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学びと変化とこれから。

長かったようで短かった10週間。全国から集まった8~10人の仲間たちと過ごした北海道、東川町。美しい大自然の中で生活を共にし多様な考え方、生き方、価値観、世界の見え方、行動の起こし方に触てきた。誰もが持つ悩みや、葛藤、自分自身に対してや社会に対する疑問や考えに正面からぶつかることを否定されない、「異質」と思われない環境。そこで生活をし、僕が何を感じて、何を思い、何を学んだのかを僕自身のために、一緒に過ごした仲間のために書き綴る。

Comathへ来る前の僕。それは自分がどこでどのような形で存在しているのかわかっていなかった。どこそこ飛び回っていただろう。自分のやりたいこと、生き方に対して1つの正解を求めていて毎日を我武者羅、というより我武者に生きていたと思う。周りから見ると光っている存在に見える一方で、なんだか尖っていただろうなって思う。実際、「棘がある」、「話しかけずらい」って言われたこともあった。その頃は意味が分からなかったけど、今ならわかるような気がする。僕の生き方に似たものを感じる人や、僕がかっこいい、こんな風になりたいと思う人とは積極的に話していた。でも僕のフィルターを通して何も感じなかった人とは無意識的に話すことをしていなかった。その人自身を何も知らないのに、何も知ろうとしていなかった。今は考え直す事ができるけど、compathに行っていなかったら、そうゆう視点で過去を振り返ることはできなかっただろうな。

Compathでは対話をする。「察して」で今までやってきたことに関しても会話が求められる。会話をする大切さを対話から学んだ。例えば、「あの人今こうゆう態度取ってる。だからこんな風に思ってるんだろうな。」とか、自分の持つ視点で相手のことを判断して今まで生きてきた。でも話すことによって、「その人はそうゆうことを思ってるから、そんな行動をしていたんだ。」と気づきや新たな視点を見つけることができた。

そんなとこで?って思われそうだが、そこで学んだこと。それは「相手を一人の人間、自分とは異なる人間として認識し、受け入れ、共に生きる」こと。その人が何を思い、何を感じ今を生きているのか、人それぞれ。人には生まれ育った環境や背景、物語がある。すべてをわかり合うことは難しいことかもしれないけれど、歩み寄ることはできるなって。個性を大事にするってそうゆうことかなって。

今まで、個性を大事にしてほしいと思ってきた。
その一方で、いろんな個性を理解し受け入れていたかと問われると、そうではなかったなと思う。僕と似た性質を持つ人とは積極的にコミュニケーションを、仲良くなろうとしてきた。でも、僕とは相容れないなと勝手に判断した人とはあまり仲良くなろうとしなかった。
生きてはいける。その考え方でも。でも、それでは寂しいと思った。
世界にはたくさんの人がいる。
compathに来て、全く違う個性の人からの意見や考え方ってすごく面白いなって思った。(普段思い付かない考え方とかを知る事ができるから、一旦立ち止まれるというか)たくさんの人がいて、その分考え方や生き方があって。
第一印象で面白そうと思った人とだけ親交を深めるのって単純に勿体無いなと思った。
compathに来る前までは、日常の中に余白を持つこと全くできなかったし、選択肢にすらなかった。わからない時、迷った時、一旦立ち止まって考えてみよう、人に相談してみよう、人に頼ろうって選択肢がなかった。
今、人生に、日常に余白を持つ事ができているかどうか自分では評価し難いけど、きっともう人生に生き急いでいない。周りと比べて自分の価値を下げるなんてことしていないと思う。自分の内側から湧き出てくる声に耳を傾ける事ができてきていると思う。

人の弱さを知り、美しさを見た。涙を流し、笑顔を見た。
なんで人のことを知ろうとして来なかったのか。
少し僕の過去も関係しているように思う。
高校までは精神的に辛い生活を送ってた。大学生になって一人暮らしが始まり、それまでの生活とはかけ離れた生活を送るようになり、それがすごく楽しかった。
僕の存在して良いんだって感じれる時間だった。そこに違う価値観を持つ人が入ってくるのが嫌だったんだと思う。楽しい生活が否定されると恐れていたのだと思う。
余裕がなかったんだ。違う価値観に飲み込まれてしまいそうになってたんだ。僕自身を知る中で他人のことまで考えること、受け入れる余裕がなかったんだ。


ここからはライフスタイルの中での気づきや学び。
自然が大好き。日常の中で見る自然はもちろん、アウトドアを通して見る自然の世界も好きになった。生命を感じることができるから。地球と一体化しているように感じるから。自然の一部として生きていると感じる事ができるから。
Compathでの生活の中で印象的な出来事がある。2月26日、旭岳に登る機会があった。そこで下山しているとき、その日は曇っていたけど雲が剥がれて太陽の光が差し込み旭岳に光が当たる瞬間があった。その景色は壮大で、歩くことを止め、考えることもやめ、ただただその景色に圧倒されていた。そこでCompathメンバーの一人と話した会話が印象的で記憶に残っている。
「僕たちは地球に生かされているんだなって、住まわせてもらっているんだなって思うよね。たまたま、生態系の頂点に僕たち人間は立っているけれどこんな大自然をまえに、何ができるんだろうな。人間なんて、なんてちっぽけに感じられるんだろう。」
あの時の会話が忘れられない。涙が出そうになってた。

これから先の地球は、「変わっていくもの、変わっていってはいけないもの」が存在すると思います。自然 (nature) は変わっていってはいけないものに含まれると思う。僕はそれを守りたい、その中で遊びたい、共に生きたい、大自然を発信していきたいなって思った。どんな関わり方をしていくかはわからないけど、こう感じたことを大事にしたい。

大自然に圧倒され、東川町での生活の中でも芽生えた感情がある。それは、「丁寧に生活をすること、愛を感じながら人や物と関わり表現すること」
自然に敬意を払い、僕の生活も丁寧に、身体を大事に過ごしたいなと思った。
そして、愛。コレにはたくさんの答えがあって、正解がないものだと思う。僕にはまだわからない。でも、人と接する時、物を扱う時、自然と触れ合う時、その時々で生まれる感情を大切にしようと思う。

Compathに行く前から大事にしていたことがある。それはCompathを卒業した後も変わらなかった。
僕自身が楽しむこと。楽しむ心を持ち続けたい、そう思ってる。

あとは、ある程度考えたらあとは感覚に身を任せて全力で向き合うこと。これが大事。
悩んだ時や何かを選択する時、ニヤけちゃう方に。


みんなに言われて嬉しかったこと
颯大は太陽のよう。
颯大がいるだけで雰囲気が明るくなる。
「場」を作ることができる。
笑顔になれる。
頼りになる。
自分を持っている。
行動を起こし続けている。
視野が広い。
日々の生活の中で気づきをいつも持っている。
楽しむ力、少年の心。
覚悟、勇気
優しさ
成長しようともがいている。
楽しそう。
温かい
自分を受け入れている。
まっすぐ。
好奇心の塊
自分であるための責任感
おもしろい
素直
裏表がない
勇気づけられる
etc…


https://schoolforlifecompath.studio.site/








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