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今日はどのオムツにしようかなぁ♡

病院を出たのは面会・訪問時間が終わる17時を少し過ぎた頃。
母が入院した12月と自由に面会ができた1月は同じ時間帯でも既に周りが暗くなっていたが、今日は空がまだ明るかった。立春を過ぎ、日に日に陽が長くなっていくのを実感する。
いつもは病院から明石駅へ、東に向かって歩るが、今日は夕陽に背を向けてではなく、沈んでいく夕陽を眺めながら歩きたくなり、家からは遠ざかってしまうが西に向かって砂浜を歩くことにした。

今日は2月14日。バレンタインデーのせいだろうか、平日の昼下がりにしては駅周辺に人が多かった。
元町商店街の薬局で母のオムツと吸収パッド、更に「ストローもできれば買ってきてください、どうしてもコップから飲むと咽(むせ)たりこぼしたりするんで」と言われたので、曲がるストロー80本セットも買った。
いままで『スルッと履けるパンツタイプ』のオムツを買い続けていたが、「テープで止めるタイプを買って来てもらえますか。その方が履かせやすいから」と看護師から電話があった。
在宅介護をしていたとき、母は自分でトイレに行っていた。
一日一枚、まさにパンツ代わりとしてオムツを活用していた。
オムツを換えてもらえるから有難い、ということは理解しつつも、自分で出来ていたトイレまで出来なくなった(のか、トイレに付き添うより、オムツを換える方が簡単だからなのか、いずれにせよ、母は自分ではもうスルッと履けるパンツタイプのオムツも履けず、病院の看護師にオムツを換えてもらう生活になった)という事実を知らされる。

買い慣れたパンツタイプのオムツは棚のどこに置かれているか、見当がついているが、テープで止めるタイプを買うのは今日が初めて。
うむっ?うむむむ?・・・・・・ひょっとして置いて無い?
三宮と元町の薬局を数件回り、介護用オムツの品揃えが多い店に来ているのだが。
「快適」「長時間」「安心」「うす型」「下着感覚」などの文字は飛び込んで来るが、これも、それも、あっちのも、どれもスルッと履けるパンツタイプで、求めている「テープで止める」タイプが見当たらない。

巷は「今回はどのチョコにしようかなぁ、いやだぁ~、迷っちゃう」女子と「オレこんなのもらっちゃたよ~」男子で賑わう日に、薬局の中でも特に人気が少ない介護用品セクションで、
「う~ん、ほしいオムツがみあたらな~い」
と首をかしげるオッサン。
オムツ売り場の前でいつも以上に逡巡し、眼を凝らして真剣にオムツを探す自分の姿が可笑しかった。

やだぁ~、こんなにあったら迷っちゃ~う

結局、テープ止めタイプは種類が少なく、母に合うSサイズの在庫は他の店にも無かったのでMサイズ20枚入りを購入。前回よりも大きいリュックを背負ってきたが、またしても入りきらず、オムツで~す!とアピールするような製品袋のままでの電車移動となった。

リュックから「横モレ」しても「あんしん」のオムツとパッド

病院に到着しても母とは直接対面はできない。ウェブ面会で母の様子をうかがうだけ。
前回「食事量が少なく、1割しか食べないこともあり、平均すると2割程度ですかねぇ。半分以上召し上がられることはないですねぇ」と伝えられた。
食べる気力、嚥下力も低下し、流動食や飲物での栄養摂取が増えたせいもあってのストロー購入要請だったのかもしれない。
ストローは病院にないんですか?と一瞬思ってしまったが、そんなことより、ただでさえ痩せている母がさらに瘦せ細っているのではないか心配だった。

