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後ろ髪を引かれる思い 2/3

介護保険が適用される短期滞在型施設(ショートステイ)を毎月利用するようになって昨年11月で丁度1年。とても助かっていたので、今後もお世話になるつもりだったが、施設先から今後の継続利用を断られた母が帰宅。
もうショートステイに行くこともないので、お迎えのたびに起こる一苦労(力づく、というよりも、私と職員の男性二人掛かりで痩せた高齢女性を強制連行しているようなシーン)はもうしなくていいという安堵感以上に、今後の予測不能な介護生活とどう対峙すればいいか分からない不安。
それはまるで波消しブロックの高さを越える白波【写真上】のように、どんどん不安という波の勢いを強めてくる。

何があっても柔軟に対応できるよう、予定をなるべく空けておき、自宅介護の長期化を覚悟した矢先、
「二日の午後2時までに到着できるなら診断します」との連絡を受けた。
病院は明石市にあり、最寄り駅はJR西明石から徒歩20分、山陽電車藤江駅から徒歩3分。家から比較的近い神戸市内の病院は既に4ヶ所断られていたので「はい、行かせていただきます」と即答。
訪問診療医とデイサービスの相談員が三田、西宮、明石の病院も当たってくれた結果だった。

急遽その日のお昼の予定を朝に変更してもらい、西明石の精神科病院へ向う。
クリニックからの紹介状と今までの症状、カナダで高齢者施設を転々と移った約10年と様々な治療を受けた経緯をまとめた記録のコピーを受付で渡し、問診票に記入。
異なる二人の看護師による質疑応答がそれぞれ15分ずつ。精神科医師による診断が約30分。
病院に着いて初めのうちは「綺麗な病院やねぇ」とつぶやいていたが、1時間が過ぎる頃には「病院で何をするの?怖いわ。はよ(早く)帰ろ。はよ家に連れて帰って」と落ち着かない母の手をさすったり、背中に手を当てたり、なんとかなだめながら3時間が経とうとしたころ、医師2名、看護師2名、若手の医師や相談員など総勢7~8名がいる診療室で、最後に入って来た指定医と称する医師から、
「ではただいまから入院式を行います」
と告げられ、医師が用紙を読み上げる。

「あなたは精神保健指定医の診察の結果、入院が必要であると認められ、2021年12月2日、午後4時48分に入院されました。あなたの入院は精神保健及び精神障害者福祉に関する法律第33条第1項の規定による医療保護入院です」
な、なんや、この演出っぽいセレモニーは??
それと、医療保護入院って初耳なんやけど、普通の入院ではないってこと??
急にセッティングされた「入院式」に少し私も困惑したが、私以上に大混乱する母。
「私は入院しない、私は死んでるのよ!裸だから、殺されるから、もうお仕舞なのよ!入院しても治らない! I cannot do anything here. I was killed because my English is not good. I was killed. I died. わぁ~」と医師に大声で訴え、急に英語を話した後に金切り声で「わぁ~」と叫ぶ。
「大丈夫ですよ~、ここはもうカナダじゃなくて日本ですよ~」
と落ち着かせようとする看護師を無視し、何度も首を振り、助けを求めるような眼差しで私を見る母。
車いすに乗せようとする看護師の手を払いのけ、
「助けて、殺される、アカン、こんなことしたらアカン」
と私を見続ける母。
(ゴメンね、こうするしかないねんよ、本当にゴメンね)
感情を抑えて母の目をじっと見る。
溢れそうになる涙を堪えている息子(私)に強い口調言葉を放ち続ける母。
「なんでこんなことするんや!ひどすぎる!やっぱりあんたは分かってないんやわ!」
親にほとんど叱られずに育った姉や妹と違い、私は子供の頃からよく親から怒られた。
やっぱりあんたか!こんなこと(いたずら・悪ふざけ)ばっかりして!
 やっぱりまたこんなひどい点数とって!
 やっぱりあんたは何遍言うても分からんのやな!」
母が私を叱る時によく言う「やっぱり」。
大人になるにつれ真面目になったつもりでも、母からすると「やっぱり」この子はダメな子、出来の悪い子という印象はずっと変わらない。母の脳から正常に機能する部位がどんどん消えても「やっぱり」この子は・・・という認識は消えない。
その認識が「やっぱりあんたはええ子やなぁ」と急に真逆になっても、オッサンとなった今では反応に困るが、母の落胆度合が強調されて伝わってくる「やっぱり」は聞き慣れていても哀しい。

