見出し画像

飛蚊症になった障害者の私が白い杖の人の存在を視野に入れたなら

私とは関係ないって決めつけて避けて通ったから。

白い杖をついている人を何度かは見かけては通り過ぎた。

眼中にない障害者どうしでも一線をひくの?

私は先日近くの駅前の繁華街を歩いていた。

私は心を振り絞って話しかけた。

私「よろしければご同伴いたしますか?」
白い杖の人「あ、いぇ、大丈夫です。」

その白い杖を持った方はそう言って前を進み
そこを去っていった。

さっきの方は内心で声を急にかけられてどう思ったのだろう?
お尋ねしたいけれどその方はもう遠い。

さっきの方はおそらく身体障害の方で視覚障害者になるはず。

精神障害者保健福祉手帳を持っている躁鬱な私。

さっきの方はおそらく身体障害者手帳をもっていらっしゃるだろう。

障害者が障害者に対してなにかお役に立ちたいと思っている。


と思ってたら…


それから数時間後のこと。左目に異変が起きた。
大きな病気の予兆としての飛蚊症かもしれなかった。

最悪は失明になる。

翌日放置せずに恐る恐る私は眼科を訪ねた。

かかりつけの高齢の先生はいう。

「私も40年近くも飛蚊症には悩まされてます。
360度確認しましたが、加齢による飛蚊症ですね。
網膜剥離などの心配はないのでまた半年後いらっしゃい。
もう大丈夫ですよ。」

この口調にかなり癒やされた。


困ってそうなら助けてあげたくなるのが人情では?

しかし今回申し出はやんわりと断られてしまった。

もしも私が視力を失ったならばとか?
私の飛蚊症がもしも治るのならとか?
白い杖の人を見た直後なだけに。

これから私の左目は一生飛蚊症という妙な虫を飼う。

無視しようにも左視野で勝手にぴょんぴょんとはねる。本当にたちが悪い。

また老眼こそひどくなる一方で悩む。
けど今の私はメガネをかけて1.0以上の視力がある。

私が食べ過ぎなどで糖尿などを患えば中途失明しないとも限らない。

人は障害をもたないにこしたことはない。

さて、少なくとも私はあの時だけは勇気を出してみた。
ボランティア精神ではあってもなにかいいことをしたいという自分のために声をかけたのだった

目に見えないで生活するのはとても困難なはず。
でも、その失明した方をきっと不幸だと決めつけてしまうのは早すぎるだろう。

障害者であろうと健常者だろうとも幸せだって十人十色のはずだから。

また再び声をかけたら同伴して近くまで案内できるだろうか?

区分は違っても同じ障害者だもの。助け支えあえたなら世界はまた少しだけ明るくなるはずだ。

そう願う。


noteは私にとって宇宙。 そんな宇宙と宇宙の間で巡り合うことの不思議さを共有したいのです。 共感してもらえたらもうそれだけで十分。 仮にも頂いたご支持/Supportはあなたに会うその日のためにプールされます。で、実際に会ってあなたとお話したらそのお金を再度宇宙へ還元されます。