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幸せとは、プリンを楽しむようなものなのかもしれない【読書感想文】

住野よるさんが書かれる作品たちが、とても好きです。

彼の書く本には、ハズレがないと感じます。

『この気持ちもいつか忘れる』から始まり、『夜の化け物』、そして『また、同じ夢を見ていた』を読み終わりました。

今まで読んだ中ではじめて、主人公が女の子のお話でした。


「幸せとはなにか」というテーマについて、物語が進む中で、たくさんのとても美しいヒントや言葉たちが綴られていきます。

主人公の女の子は小学生。本が大好きで、そして「人生とは、」が口癖。そんな彼女には、不思議なおともだちが3人いる。高校生の南さん、大人の女性のアバズレさん、そして、やわらかい雰囲気のおばあちゃん。ああ、それから。金色の目をして、短いちぎれた尻尾をもつ、小悪魔なあの子。

この作品は、小学生の視点から、高校生や大人の葛藤、苦しみ、人生の中の苦い部分、そしてそれを乗り越えていく強さが描かれています。

小学生だからこそ、主人公の女の子には、「おともだち」たちの葛藤や苦しみの全貌は、よく理解できていません。でも、読んでいるわたしは大人だから、南さんの腕の傷の理由も、長い前髪の理由も、アバズレさんの名前も、彼女の仕事や今までの人生のことも、わかるのです。

だからこそ、とても、胸に響くものがあったのだと思います。


わたしの子どもも、来年には小学生にあがります。だからこそ、彼女の目線から見える大人の世界は、きっとこんな感じなんだろうな、なんてことを読みながら思っていました。


「幸せ」とは、なんなのでしょうか?

小学生から中学生まで、わたしは何度も母に「幸せってどういうこと?」と聞いていました。

母は、「幸せは、なにかを持っているとかじゃないんだよ。ただ、ここに座って、息をしていること。そのことにすら、『幸せだなあ』と感じられる、その気持ちが、幸せなの」と答えてくれました。

そのことは、20年近くたった今も、しっかりと覚えています。

わたしは、幸せがなんなのか、そして愛とはなんなのか、ずっとずっとわかりませんでした。どれだけ大人に聞いても、その答えが自分の中でしっくりこなくて。分かるような、でもやっぱり分からない。そんな感じだったのです。


29歳の晩春から晩秋にかけて、とてもつらい苦しい時期を過ごしました。

ただ息をするだけ。

それだけのことが、こんなにもしんどくて、つらく感じられるものなのだということを、はじめて知りました。

自分の身体が、心が、まったく思い通りにならないこと、その怖さを、心細さを、はじめて知りました。

愛したいのに、愛し方がわからない苦悩を、はじめて知りました。

愛されたいのに、どうしたら愛されることができるのかわからない、その寂しさを、今までで一番、痛感しました。


葛藤し、もがき、苦しみ、電車をまつ駅のホームで、何度、ふわりと前に倒れ込んでしまおうとする自分の身体を、強く、つよく、大地にくくりつけ直したのかわかりません。

すべてが真っ暗で、絶望しかなくて。

自分の29年間の人生で犯した過ち、選択ミス、無責任さと、逃げと、甘えの、そのすべてが、一気にわたしに追いついて、背後からわたしの肩に覆い被さって。その重みに、わたしは身動きひとつとることはできなくて。

「時間は戻ることはない」と、南さんやアバズレさんは、女の子に言います。その言葉の重みを、わたしは去年、痛いほどに体験したのです。

時計の針を戻すことができないのなら。
やり直すことができないのなら。

過去の自分の浅はかで、幼稚な選択の上に、今のわたしの人生や責任が成り立っていて。どれだけ苦しくても、つらくても、理不尽でも、それでも数少ない手持ちのカードだけで、この先の人生を歩んでいかないといけないのなら。

だったら、いっそ、全部白紙に戻してしまった方が楽なんじゃないだろうか。

そんなことを、考えていました。
そんな、人生の中の、ひとつの季節でした。


そこからさらに季節は巡って、冬がきて、いつの間にか、少しずつ、わたしの人生の季節の中には、春の足音が大きく聞こえるようになってきました。

そうして、今、わたしは思うのです。
「ああ、幸せだなあ」って。


難しいこともあります。
悩むことも、もちろんあります。
どうしよう、どうしたらいいんだろうって頭を抱えてしまう日だってあります。

それでも。

家族がいて、子どもがいて、パートナーがいて、大切な家族とも呼べるような心友たちがいて。そのみんなを、わたしは心の底から深く、愛していて。そして、愛されていること、大切にされていることを、今のわたしは、ちゃんと、知っています。


「人生とは、プリンのようなもの」と、主人公の女の子は言いました。甘いところばかりじゃなくて、苦いところもあるのが人生なのかもしれない、と。

子どもの頃のわたしは、なんでわざわざ苦いところを入れたんだろうなんて思っていました。甘いところだけで、いいのにって。

でも、大人になってみて、わかったことがあります。
甘いところだけだと、甘ったるくて、喉が乾くのです。たまに苦いところを間に挟むと、甘いところがもっと美味しく感じられて、幸せを感じられます。

それに、甘いところと一緒に食べる苦いところは、ほんのりと甘い味も染み込んでいて、やっぱりなんだかんだ、甘苦くて美味しいのです。


わたしも、アバズレさんのようになりたいな、と思います。

わたしの子どもが、この先どんどん大人になっていく中で、いろんなことを体験して、感じて。そうして涙を流す日があったとしても。

アバズレさんが、主人公の女の子にそうしてあげたように。
必要なときに、必要な言葉を。
ちゃんと、心の深いところに染み込んでいくような、やさしい言葉を選んで、かけてあげられるような。
そんな素敵な女性になりたいな、と、とても強く、想います。


あの暗闇があったから。あの絶望の季節があったから。
わたしは強くなりました。

自分の半径3メートルにある、幸せと、たくさんの愛と優しさに、気づくことができるようになりました。

だからやっぱり、人生はプリンのようなもので。甘いところと苦いところの両方が、その中にはあって。
そして、それこそが、人生を魅力的にしてくれるものなのだなと思うのです。


「幸せとは、自分が嬉しく感じたり楽しく感じたり、大切な人を大事にしたり、自分のことを大事にしたり、そういった行動や言葉を、自分の意思で選べることです」

『また、同じ夢を見ていた』より


今までの人生の中で、思えばわたしは、遠いところばかりを、ずっと見ていたのかもしれません。
はるか遠くにある、実在するのかもわからない、型にはめたような「幸せ」というやつを、ずっと追いかけ続けていたのです。

でも。
たくさんのものを失って、そしてたくさんのものを手放したとき、幸せは、まるで童話の青い鳥のように、ずっと、わたしのすぐ側にあったことに気づけたのでした。

そのことに気づくことができたことこそ、きっと、わたしにとっての幸せなのです。


これから先も、人生を歩いていたら、いろんなことがあるのでしょう。

悩むことや、迷うこと、葛藤することや、涙を流してしまう日も、あるのかもしれません。それでも、人生は、やさしくて、芳しくて、美しいものなのだと思います。


「いいかい、人生とは。
全て、希望に輝く今のあなたのものよ」

『また、同じ夢を見ていた』


今日も最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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