的な答えで応じたのである。自身が山に登ることを想像して、春の茂き山に女が登るのは大変だろうと思い、秋の山の方が好ましいと一応は結論付けたのだが、春の花や鳥への賛辞を見る限り、近くに登りやすい山さえあれば彼女は春に心を寄せたことだろう。私(真淵)は彼女の常に我が事として引き受けて物事を考え理解をしようとする所に、彼女の性格が見えて面白いと思った。」


万葉考の歌の解釈をよみ始めて私が最初に衝撃を受けたのがこの解釈だった。何が衝撃だったかと言えば、真淵の執拗なまでに具体的な読み方と比べて「いかに己が抽象的に歌を理解しているか」ということに思い当たって恥ずかしかったのである。

私はこの歌にさほど感動もせず、言葉の意味だけ拾って素通りしてしまっていた。それに比べて真淵のよみは一種変態的である。真淵は額田女王の息遣いや春秋の優劣を争う場の気配を蘇らせようとする。額田女王という歌人の性格や地に足が付いた思考の在り方に思いを馳せ、その女性性まで洞察しようとしている。

これが真淵の歌の味わい方である。繰り返し繰り返しよんでいく内に次第に姿を現した古代の心に驚く真淵の姿が見えるようではないか。

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