走山歩れぽれ

登山・スキーなどアウトドアスポーツ好きが高じてカナダで18年暮らした経験をもとに帰国後…

走山歩れぽれ

登山・スキーなどアウトドアスポーツ好きが高じてカナダで18年暮らした経験をもとに帰国後はハイキングガイド、英語教師、心身のバランスを整えるセラピストとして活動。認知症・統合失調症・高齢者うつ病などを患う母を在宅で介護し奮闘中。 趣味:山歩き、カメラ、料理、仏像鑑賞

最近の記事

立山 曼荼羅 ハイキング

立山曼荼羅絵図 夏休みに立山連峰に行ってきました。 大学二年の春にスキー合宿で初めて訪れて以来、今回で10回目の立山。 昨年の秋以降、地元神戸の山は歩き続けていますが、泊りの遠征登山は11カ月ぶり。 富山駅から電車・ケーブル・バスを乗り継ぎ室堂に着いたのは8月11日。 祝日「山の日」だったせいか室堂ターミナルの屋上ではイベントが開催されており、特産品の販売やガイドツアーを紹介するブースが設けられ、芦峅寺にある立山博物館の方による「立山曼荼羅」の絵解き(宗教的意味のある絵画の

    • 奥琵琶湖 縦走ハイキング

      滋賀県琵琶湖の北東部、湖北エリアの縦走路「近江湖の辺の道」へ 浅井長政ゆかりの地 神戸の三宮駅から新快速で約2時間。JR米原駅で北陸本線に乗り換え、米原から5つ目のJR河毛駅で下車。 浅井長政の居城・小谷城が近くにあるため、歴史好き、戦国時代ファンには知られた駅のようで、駅員不在の無人改札であるにもかかわらず、隣接する駅舎には戦国武将・浅井長政を紹介する書籍を中心に、多くの歴史関係書、グッズを販売するコーナーが設けられており、この地ゆかりの浅井長政とお市の方をこよなく愛すス

      • トゲトゲ植物にやられて病院へ

        カメムシの毒と細菌の次は棘棘植物にやられる 半年以上続いたカメムシ被害による湿疹の治療は春に卒業。 それから3カ月も経たぬというのに先週(6/5土)藪漕ぎ登山から下山した夜から、両腕を中心に皮膚が赤く腫れだして湿疹が複数箇所に広がった。 山道のない斜面で樹々をかき分けながら山頂を目指した際、腰から下はシダ類や低木の硬い枝葉で太腿や膝回りを常に擦り続け、棘がある細い木で何度も服や肌を引っ掻いたり棘に刺さったりしながら、少し強引に進み続けた自分の愚行が原因。 いただいた枇杷の

        • 国籍や国境を越えたその先⑥

          前回の「国籍や国境を越えたその先⑤」では初めて訪れた中国の初日に起きたエピソードを書きました。 それは「自分のルーツの大地を踏み、祖国の風を感じて涙した」みたいな感動秘話とは真逆で、初の単身海外渡航だった16歳のボクにとっては非常に恐ろしく、悪い第一印象を抱いた空港での経験でしたが、二日目以降は北京観光で気分一新。写真やテレビでしか見たことがなかった天安門広場、万里の長城、明の十三稜、紫禁城など、中国語で教わった歴史(=知識)が、目の前に広がる感動(=体感・体験)に換わった滞

        立山 曼荼羅 ハイキング

          みんな違って みんないい個性

          障害者施設で世話人として週に一度夜勤業務を始めて半年が過ぎました。 ******** 16時前にケアホーム(施設)に入り、それぞれ異なる作業所から帰ってくる利用者8人を出迎える。 マスク回収、検温、作業所へ「帰ったよコール」などのあと、荷物を部屋に置いてリビングに降りてきて話をしたがっている人がいると耳を傾け、一緒に筋トレしたり、買い物に同行したり、細かい作業が苦手な人の手助けをしながら、他の職員が書いた一週間のレポートに目を通し、体調の異変やトラブルの有無(突拍子もない事態

