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【INSIDE-SPARKLE LEGAL】三谷革司 弁護士

 本インタビューシリーズは、スパークル法律事務所に所属する弁護士の「ありのままの姿」を紹介する企画となります。「真面目2割・遊び8割」というインタビュー方針のもと、各弁護士が普段何を考えているのか、どのようなキャラクターなのか、そして事務所の雰囲気をお伝えします。

 今回、登場するのは、三谷革司弁護士(X:@KMITANI)です。三谷弁護士は、東京大学法学部を卒業後、2002年に弁護士登録を行いました。国内法律事務所でのパートナー就任、コロンビア大学ロースクールへの留学の経験を持ち、2021年4月にスパークル法律事務所を設立しました。国際取引を含む企業法務全般に長く携わり、特に国内外の企業に対する会社法関連・事業関連法令の相談業務を中心に幅広く取り扱っています。


香川時代~弁護士になるまで

Q1:三谷弁護士は、どちらの出身ですか?

 私は、香川県出身で、小さい頃の実家は(旧)飯山町、小学校は坂出市でした。香川県は、畑や田んぼ、そして日本一数が多いという「ため池」の風景が広がるような場所で、私の飯山町の祖父の実家も桃づくりをしていました。その地域では「讃岐富士」と呼ばれる飯野山がシンボルのような存在なのですが、この飯野山を望む風景は某うどんチェーンの店内にも大々的に掲げられているので、見たことがある人も多いのではないでしょうか。

 高校は、地域の進学校である丸亀高校に進学しました。丸亀高校は、立派な石垣が有名な丸亀城のすぐそばにあって、坂出市内から自転車で30分ほどかけて通っていました。ところで、飯山町は、丸亀市と合併(※2005年)したので丸亀市出身ということで間違いはないのですが、私的には丸亀というと少し都会のイメージもあって、微妙な違和感があります(笑)

讃岐の風景ー左側に見えるのが飯野山(讃岐富士)

Q2:三谷弁護士は少年時代から、弁護士を志望されていたのですか?

 全くそんなことはないです。香川にいた頃は、そもそも地域に弁護士がいませんでしたし、身近にも法曹関係者は全くいなかったので、弁護士という職業に対するイメージはほとんどなかったです。最近と違って、法曹を題材とするドラマや映画もありませんでしたし。

 小さい頃から本が好きで、よく本を読む少年ではあったと思います。一方で、野球やサッカー、田んぼでもよく遊ぶ普通の少年でもあったと思います。高校時代は、陸上部で短距離種目を練習していました。小さい頃は、任天堂のファミリーコンピュータ(ファミコン)が大流行した時代で、私も例に漏れずドラクエ3の発売日にお店に並んで予約して購入し、入手後毎日、朝まで熱中した遊んでいた記憶があります。今、PCやIT、リーガルテックに強い関心があるのは、子供の頃にファミコンやパソコン(マイコンと呼ばれたりもしてました)に触れたことがきっかけかもしれません。

Q3:大学時代は、どのように過ごされていたのですか?

 大学に入ってからも陸上部に入り、跳躍(幅跳び、三段跳び)の練習をしていました。また、「書を捨てよ、町に出よう」(寺山修司)ということで、多様なバイトをしていました。典型的な家庭教師や塾講師だけでなく、チェーンの珈琲店でも働いていましたし、交通量調査で地道に歩行者や車をカチカチ数えたりもしました。テレビ収録の観客役で番組にも出たのも印象に残っています。

 勉強面では、当時は、会社法ではなく、西田典之先生刑法のゼミを取っていました。ゼミのメンバーの多くは学者や弁護士になっていて、今でも色々な関わりがあります。そうこうして、周囲が就職活動を考え始める時期に、自分は司法試験を目指してみようと思い、試験勉強をし始めました。

弁護士になった後

Q4:「企業法務」の弁護士になった理由と若手時代に苦労した経験を教えてください。

 私が弁護士になった20年以上前は、大手の企業法務事務所は「渉外」と呼ばれていて、「企業法務」という言葉もあまりメジャーではなかったです。業務領域の区別も今ほどはっきりとしていなかったと思いますが、企業へのアドバイスだけではなく、一般民事や刑事を含めて幅広く横断的に仕事がしたいという思いで、事務所に入所しました。

 弁護士になりたての若手の頃は、会社やビジネス、経済の動きについての知識が浅く、話に付いていけないと日々焦りを感じました。例えば、日本経済新聞に書かれていることの背景や、そもそも経済用語が分からなくて、面食らった記憶があります。財務諸表の読み方なども最初は覚束なかったので、簿記や会計の本を読んで勉強もしていました。コーポレートファイナンスも実務に入ってから意識的に勉強したと思います。

Q5:留学生活はどうでしたか?

