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阿古真理著「家事は大変って気づきましたか?」を図書館で見つけワクワクした50代未婚の男性から愛を込めて

そもそも家事って熱く男性が語っても大丈夫そうですか?
男性も家事についての議論に参加してもいいですか。

きっと悪くはないですよね?

実は家事とか生活とかいう言葉が大好きで大好きな
50代未婚で一人暮らしをしている単身者で男性の私。

そんな私は誰に許可を得ようとしてるんだろう?
誰かに遠慮しなくてはいけないと言われたわけでもなく…。

身近な話題として家事全般を語るというのは当事者は
女性だけのものでもないのですから。

家事の担い手として女性は意見するのはごく自然。
でも男性が語るのは不自然か?いやそんな時代
はとっくにもう過去の話でしかなく。

あ、自分の内部にブレーキみたいなものを植え付けられてる
ってことに気づくのです。


亜紀書房から2022年10月に刊行されたこの本、
タイトルも実に秀逸だと思います。

「家事は大変って気づきましたか?」なる問いかけ


この疑問文の投げかけは、おそらく家庭の中で家事を主に担当してる
(女性とは必ずしも限りませんが男性は少数の)立場から
主に賃労働のみを担当してる鈍感なパートナーに
(ここは男性が主に多数な層)に向かって
放った言葉のように読めます。

「家事は実は大変って気づく」のが
「まだ気づいていない」なのか?

それとも、家事って実は大変だと
やっと気づいてくれたのね」
なのか?

どちらの意味にでも問いかけが可能です。
そんなふうに二重に受け取れるというようになっていると
私ならばにタイトルを解釈します。

読書というのは不思議なものです。
普段思ってることや考えてることの
言語化を助けてくれます。

今回の私の投稿は抽象的ですし
観念的な物言いをしていると思います。

「家事は大変って気づきましたか?」は
とても読み応えがあります。

家事というテーマを軸に約350ページという量があります。
厚みがあります。

家事はなぜ女性中心なのか?を軸に話が展開していきます。

全部読みきれなかったので1度は途中で挫折し図書館に返却しました。
途中で挫折したんです。2度借りざっくりとではありますが
大筋を読むことができました。

一番納得できて面白かった部分

12p-13p
主婦/主夫が、給与をもらえない問題
家族のために行う家事について、雇用主と雇用者の関係が発生すると、お金が障害となって心の距離ができてしまう。また、一人暮らしの場合は、払うのも受け取るのも自分になって報酬の意味がなくなってしまう。子育て期のシングルペアレントも同じだ。

第1章家事とお金のままならない関係より抜粋

私の言葉で言えば一人で暮らししている際には生きていくのに当然必要な
「やって当たり前の毎日の(無賃金)行動」だと思っています。

自ら家事をすることは節約にもつながります。外注化してばかりいたら
実に多くの費用が発生しますしね。

さて、第1次から第5次までにわたる主婦論争や、
「逃げ恥」という作品の考察があったり、
ミヒャエル・エンデのモモについての時間泥棒を
扱ってみたり縦横無尽に著者が「家事について」論じています。


著者の主張のように家事は命に直結しています。
家事は労働力の再生産労働とも言えるので家事とは略さずに
家事労働という呼び方もあります。
家事を家事/家事労働という表記にしてみたら
少し回りくどいけれどもそういう用語の定義のしかた
ひとつも大事だと感じました。

単身者世帯の中での家事と、複数の構成員で分担するか
しないかの家事では区別されます。ややこしいものですね。

よく家事をしているだけでは社会参加してる実感がなく
単なる消費活動の次元にとどまる虚しさというのは
男性の私でも想像ができます。

実は、独身で無職という状況で賃金労働していなくても
家事という労働はしてる場合には、
いわば「自分のために働いてる状態」
とも評価もできるのではないでしょうか?

またひとり暮らしをしていると言っても男女では
評価が違うことがあります。

私の嫌う言葉のひとつで「おとこやもめにうじがわく」
という表現がその一例かと思います。

生活系雑誌に対する読者層の男女比について

今回の著作のうち、いくつかの初出が講談社の女性誌FRaU
に掲載されていたものでした。

FRaUという女性向けファッション誌を多くの男性でも
手にとって読む傾向は少ないと思います。

読んだら面白いんですけれどね。

私は図書館で人前で女性誌を読むのに誰かから
異性の領域にずれ込んでやしないかという
視線がどこかからやってこないかという自意識過剰さを
拭いきれません。

お料理を特集するオレンジページやレタスクラブも言わずもがなです。

家庭画報とか主婦の友とかSTORYやClassyだとか

どの生活系の記事が多めの「女性読者の多そうな」雑誌であると
ちょっと引け目に感じてしまいつつあえて読む時間を作るのは
億劫だったりします。

それでも内心で楽しんで読めることには変わりはないのです。

男性であっても「女性向け」のビジネス雑誌
日経WOMANを興味深く読むことはできます。

公共の図書館で読むことができるいわゆる「女性向け」の雑誌を
一例にしていわゆる「男女向けの読書文化の棲み分け」について
ふれてみたいと思います。

具体的に私が読んでみたことのある限りにおいて、
日本国内において、ゼクシィという結婚雑誌。
子育てのついてKodomoeという絵本の雑誌。
女性向けの読者層が男女で容易には逆転しないだろうという
傾向は既に決定的な社会文化的な大きな作用があると思っています。