          みんな違って みんないい個性

          「やすらぎの里」体験記

          伊豆高原にある断食道場「やすらぎの里」での1週間を終え、神戸に戻りました。 行くキッカケは、以前に行った経験があるYさんが、 「とにかく素晴らしかったから、もう一度行きたい」 と、瞳を輝かせながら言う姿とその熱量に感化されたこと。 「そんなに素晴らしいところなら、行ってみたい」 と直観で即決。 プログラムの内容や施設についての情報を何も持たないまま、Yさんに空き状況の確認や申込み、支払いを一任しての参加でした。 <どうやらとても有名らしい> 私の生業のひとつが登山ガイドで、

          「やすらぎの里」体験記

          調身調息調心、それから調食

          伊豆の断食道場に来ています。 一週間コースは各々の目的に応じて断食、少食でデトックス、糖質制限食、養生食(健康的な食事を適量食べる)などが選べ、私は昨年夏にやられたカメムシの毒素抜きが主目的なのでデトックスコースを選択。 初日の夕食は味噌汁だけ。 翌朝は8:00に生姜紅茶一杯。 表題写真の朝食を10:00によく噛み、時間を掛けて食べ、昼食は無く、夕食は18:00に玄米と味噌汁、少量の野菜三品で二日目終了。 1日の摂取食糧は、お代わり無し、食後のスイーツ無し、おやつ類の

          調身調息調心、それから調食

          それでも前向きに生きよう!

          月に一度の主治医との面談。 「今の状態でお母様を退院させるわけにはいかないので、あと3カ月の入院延長を、我々の方でもなんとか頑張りますので、ご承知いただけますか」 と告げられ、 「え!?」と思わず声が出た。 12月初めに入院した母は昨日3月3日に退院する(または退院させられる)はずだった。 だが、現在は2月から始まった電気治療の最中で、それが終わって経過観察も含めて症状が安定してから退院する方が良いので、少し入院期間が伸びます、と相談員から先週聞かされていたが、まさか更に3カ

          それでも前向きに生きよう!

          国籍や国境を越えたその先 ⑤祖国訪問

          台湾で日本の新幹線技術を用いた「高鉄(台湾高速鉄道)」を走らせる吉田修一さんの小説『路(ルウ)』。 苦難の末、数年に及ぶプロジェクトが結実し、開通した「高鉄」に主人公たちが乗る終盤のシーン。ホームや車輛周辺の描写を読んでいると、台湾高速鉄道の車窓からはどんな風景が広がるのだろう、という期待感と同時に、やっぱり列車は良いなぁと旅情もかきたてられました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 日本で華僑の三世として生まれた私が初めて中国を訪れたのは1985年。 高校二年の2学期を終え、冬休みが始

          国籍や国境を越えたその先 ⑤祖国訪問

          国籍や国境を越えたその先 ④失恋

          台湾を舞台にした吉田修一さんの小説『路(ルウ)』の中に、日本が統治していた戦時中の台湾で暮らす日本人と台湾人の親友同士の会話で、その後のふたりの人生に大きく影響を与える重要なシーンがある。 無事に戦地から台湾に帰国したら、お互いの友人である日本人女性に結婚を申し込もうと思っている、と台湾人青年が日本人青年に打ち明ける場面。 (以下抜粋) 『「もし無事に帰国できたら、俺は一生、曜子さんを・・・」 「待て、お前は日本人じゃない。二等国民との結婚を曜子さんのご両親が許すだろうか」

