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完璧主義だった私が、完璧じゃない自分をゆるして愛せるようになった3つのステップ

最近、完璧主義をゆるめて、自分をゆるすことを覚えたら、自分を好きになって、随分と生きやすくなってきたから、どうやってそうできるようになったのかを改めて棚卸しして言語化してみた。

もともと私は、自分のことをバカみたいに真面目だと思っていたし、完璧主義だった。

今でも片鱗が見えるときもあるけれど、最近はそこまで完璧に頑張らなくてもいいや〜と思えるようになった。


「ちゃんとしなきゃ」の正体は自分だった

小さい頃から、「ちゃんとしなきゃ」と思っていた。
誰に対してなのか、何に対してなのかわからないけれど、「ちゃんとしなきゃ」。

私の中の私が、「もっとちゃんとしないとダメだ」と常に囁いていた。

後になって、キャリアコンサルタントの勉強をしてわかったのは、私は自分の心の中にある超自我と呼ばれる存在の力が強かったんだと思う。

例えば、
・「寝たい」という本能的な欲求(エス)を
・「授業中に寝るのは良くないよ(超自我)」と諭され、
・「眠気を紛らわすために内職し始める(自我)」という結果になる
〜授業中によく内職していた私あるある・それで良かったのか編〜

要するに、私の行動を制限していたのは、「普通で居なきゃ」「良い子で居なきゃ」「周りに合わせなきゃ」と脳内で囁き続けていた自分だった。

そして、それもこれも一重に、私の自己肯定感の低さと、自分の心や感情をコントロールできないがために培われた「過保護な超自我」のせいだった。


①自分の心を観察して、コントロールする意識をする

とはいえ。
そんな自分を頭で理解したとて、すぐに完璧主義が無くなるわけでも、何もしていない自分を許せるようになるわけでもなく…笑

だから、まずはそんな自分をひたすら眺め続けた。

よくよく観察していると、心の動きが客観的に見えるようになってくる。

「今、心の中で話しているのは『超自我』だな」とか。
「最近『エゴ』が抑圧されすぎて元気がなくなってきてるな」とか。

こうなってくると、自分の心を少しずつコントロールできるようになってくる。

「今日はエゴ寄りの生活をしてあげようかな〜!」とか。
「たまには『超自我』に逆らって怠けたって良くない?」とか。

まずは自分の心をよく観察して、コントロールできる心の範囲を少しずつ広げる意識をしながら過ごしてみることにした。
(これを続けてたら、突然恋人に怒り出すとか、自分でも止められない感情の波にのまれる!みたいなことがなくなった。すごい。)


②自分の常識や完璧が通用しないことを痛感する

私は、人が変わるための方法は3つしかない…という言葉をどこかで聞いて以来、本当にその通りだなと思っているのだけれど。

人間が変わる方法は三つしかない。
一つは時間配分を変える、
二番目は住む場所を変える、
三番目は付き合う人を変える
経営コンサルタント・大前研一さん著・「時間とムダの化学」

この3つを見て、「住む場所だけは、外的要因。変えるのは簡単だ!」と思った。
(時間配分も付き合う人も、自分が変えるぞ〜と頑張る必要があるけど、住む場所は、決めてしまえば移るだけで比較的簡単じゃん?)

そして、カンボジアに少し住むことにした。

そこは、今まで日本で生きてきた私からしたら、とんでもない衛生環境だったり、言語の壁があったり、人々の生き方も全然違ったりした。

私たち、もっと自由で自分勝手で良かったのか。
そう思えたことで、だいぶ私は息がしやすくなった。


どう取り繕っても完璧じゃない私は、今もここに存在しているのだから

誰かのカタチに合わせたり、気を遣ったりしている間に、どんどん月日は過ぎてしまう。
それに、自分の周りの人たちだって、結局は好き勝手に生きている。

予定がリスケになったりドタキャンになったり。Aだと言ったのにBになったり。自分以外のものって、コントロールしたいと思うほど上手くいかないよね。

じゃあ、なんで私だけが私を律して生きる必要があるの?

誰かと比べて、自分だけ目立つのは、「普通」から外れるのは、怖いから?