ただそれを公言するには勇気も要りますし。
ちょっとだけ気恥ずかしいのです。

男は家事能力が低い傾向にある。

男は外でオンナは内。
私はそんなの冗談じゃないとずっと思い続けてきました。

私からしてみればなぜ「男性は家事の領域から
追い出されてしまった」のか?不思議です。
それはおかしいという怒りすらもあります。

男性が意識的に選択や集中で家事に領域に踏みとどまることは
不可能ではないはずだ。そんな問題意識を持ち続けています。

技術・家庭科教育の私の当時の時代背景

小学生の家庭科の授業は特に性別で大きくは分かれていませんでした。
卵料理だったりお裁縫だったり洗濯だったり
衣食住の基本の基本を教わりました。

中学生の際にはかなり大きく男女で分かれました。
なぜか男子は技術のみの時間で木工で椅子を作ったり
電子工作でインターホンとか作っていました。

女子はその時間が家庭科の時間で調理実習があったり
キッチンの間取りを考える住居学のような授業も
あったりしました。

家庭科の先生はなぜか女性の体育の先生が兼任していました。

高校生の時代には、男子は柔道を習わされ、
女子は家庭科で先生にいびられつつホームプロジェクトなる
鬼のような実習に苦しんでいたことも鮮明に覚えています。

高校生の当時、男子の私は家庭科教室は実に入りづらい場所でした。

時代背景というものってありますね。

私は家庭的であることにこだわろうとも
社会の構造に縛られつつ」ひとり暮らしをしています。

「構造」というのは男女の棲み分けなる文化の縛りの連続と
言い換えても良いでしょう。

幼少時から受けた様々な価値観の
洗脳の積み重ねと言ってもよいでしょう。

男に生まれてしまっても家事に関する技術を磨き
経験を積めば私は私なりの理想の暮らしができると信じて
いた時期があります。

さて、女性から見た男性の魅力の3大要素としての
「高身長、高学歴、高収入」という理想の男性像に加えて、
「家事のできる能力」が男性の魅力として新たな要素として
見直されつつもあるようですね。

ただただオトコが「ヒト並に稼ぐ」という目標を持つことと
対照的に「オンナのヒト並に家事をする」という目標を私は
意識し続けました。

家事の実践はとてもとても高くには及ばず

あくまで意識してるかどうかだけのことです。

交際相手である私の大切なパートナーさんは、
私が私の住む部屋の食器等を流しに溜め込んでると
非常に機嫌が悪いです。
でも面倒がらずに洗い上げしておいた時
私の部屋に顔を見せに来た時に非常に正直そうに褒めてくれます。

お、ものぐさな性格の割に珍しく家事やってんだなぁという
私を見てパートナーさんが笑顔を作るのは悪くないものですね。

私にとって家事は交際相手との意思伝達(コミュニケーション)の
要素の一部だと思います。お付き合いの一部でもありますね。

今後読みたい家事についての考察本について

共働きにおけるや専業主婦/主夫や兼業主婦/主夫による
既婚者たちの性別役割分業という固定的な現象ばかりでなくて、
単身者にとっての家事とは何なのかをより深く考察した本を
私は今度もっと探していきたいです。

また、女性ばかりではなく男性からの「家事」について
語る場面がもっと多くてもいい。

家事する男子が男らしくいられるのだいう時代は既に
やってきています。

ホームヘルパーなる家事のプロに支援を受ける

ジェンダー(gender)とは何だーっ?
生物的な性別と社会文化的性別と分けて考えてその定義を
厳密に論じることは私にとっては困難で敷居が高いです。

ちょっと考えただけでも疲れてきます。

精神的に疲れやすい私は居宅介護を受けています。

脳に障害をもつ精神障害者の自立支援制度と
いうものがあり、ヘルパーさんには週一の割合で
家事の自立支援に来られます。

今まで男性のヘルパーさんの家事支援を受けたことは
一度もありません。

そもそも男性がホームヘルパーの資格を持って
活躍してるという話そのものが稀なのかと。

家事に関心をもっている男性の私ができる仕事でしょうか?
→とんでもなくハードルの高い仕事かと思います。

最後に家事のケアを受ける立場として

ここに家事労働について学生時代に専門的に学んでおいて
結局自分がそのプロになっていないことをわずかに
自己矛盾を感じ多少悔やんでいます。

男性のホームヘルパーさんはまだまだ少ないです。

脳に障害を持ってしまい、対人関係がかなり苦手だったりする中で

女性のホームヘルパーさんには調理補助や
家事援助をいろいろとお世話になっています。

その女性が多くを占めているホームヘルパーさんが
訪問介護ステーションの職場に採用されるには
専業主婦が長年の家事のプロとしての経験が認められ
人事部門から評価されて採用に至ると聞きます。
→今までの家事経験は即戦力になるという

こうした事情は私の周りの世間話として
話題としてあまり語られる機会に乏しい
ように思うのです。

ホームヘルパーさんの今後の需要は多くなるはずで、
そうではあってもまだまだ高賃金の職種に
至るまで成長していません。

多数の女性にケアを任せて男性の多くが
高い賃金を得ているという社会の構造への詳察は
本の終章である第6章のケアと資本主義でまとめとして
展開されています。

必ずしも日本の資本主義はもうだめなんだとは私は言いません。

ただし具体的に日本国内の福祉制度というくくりの中で
現在の介護報酬改定の方向性について、家事のプロという
存在についての社会的な評価がもっと上がってほしいです。
現状においてホームヘルパーさんたちの待遇の改善が
なかなか進まない現状に私は疑問を持っています。

私の家事についての今回の語りはこのへんで終わりです。

ここまで読んでくださりありがとうございます!
皆様におかれましては男女の区別なく家事というしがらみから
のびのびと暮らしていかれますように。

そしてまたの機会にもお会いできますように。

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