「では、こちらにサインしてください」
と男性職員が二枚の用紙を差し出す。
『人生の最終段階の医療と心肺停止時の対応について』の用紙に署名し、入院中の事故やトラブルについての『重要事項説明書』と書かれた用紙の最下部に「私は診療医(医師の名前)より、患者(母の名前)の入院治療に関する上記説明を受けました」という文言の下に署名して入院式が完了した。
母が入院病棟に運ばれてから、別室で入院手続き、書類への記入、病院の設備や注意事項に関するビデオ、レンタル品の費用一覧などの説明。手続きを終えたのが19時過ぎ。正門は既に閉じられ、スタッフが通る通用門から外に出た時はすっかり周囲が暗くなっていた。

歩きだすと一瞬、潮の香りがした。
(海が近のかぁ、見てみたいなぁ)と思ったが、帰って夕飯を作らないといけない。
歩きながら、受診から入院式を経て入院手続きを終えるまで、あらゆることが初めてづくしで気忙しく、どこか心が落ち着かない余韻に包まれながら、診療室や別室でのやり取り医を思い返していた。

「医療保護入院ってなんですか?」
入院手続きの最中、相談員の方に尋ねると、
「そうですよねぇ、聞き慣れない言葉と思いますが、精神科は他の病院とは違って、ある意味特殊というか、色々人権の問題なども含めて特別なことも多く、どうしても患者さんが自分の意思で受診をされたり入院の承諾や判断ができないケースが多く、今日のように緊急措置入院という形で、即日入院となる場合がございます。
お母様も医師が症状を診て、強制入院が必要と判断しましたので、ご長男様の同意のもとで入院をした、という形をとらせていただきました」
という説明だった。

母と会話をしていて、あれ、ちょっとおかしいかな?とあることが原因で急に症状がカナダで出始めてから10年以上になる。それでも、4年前にカナダを訪れた時はまだ一緒に散歩をしながら会話ができる母だった。

バンクーバーのFalse Creek(入り江)2018年

今日から精神科医のもとで母の治療生活が始まる。
既に様々な治療を受けて来たから、この病院で治療をしても結果的に良くならないかもしれないし、良くならないことを覚悟したうえで入院してもらっている。むしろ、どこまで改善するやら、と諦めの気持ちが大半。
それでも、奇跡が起こるかも、とか、少しでも母が自分を取り戻せたら、と僅かの望みも少し抱くようにしている。希望を持つのは自由だし、希望を抱いている間、少なくとも気持ちは前向きで明りが灯っているから。

「緊急措置入院ですので最長でも90日、三カ月の入院となりますが、その後のお母様の引き受け先はどちらになりますか?」
12月、1月、2月入院治療した後、2022年3月以降、母の暮らす場所、というより、母を受け入れてくれる場所探し、という大きな現実が横たわっている。
歩きながら、頭の中で冷蔵庫にある食材と作る料理を考え始めたが、気持ちはまだ病院に残っていた。
看護師を払いのけて伸ばしてきた母の細い手や助けを訴える哀しそうな目が脳裏から離れない。
後ろ髪を引かれる思いで何度も足が止まりそうになったが、立ち止まっても母の状況や私の立場は変わらない。仕方がないねん、と割り切るしかない。色んな思いと感情を振り切るように、一気に駅まで走り、改札口への階段を駆け上がった。
(3/3へつづく)

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<後記>
母が診察即入院した日のお昼、前から行きたかった西宮市甲子園の『ガーデンカフェ・ブラジル』で山友5人とランチの約束をしていましたが、前日に急遽予定をモーニングの時間帯に変更してもらうことになりました。
午後から母を病院まで連れて行く難しさや大変さを考えると、なんとも落ち着かない気持ちで朝から過ごしていましたが、美味しい珈琲とサンドイッチをいただきながら山友と他愛もない話をして、二杯目の珈琲とケーキを食べ終えた時にはすっかり気持ちが穏やかに落ち着いていることに気付きました。

サンドイッチ

急遽時間変更を快諾してくれ、気兼ね無くなんでも話せる山友に感謝ですし、落ち着く雰囲気でもてなしてくださったお店に感謝です。
この日いただいた珈琲とサンドイッチは忘れられない味になりました。

甲子園駅から徒歩5~6分の『ガーデンカフェ・ブラジル


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