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マージナルマン・ブルーズ #7

 オキナワに越してきて一年あまりたったころだ。70年代なんて今は昔の話になってしまった。
 ちょうど「730(ナナサンマル)運動」と言って、7月30日付けで車の通行が右側から左側に移行する年か、その翌年のころだった。それまでは車は右側車線を走り、国産車も左ハンドルがほとんどだった。至る処の標識に「車は左」という文言と道路と矢印のイラストが印刷された青いカバーが被せられていた。それを取り外して持って帰ってきて、義母にきつく怒られて、警察署に返しに行った。

 那覇市久米にある家から15分ばかり歩いた所に海があった。波の上という地名だが、地元の人たちは「ナンミン」と呼んでいた。
 今はもうすっかり観光地化されて、ビーチになっているようだが、中学生だった当時、1980年前後は、狭い砂浜があるだけのほったらかしの場所だった。小さいボート小屋があったが、火事になっていよいよ何もなくなった。おまけにナンミンのある若狭という町から辻と呼ばれる町にかけては、場末の飲み屋やホテルが建ち並んでいた。やくざの事務所があることでむしろ秩序が保たれているのではないかと中学生の僕でさえ思うような、ガラの悪い町だった。

 昼間の波の上はひっそりとしていて、お店も閉まっていて、さびしげだった。
 時々この界隈を友だちと探険した。海沿いの、ハブでも出そうな荒れた草むらや、人の住んでいないきれいなアメリカンハウスや、昼間からスリップ一枚で女の人がうろうろしているような辻の路地裏をぶらつくことは、僕らにとって、巨大なお化け屋敷か不思議な街に迷い込んだような楽しさがあった。

 中2の夏のことだ。1学期の終業式まで数日という頃だった。

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