母のオムツを1階の受付け横で渡す際、母の様子、食欲や現在の体重、その後服用しいる薬の名前と量など、質問したことに対して「カルテを持ってきてないので分かりません」と答えてオムツや日用品類を受け取って立ち去ろうとする看護師に、(私はオムツを運ぶためだけに来てるんじゃないですよ。母の様子が知りたくて来ています。一体何枚オムツがいるねん!と思うくらい、オムツが足りませんと電話で要請されるたびに、出来るだけ早く持って来ている。それで半日はツブれる。対面で面会できない患者の家族が来てると分かっていながら、患者の様子を把握していなかったり、説明する資料、カルテも持たずに、ただ荷物を受け取りに降りてきました、みたいな対応が残念です)とは言えない。
まぁ、仕方がない。多くの患者がいて忙しいのだろうし、こちらは大変な患者を診てもらっている弱い立場なのだから。

1月の主治医との面談で「お母様には薬が効かない」「(薬効が問題個所に)届いていない」ので「電気治療を試してみたい」と打診された。
薬よりも電気治療の方が改善に向かう確率は高く、北米ではかなり採用されている治療法です、と、まるで治療の切り札!のような口ぶりだった。
ここに入院する際、母の病歴、カナダで受けて来た治療、分かっている範囲で服用した薬のリストを渡したが、主治医の説明の仕方からして、こちらが渡した用紙に目を通していないことは明らかだった。
「それはカナダで既に100回以上受けた治療で、その影響や後遺症も含めて、母の様子が難解で難治と云われる段階まできているので、したくないです」と伝えると、医師は驚いた表情(え!まさか既にETC治療を経験済みでしたか!的な)と信じ難いという表情(日本ではまず4回試し、効き目を見て最大8回まで、というのが定石なので、100回以上を受けるなんて、との知見から)を浮かべ、随分と治療方針についての話し合いをした挙句、
「ご家族が同意できないことを無理矢理に、とは言えませんが、そうなるとこちらの病院ではお母様をこれ以上良い方向にもっていくのは難しいかと」と一旦は電気治療は保留にしつつ、代わりの善後策も見つからないお手上げ状態になった。

歩んできた足跡

二月に入って、まだ母とは直接会えていない。
会えないから心配が余計に募るのかもしれないが、病院からの帰り道はいつも母が辿ったこの約10年を思い返し、たまらなく哀しくなってしまう。
そして、今こうして砂浜を歩いてできた足跡のように、母が歩んできた80年近い年月で残した足跡を思った。
本当に大変になったのは私が在宅介護するようになったこの1年半なのだが、不思議と思い出すことはまだ母が元気だった時の笑顔や、紅茶好きで、お菓子を食べながら会話していた姿や家族の為に沢山の食料を抱えて坂道をシャカシャカ歩いて上って行く姿など、ほとんどが子供の頃に見た母の姿だった。
もうそんな元気で、笑顔で、普通に会話が出来る母には会えないことを覚悟しているが、そう思うと急に涙が出そうになった。

もうすぐ夕陽が沈もうとしていた。
歩きながら夕陽と波打ち際の動画を撮影し、
自分自身に語り掛け、言い聞かせるように、

『浜辺を歩レポレ
今日は西明石の病院から西へ、
ひと駅分歩いてから家に帰ろか。
うん、そうしよ。
男の子は泣いたらアカンよ。』

と書いてフェイスブックに投稿。
すると不思議と、涙が出そうなほど昂っていた感情も鎮まった。

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Note 後記
中八木駅で山陽電車に乗り、FaceBookを見ると、さっき投稿した動画に友達からコメントが入っていた。
「男の子も泣いていいと思います」
「泣いていいよ~」
それを見た途端、急に涙が溢れて、今まで経験したことがないくらいの、マンガのようなグシャグシャ状態に。
その後も舞子、須磨、板宿と進むうちに他にもコメントが入り、友達の優しさで涙はハンカチで抑えきれないくらいに濡れ、ダラダラ流れる鼻水でマスクの中はべちょべちょ、ねばねば、とんでもない状態に。
これでマスクを外したら、おでこに貼られたガーゼを熱さまシートと勘違いされた時みたいに周りの乗客が別の席や車両に移動しそうだったので、ジッと我慢。
あぁ~、助けてぇ、マスクから鼻水がモレそう。
今日買った『モレあんしん 強力吸収パッド』おいらも必要やわぁ~。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
FaceBookでコメント、アドバイス、エールを下さった皆さんに感謝申し上げます。


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