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万葉を訪ねて ―万葉秀歌十選 <中> 恋と哀しみの歌4首―

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真淵の師とされる荷田春満が、恋歌の価値を認めなかったのは序の5で述べた通りであるが、真淵は恋歌をどう扱ったのだろうか?

幸いにも「万葉集巻二之考」の冒頭に言及があるので引用する。

「或人万葉には相聞(※ 恋歌の意)のたはれ事(※ 戯言の意)多きぞといへるこそおちなけれ(※ 愚かであるの意)、皇朝はよろづのゐや(※ 礼の意)もまことも生れながらそなはれる国なれば、その天地のなしのまにまに治め給ふに、古の君が代いよよ栄え給ひて民平らけかりし、生としいける物の常をまげなほさんとする時は、人の心にうらうへ(※ 裏表の意)の出来て乱るめり、かれ(※ その故にの意)神の禁めぬ道ぞてふ古言の有をしらずや」(97頁)


恋は生きとし生けるものの常である。自然な心である。これを無理に矯正すれば人間は己を偽り始めるだろう。

だから恋する心を偏狭な理屈で圧殺してはならぬ。知らないのか、恋する心は神様だって禁止していない道だぞ? 

この何処か微笑ましくもある堂々たる「恋愛讃歌」を冒頭に掲げて、本項を始めよう。



⑤ 大津皇子、石川郎女に贈った歌 (2ー107)

足日木乃 山之四付二
妹待跡 吾立所沾
山之四附二

あしびきの やまのしづくに
いもまつと わがたちぬれぬ
やまのしづくに

山の雫に
愛しい人を待つと
私は濡れた山の雫に



「ゆるやかにみやびたる調、ひたむきにあはれなるこころこそ妙なれ、上つ代・下つ代をおもひ渡すに、短哥は此時ぞよろしかりき」(107頁)


大津皇子は謀反の疑いにより処刑された悲劇的人物である。濡れ衣だったという。

天武天皇の子で有力な皇位継承候補だったが、早くに母を亡くすことで後ろだてを失った。亡き母の妹が後の持統天皇であり彼女の息子の草壁皇子が皇太子となった史実から、大津皇子処刑の背後に持統天皇の影を見る意見は根強い。

歴史の詮索はともかく、この歌はそのような危険な状況下で詠まれた。いつ捕らえられるか分からない中で女と逢い引きとは何と呑気な、と思うのは間違っている。

明日生きているか保証の無い世界でこそ、ひとは目の前の他者を真剣に愛そうとする。しかも会えなかったとすれば一大事である。次の機会は無いのかも知れないのだから。

この歌の言葉少なさは、ちょっと異様な感じすら受ける。「あしびきの」は枕詞で意味がなく「山の雫に」は2度も繰り返されている。

愛しい人を待っていたら山の雫に濡れてしまった。内容的にはそれしか言っていない歌だ。否応なく真淵による枕詞の定義が思い起こされる。

枕詞とは「思ふことひたぶるなれば言たらず」という時に調べを調えるために要請されるモノであった。大津皇子は己の悲しみを巧みに表現するなどしたくなかった。むしろ悲しみの純粋な姿を偽りなく伝えたかった

だから言葉が余ってしまっても、その「空所」に偽りの洒落た言葉を入れるのではなく枕詞を足すことを選んだのである。



⑥ 柿本人麻呂、草壁皇子の死去に際して (2ー169)

茜刺 日者雖照有
烏玉之 夜渡月之
隠良久惜毛

あかねさす ひはてらせれど
ぬばたまの よわたるつきの
かくらくをしも

普段通りに太陽は茜色に照らしたけれど
黒々とした夜空を渡る月が
隠れたことは惜しいよ



「是は日嗣の皇子尊(※ 草壁皇子のこと)の御事を月に譬へ奉りぬ、さて上の日はてらせれどてふは、月の隠るるを強むる言のみ也、かくいへるこころ・ことばの勢ひ、まことに及人なし、常の如く日をば天皇をたとへ申すと思ふ人有べけれど、さてはなめげなるに似たるもかしこし、猶もいはば、此時天皇おはしまさねば、さるかたにもよくかなはざるめり、天武天皇崩まして三年に、此みこは過給ひ、その明る年、大后(※ 持統天皇のこと)は御位にゐましたり」(140~1頁)


この歌も大津皇子の歌と同じく枕詞の使われ方が秀逸である。

太陽は照らすけれど云々は月が隠れたことを強める意味でしかない、と真淵は言う。

「あかねさす」「ぬばたまの」は意味を持たない枕詞であり「月の隠らく」は「あなた=死者が居ないこと」を比喩している。

ならばこの歌は「あなたが居ないことが惜しいよ」以外に何も言っていないことになる。

恐ろしく単純で率直でありながら太くて普遍的な感情だ。この感情をそのままに叫べば形式は破綻するだろう。うめき声と大差が無いことになるだろう。枕詞が必然的に要請されるのは、この瞬間・この場所なのである。



⑦ 柿本人麻呂、妻の死去に際して (2ー208)

