立山 曼荼羅 ハイキング
立山曼荼羅絵図
夏休みに立山連峰に行ってきました。
大学二年の春にスキー合宿で初めて訪れて以来、今回で10回目の立山。
昨年の秋以降、地元神戸の山は歩き続けていますが、泊りの遠征登山は11カ月ぶり。
富山駅から電車・ケーブル・バスを乗り継ぎ室堂に着いたのは8月11日。
祝日「山の日」だったせいか室堂ターミナルの屋上ではイベントが開催されており、特産品の販売やガイドツアーを紹介するブースが設けられ、芦峅寺にある立山博物館の方による「立山曼荼羅」の絵解き(宗教的意味のある絵画の説明)が始まるところでした。
立山曼荼羅とは日本古来の山岳信仰に大陸伝来の仏教が融合した立山信仰の世界観を絵図化したもの。立山連峰に実在する山々や名所を題材として地獄と極楽、開山縁起などが描かれており、江戸時代に立山信仰の布教活動や旅の案内用に使われていたそうです。
立山開山縁起
立山が開山されたのは701年(奈良時代)。16歳だった佐伯有頼(さえきありより)少年が白鷹に導かれて山に入ると熊に遭遇。弓矢で射た熊の後を追っていくと岩屋(玉殿岩屋:写真右から2枚目の上部)に辿り着き、そこには矢が刺さった阿弥陀如来とその脇に不動明王がいて、佐伯有頼は阿弥陀如来から「立山を信仰の場として、迷える人々を導き救済する場にするように」と命じられた。
これが立山が霊山として修験の山、祈りの山として日本各地に知られるきっかけ(出発点、伝説)で、その時に現れた熊は阿弥陀如来、導いた白鷹は不動明王の化身。
1,300年以上前に開山されてから、「立山に登った者は極楽浄土から阿弥陀如来や菩薩が迎えに来る」と信じられ、日本三霊山(富士山・白山・立山)として多くの方が訪れる立山。
いままで、スキーやテント泊登山など純粋にアウトドアが目的で立山に来ていましたが、今回、もう一つの目的を胸に秘めて立山を歩こうとしていた私にとって、歩く前に立山信仰にまつわる物語や立山曼荼羅について知ることができたことは意義深いことでした。
以下、絵解きで知り得た曼荼羅に関連する写真を中心に今回の行程をご紹介します。
スケジュール
DAY1: 午前 室堂着⇒みくりが池温泉(荷物デポ)⇒浄土山ハイキング
DAY2: 朝 みくりが池⇒剱御前⇒別山⇒真砂岳 内蔵助山荘泊
DAY3: 朝 真砂岳⇒富士ノ折立・大汝山・雄山⇒室堂
※DAY2とDAY3の行程はヤマレコに公開
DAY1 浄土山で過去を振り返る
神が宿る霊山と崇められた立山三山(浄土山、雄山、別山)はそれぞれが過去(浄土山)、現在(雄山)、未来(別山)を表しており、「三山を巡ると時空を超える」意味合いがあると解説されていました。
初日は室堂のみくりが池温泉に宿泊。お昼過ぎに宿で荷物を預かってもらい、2時間足らずで登れる浄土山へ。
下山に要する約1.5時間を合わせ、ゆっくり歩き、休憩を含めても4時間以内で宿に戻れる浄土山。
二日目と三日目の山行に備え、標高2,000mを超える室堂平周辺で高地順化を図り(=はやる気持ちを我慢し、まずは過去と向き合い、気持ちを整理し、浄土山で心を落ち着かせ)ました。
DAY2 別山で未来を見据える
二日目は朝7時前に宿を出発。立山の滞在三日間中で最も長い(と言っても)約7㎞。血の池、地獄谷、雷鳥沢キャンプ場を越え、雷鳥坂を登って別山乗越(べっさんのっこし)へ。荷物を剱御前小屋の前に置いて剱御前をピストン。そこから別山尾根を歩いて立山曼荼羅では未来を表す別山へ。
遠い未来に辿り着くには、まず今の立位置を把握し、近い未来へ向かって歩き続けることが大切。そんな思いで一歩一歩、未来の象徴である別山へ。
DAY3 雄山で現在に感謝
立山登山の最終日は立山三峰を歩き、一ノ越経由で室堂へ。
まず最初は標高2,999mの富士ノ折立(ふじのおりたて)、二つ目が立山三峰の最高峰・大汝山(おおなんじやま)標高3,015m、そして最後が立山の主峰・雄山(おやま)標高3,003mに登拝。
立山の山容は仏様の体とみなされていて、室堂側から登り、一ノ越にあたる場所が仏様の膝、二ノ越が腰、三ノ越が肩という具合に仏様の上を歩く(歩かせていただく)得難い体験をしていることになり、山頂部(標高3,003m)が五ノ越が仏様の頭部にあたります。
この日は最後に雄山神社に参拝し、登山ができている現在に改めて感謝。安全を祈願し下山しました。
いままで、立山の雄大な自然美とアクセスの良さが多くの人を惹き付けている、と思っていましたが、今回、立山が「修験と祈りの霊山」の名に相応しい霊的なパワーと魅力に満ちていることを実感。
熱心に立山を信仰し登拝する人が多い理由が納得できたのも歩く前に立山曼荼羅の話を聞けたお陰です。
平安時代から続く、人々が死後に極楽浄土へ行きたいと願う切実な思い。
立山曼荼羅に描かれている名所・旧跡が象徴する地獄・極楽浄土の宗教観だけでなく、スピリチュアルな何かに訴えてくる神秘的(神々が創った)とも思える景色が見られ、今までの山歩きとは趣きが異なる山行となりました。
なにより、昨年秋に二十歳の若さで他界した息子の追善供養ができました。亡くなった息子の救済だけでなく、歩いている私自身も心が救われた今回の山旅。感謝です。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。