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万葉を訪ねて

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賀茂真淵「万葉考」について書いております。
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記事一覧

万葉を訪ねて ―万葉秀歌十選 <下> 古を懐かしむ歌2首―

前回はこちら↓ 前項の最後の歌も半ばそうだったが、本項では古を懐かしむ歌2首を採り上げる…

スピハン
4年前
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万葉を訪ねて ―万葉秀歌十選 <中> 恋と哀しみの歌4首―

前回はこちら↓ 真淵の師とされる荷田春満が、恋歌の価値を認めなかったのは序の5で述べた通…

スピハン
4年前
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万葉を訪ねて ―万葉秀歌十選 <上> 四季を味わう歌4首―

前回はこちら↓ 「万葉秀歌十選」という題は誤解を招くかも知れない。 私はこれから紹介する…

スピハン
4年前
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万葉を訪ねて ―総論6 聖典として読むこと―

前回はこちらから↓ 万葉集大考は、万葉集全体への解釈(総論)を終えると「くさぐさの考」と称…

スピハン
4年前
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万葉を訪ねて ―総論5 作家論と人麻呂との出会い―

前回はこちら↓ これまで4回にわたり、万葉集大考の総論部分で真淵の精神が刻んだ足跡を丁寧…

スピハン
4年前
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万葉を訪ねて ―総論4 歌風の変遷―

前回はこちら↓ 真淵本人の章立てにおいては、歌風の変遷と作家論をセットにして第4節となっ…

スピハン
4年前
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万葉を訪ねて ―総論3 古代の歌の本質―

前回はこちら↓ 今回扱う「総論の3 古代の歌の本質」は、万葉歌の性質について多面的に論じた箇所であり万葉集大考の中でも特に重要な1節である。(7~9頁) 理路の大枠としてはまず万葉歌の観賞法および学習法について述べ、次に古代の歌と後世の歌の性質についての比較を行い、最後に儒学からの批判(歌は趣味に過ぎず天下国家の役には立たないこと)に反論しつつ、万葉歌を学ぶことで得られる効用を論じたものである。 「いにしへ人の哥は設(もうけ)てよまず、事につきて思ふ心をいひ出しなれば、

万葉を訪ねて ―総論2 古代の理想と現代の批判―

今回は「総論の2 古代の理想と現代の批判」について。(4~7頁) 前回はこちら↓ まず、前…

スピハン
4年前
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万葉を訪ねて ―総論1 万葉集をよむ意義―

本項から6回に分けて真淵の主著「万葉考」の序論にあたる「万葉集大考」の、総論部分に潜り込…

スピハン
4年前
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万葉を訪ねて ―序の15 ユメノサキ―

↓前回はこちら 明和6年己丑神無月の30日、ここ1年ばかり体調を崩しがちであった真淵は、…

スピハン
4年前
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万葉を訪ねて ―序の14 ミチヲユク―

前回はこちら↓ 明和という元号と共に始まる晩年の6年間は、万葉研究の完成のために明け暮れ…

スピハン
4年前
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万葉を訪ねて ―序の13 シズムママ―

前回はこちら↓ 23年住み慣れた北八丁堀から日本橋浜町へ。百坪あまりの土地を借りて母屋と…

スピハン
4年前
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万葉を訪ねて ―序の12 キヲマチテ―

前回はこちら↓ 旅は始めれば必ず終わらねばならない。大和国を丹念に巡ってひと月あまり、ま…

スピハン
4年前
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万葉を訪ねて ―序の11 イトオシキ―

前回はこちらから↓ 宗武公は真淵の寄越した後任の役不足を早々と見破った。ここぞと言うときは真淵の見解が欲しくなる。結局、北八丁堀の家には宗武公の使いが折に触れて訪れることになった。 「殿がお呼びです、なんでも今度は古今和歌集の解釈でお聞きになりたい所があるとか」 「分かった。すぐ行く」 真淵は殿中で着る服を決めている。世話役のりよはもう亡いので自ら箪笥を開く。あった。これは宝暦4年甲戌、宗武公40歳の祝賀の時に、長年の苦労をねぎらって賜った御衣だ。宗武公が説明もなしに