秋山之 黄葉乎茂
迷流 妹乎将求
山道不知母

あきやまの もみぢをしげみ
まどはせる いもをもとめむ
やまぢしらずも

秋山の紅葉が繁っているために
見失ってしまった愛しい人を探すよ
この山道は知らないのだけれど



「もみぢ葉の散のまがひに妹を見失へるといふ也、をさなくてかなし」(167頁)

真淵は幼くて哀しいとだけ評しているが、私が個人的に好きな歌である。

万葉集には秋の歌が非常に多い印象を受けるが理由のないことではない。冬は物事の衰えや終わりを象徴し、秋は冬を予感させる。其処に哀しみがある。万葉歌人たちの歌心を刺激するモノが秋には有ったということだろう。

また、死んだ妻を山に探すという行為も興味深い。

真淵が評するように「幼い」行為の面白さもあるが、中西進に言わせれば「山中他界観」という古代日本人の宗教感覚を背景にしているらしい。

私はイザナギがイザナミを探しに黄泉の国へ行った神話を連想した。古代日本人は「他界」というモノを不可視の形而上の世界とは考えず、現世と近く連続したモノと考えていたようだ。

ただ一方では、立ち入ってはならない領域ともされ、ひとたび入れば「まどはせる」迷路なのである。これは単なるおとぎ話ではない。他者の死に対する説明の付かぬ感情をどうにかして可視化せんとした、古代日本人の文学的想像力の産物であった。



⑧ 柿本人麻呂、主君・草壁皇子の死の直後、その遺児である輕皇子(後の文武天皇)に随行し、安騎の野にて詠んだ歌 (1ー48)

東 野炎
立所見而 反見為者
月西渡

ひむかしの のにかぎろひの
たつみえて かへりみすれば
つきかたぶきぬ

東方の野原の果てから曙の
立ち上がるのが見えて振り返れば
月はすでに西方へと傾いていた



「暁東を見放れば、明る光かぎろひぬるに、又西をかへり見れば、落たる月有といふ也、いと広き野に旅ねしたる暁のさまおもひはかるべし、今本にあづまののけむりのたてると訓しは、何の理りもなくみだり訓なるを、それにつき、あづま野てふ所有とさへいふにや、後人のいふ事はかくこそあれ」(67頁)

この歌は本項と次項、どちらで採り上げようか悩んだのだが、大きな哀しみを湛えた歌だから本項で扱うことにした。

賀茂真淵の名を不朽たらしめる最大の功績のひとつが、この歌の新たな訓法(読み方)の発案である。

真淵以前、この人麻呂の歌は「あづま野の炎の立てる所見て」と読まれていた。つまり「東野」と「炎立所見而」で区切れるとされてきたわけである。しかも炎をケムリと読むことで、意味不明の歌となってしまっていた。

翻訳すれば「東野に煙が立ちこめているのが見えて振り返れば月が西方へと傾いていた」となる。この煙が何を指すかは明らかでないものの、少なくともそれを見ることが反対側を振り返って見る理由にならないことは確かだ。

真淵はこの歌の魂を見事に蘇生した。彼の万葉歌解釈の真骨頂がここにあると思うから、真淵の他書における研究成果も踏まえて丁寧に読み解きたい。


人麻呂は草壁皇子の舎人を務めた下級官僚だった。草壁皇子は大津皇子亡き後皇太子となり、ゆくゆくは天皇となるはずだったが早世してしまった。人麻呂は他にどうしようもないから、その遺児である軽皇子に仕えることにした。

この歌はそんな幼い皇子に同行して安騎の野を訪れた時に詠まれたのだが、実はここは生前の草壁皇子がしばしば鷹狩に訪れた、人麻呂にとって思い出深い場所であった。人麻呂の心は亡き主君への想いに満たされ、眼前の夜景など見えてなかったに違いない。

軽皇子一行が安騎の野に到着してからどれ位の時間が経ったのか、ひとり物思いに耽っていた人麻呂に分かったはずもあるまいが、広大な野原に太陽が立ちのぼって闇夜を照らし始めた時、人麻呂はようやく我に返った。

振り返り見れば月が西に傾き、夜が明けたことを知らせていた。と同時に人麻呂の意識も過去から現在へと引き戻されたのである。そして、えも言われぬ心地に囚われた人麻呂は、この感情が冷めないうちにと歌って形に残した。それがこの歌なのである。



さて、意味に固まる前の大きな感情を狭義の「哀しみ」等に限定することなく、そのままの大きさで解き放った人麻呂の傑作は、真淵によって明かされるまで、煙と月についての意味不明な駄作でしかなかった。

長年に培った詩的直観と執拗なまでの味読によって、真淵はこの歌を千年の眠りから覚ませることに成功したのである。この一事は書物が常に真の読者を必要としていることを痛感させる。


万葉集の真の読者とは誰か?


単なる文献学者では決してない。「東野の煙の立てる所見て」と読むのは学問的に誤りではないのだから。「東の野にかげろひの立つ見えて」でなければならない文献学的根拠など存在しないのである。

問題は其処に在るのではない。

そのように読むことで歌が味わえるか、味わえないか。ここに在る。

つまり、万葉集の真の読者は文献学者であると同時に詩人でもあるような人物でなければならなかった。この事情は、真淵の万葉考にしても同じであるに違いない。



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