          国籍や国境を越えたその先 ④失恋

          今日はどのオムツにしようかなぁ♡

          病院を出たのは面会・訪問時間が終わる17時を少し過ぎた頃。 母が入院した12月と自由に面会ができた1月は同じ時間帯でも既に周りが暗くなっていたが、今日は空がまだ明るかった。立春を過ぎ、日に日に陽が長くなっていくのを実感する。 いつもは病院から明石駅へ、東に向かって歩るが、今日は夕陽に背を向けてではなく、沈んでいく夕陽を眺めながら歩きたくなり、家からは遠ざかってしまうが西に向かって砂浜を歩くことにした。 今日は2月14日。バレンタインデーのせいだろうか、平日の昼下がりにしては

          今日はどのオムツにしようかなぁ♡

          国籍や国境を越えたその先 ③バイク

          吉田修一さんの小説『路(ルウ)』にはグァバ畑や農道をスクーターで走る場面が何度か描かれている。 グァバ畑を実際に見た記憶はないが、この小説を読んでいると南国特有の熱い陽射しを受けて青々と葉を茂げらせたグァバ畑の農道が目の前に浮かび、育っている果物の新鮮な香りや熟して地面に落ちたグァバが放つ甘い匂いさえも漂ってきそうで、自分がスクーターにまたがって台湾を走っているような気分になった。 『路』を読んで台湾をまた訪れたい気持ちが一層強くなり、台湾に行ったら次は都市部と観光名所だけ

          国籍や国境を越えたその先 ③バイク

          国籍や国境を越えたその先 ②ハプニング

          ① のつづき いま(平成を経て令和となった今)では「国際」と付く中学高校や「国際学部」を設ける大学が多くなったが、私が小学校に通い始めた昭和50年代(1975年頃)はもちろん、高校受験や大学受験をするようになり、県内外の学校を知るようになっても「~国際」という名の学校は無かったと思う。 それだけ日本が国際的になったかどうかは別として、昭和の頃に比べると外国籍の人口も増え、学校生活を外国籍の子と共にする機会が増えた今日、自分と異なる国籍や肌の色を持つ者への偏った見方(偏見

          国籍や国境を越えたその先 ②ハプニング

          国籍や国境を越えたその先①華僑三世

          台湾が舞台の小説『道(ルウ)』(吉田修一著)を読了。 日本の新幹線を台湾で走らせるために異国で奮闘する主人公や日本の統治下時代に台湾で青春期を過ごした老人の回顧など、ストーリーが面白く、美味しそうな料理や人々が暮らす街並みも丁寧に描かれており、自分が育った神戸、移住したカナダも出てきて、やっぱり旅に出掛けたい、台湾に行ってみたい、再訪したい、と思わせる一冊。 私自身、台湾人の祖父母と上海人の外祖父母を祖先にもつ華僑三世として日本で生まれ、神戸中華同文学校で小中学校9年間学び

          国籍や国境を越えたその先①華僑三世

          後ろ髪を引かれる思い 3/3

          母が12月2日の木曜日に入院してから今日12/30で4週間が過ぎた。 今日で6度目の面会。毎回オムツか吸水シートを買っていくので、いつの間にか母の病院に行く時は林真理子さんのエッセイ「ルンルンを買っておうちに帰ろう」を捩(もじ)って「オムオムを買って病院に向かおう」というタイトルを付け、明るい気持ちで病院に向かうことにしている。 もう変わり果てた母の姿を見ても驚かなくなったが、二回目の面会日のショックはやはり今でも鮮明でそう簡単に消えそうにない。 **************

          後ろ髪を引かれる思い 3/3

          後ろ髪を引かれる思い 2/3

          介護保険が適用される短期滞在型施設(ショートステイ)を毎月利用するようになって昨年11月で丁度1年。とても助かっていたので、今後もお世話になるつもりだったが、施設先から今後の継続利用を断られた母が帰宅。 もうショートステイに行くこともないので、お迎えのたびに起こる一苦労(力づく、というよりも、私と職員の男性二人掛かりで痩せた高齢女性を強制連行しているようなシーン)はもうしなくていいという安堵感以上に、今後の予測不能な介護生活とどう対峙すればいいか分からない不安。 それはまるで

          後ろ髪を引かれる思い 2/3