 米国コロンビア大学のロースクールへの留学は、法曹として、人間としての世界が広がった経験でした。

 ロースクールでは、会社法やコーポレートファイナンスなどを中心に学び、反トラスト法、倒産法の科目も取り、米国の裁判制度に触れたいと思ってエビデンス(証拠法)も取りました。米国法と日本法の差異があるのはもちろんですが、両国の法の類似性や法の根底にある共通の考え方を学べたことが深く印象に残っています。特に憲法の分野では、芦部先生の基本書で良く学んだ「明白かつ現在の危険」が「Clear and Present Danger」の直訳だと知ったときは衝撃を受けましたが、同時に、米国では深い議論の蓄積があることを知り、自分の理解が浅いものであることを痛感しました。

 ロースクールの英語でのディスカッションは、自分の考えをまとめて表現することに全く慣れておらず、相当頑張る必要はありましたが、全体としてみれば、海外で生活することでとても豊かな経験をすることができました。他の法曹や企業の駐在の方などの日本人同士でも仲良くなりましたし、観光地も色々と行くことができました。スポーツ観戦も好きなので、MLBのヤンキースタジアムやバスケのマディソンスクエアガーデンには何度も観に行きました。ミュージカルやジャズ等のNY文化も楽しむことができました。

当時のNYの風景

Q6:スパークル法律事務所設立においてどんな楽しみや苦労がありましたか?

 独立する醍醐味でもあり、苦労でもあるのは、弁護士業務以外の仕事も全て自分でやらないといけない点でしょうね。事務所の名前決め、オフィスの賃貸借や什器の発注、クライアントへの挨拶、人事採用、税務、経理……やるべきことは挙げきれないです。逆に、大きなメリットとしては、例えばツールの導入やソフトの購入等も自分の裁量で決定できたりするなど、意思決定を迅速に行える点ですね。

 「スパークル」という名前(※名前の由来はこちら)は、個人名以外で永続的に使われてほしいという思いから始まり、検索数や海外の人からの語感を考えたりして付けた名前です。現在のワテラス(神田・淡路町/御茶ノ水)にオフィスを置いたのは、ビルのエントランスのアプローチの美しさ等を気に入ったのもありますし、神田の「三角地帯」という歴史ある食の名店が揃っている土地柄を気に入ったことが理由です。そのおかげで、食にまつわる様々な発信活動もできています。

プライベートと仕事、今後の野望

Q7:仕事以外で、普段は何をされているのですか?

 一番の趣味は、ゴルフです。修習時代に少しだけ始めていたのですが、6、7年前くらいから本格的に行き始めました。普段は、同業の弁護士や経営者、クライアントの方と行って交流を深めることが多いです。ゴルフ観戦も好きで、先日も国内プロゴルフツアーの観戦に行って、ドライバーの距離、アプローチの繊細さに感動しました。ゴルフには「すべてのゴルファーがグリーンの上では平等」という言葉があり、先輩・後輩などもプレー中は関係なく楽しめます。スポーツとしても、年齢や技量を問わず楽しめますし、弁護士という仕事柄、どうしてもデスクワーク中心で運動不足になる中、外の景色のいい所を歩くことができ、とてもいい運動・気分転換になります。

 ゴルフの他には、犬と遊ぶこと料理twitter(X)競馬が趣味です。実家では、犬を複数頭飼っていて、犬が身近な存在でした。また、意外に思われるかもしれませんが料理も好きです。香川でもよく食べられている肉うどんには自信があります。

好物のさぬきうどん

Q8:今後の野望は何ですか?

 クライアントに貢献することを前提に、法律が社会の中で機能するしくみ作りの点で公益も実現したい、と考えています。最近は、弁護士会の活動でバックグラウンドの違う人と話す機会が増え、学びが多く、視野が広がったのかもしれません。

 個人的な目標としては、人生のどこかではゴルフのシングル(※ハンディキャップが一桁の上級者)を目指したいです(笑)そのためには、ゴルフ場のメンバーとなって、ゴルフ場に足しげく通う必要がありそうですが、足しげく通うためには東京から近いゴルフ場のメンバーとなる必要がありそうです。そういったゴルフ場のメンバーになるためには、当然ながら仕事で成功する必要があるわけで、つまり弁護士として仕事を頑張る必要もあるので、これは、プライベートも仕事も両方に関連する目標なのです。なお、この記事の密かな目的は、私がゴルフ好きであることを広めて、読者の方と一緒にゴルフに行き、ゴルフ仲間を増やすことです(笑)ぜひよろしくお願いいたします。(了)



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