でも、そうやってみんなで守ってきた「普通」だって、それが「普通じゃない」世界にいけば、守る意味もなくなってしまうくらい曖昧なものだよ。

そして私たちは、どんなに完璧を目指したって、残念ながらスーパーマンにはなれない。
ちょっと環境が違うだけでうろたえるし、自分一人でどうにかできることって案外少ない。

その頃の私は多分、私の理想とするスーパーマンになりたかったのだと思うけれど。

でも、スーパーマンになんてなれないし、ならなくたって全然生きていけるのだと身を以て知る経験は、自分の中で大きな納得に繋がった出来事だった。


③セルフラブを育てていく

さて、これまでの経験のおかげで「あれ?私って意外と頑張ってるんじゃない?」という気づきの土台が作れた私。

だけど、まだ足りてないことがあった。


自分のことが好きだって、胸を張って言える?

当時の私は、まだ言えなかった。
それは「まあ、完璧じゃなくても良いけど…ダメなところはダメだろ…」と思っていたから。

完璧になるのは諦められたにしても、自分の中のダメな部分や嫌いな部分については、目の当たりにするたびにやっぱり落ち込む日々だった。

そして、「できないもんはできないよね〜適材適所だよ〜」と気にしなくなるまでには、まあまあ長い道のりがあった。

具体的に私が意識していた流れはコレ。

特に重要なのが、自分の心を観察したり、コントロールしたりっていう基礎がある程度つくられた上で、自分の中のダメなところを1つずつ受けとめていく時間かな。

これがね、まあまあしんどい。いや、非常にしんどい。笑

ダメでどうしようもないけど、本当は取り繕ってスゴい自分でいたかったところを、「アナタ、本当はそれできないよね〜」って責めるのではなく、「でも、仕方ないよね〜」って友だちに向かってフォローしてあげる感じで受けとめていく。

私は正直あんまり料理が好きじゃないんだけど、女だしせっかくなら家庭的な感じ出したいよね、頑張りたいよねって思ってやってたけど、本当はまあまあキツくて多分向いてなかった。
〜素直にそう言ったら、オットは案外料理好きで役割交代してくれるという適材適所を感じるエピソード〜

↑みたいなことが、生活面、仕事面、恋愛面、人生面と、多々ある。


底も知らずに自分のことを好きにはなれない

ただ、ダメなところを受けとめるって、自分の底が知れちゃうからしんどいのね。
だけど、底も知らずに自分のことを好きにはなれないのよ。(と、私は思う)

そんなこんなで、ひたすらダメなところを受けとめていく。

これを続けると、自分のことを嫌だなって思うこと自体が少なくなってくる。
そこに同時並行で、「自分イケてんじゃ〜〜〜ん!」ってことに目を向けて、小さなこともめざとくみつけて超ほめていく意識をする。

毎日1日の終わりに、良かったこととか頑張ったことをセルフでほめる会を開催してもいいくらい。

これも続けていくと、だんだん思考が前向きになっていく。
そしたら仕上げに、気分が落ちたときに「これやっとけばご機嫌になれるわ!」っていう趣味とかお気に入りの何かとかルーティンを確立する。

この一連の流れをつかめるようになってからは、「私って、案外イイじゃんね?」って思えるようになったと思うから、悩んでる人がいたら、ぜひやってみてほしい〜〜〜!


まとめ

完璧主義って、私の場合は「それをやっておけば責められることはない」っていうバリアみたいなものでもあった。
でも、そのバリアによって実は誰かを遠ざけてたり、本当はもっと楽な方法もあるけど、それを選べなかったり、生きづらいなとも思っていた。

①自分の心を観察して、コントロールする意識をする
②自分の常識や完璧が通用しないことを痛感する

徐々に自分のことを冷静にみられるようになってきて、完璧主義をもっと深掘りしていくと、自己肯定感の低さとか、自分のコントロールできなさとか、そういう自分の弱いところだったり、自信のなさをカバーするためのバリアだったことに気づいた。

③セルフラブを育てていく
・底も知らずに自分のことを好きにはなれない
・ダメなところも、ぜんぶ受けとめる
・良いところをみつけて超ほめる
・アガるルーティンをつづけて超ほめる

今も気分があがったり落ちたりすることもあるけれど、それが私だからね。
怠けてることもあるけど、頑張ってることもたくさんあるのよ。

こんな風に、でこぼこした自分のことを愛せるようになると、生きるのが楽になる。
そして、案外周りの人って、私がでこぼこしてても愛してくれるんだなってこともわかる。

みんな、自分のことを愛していこうな!!


ご清聴、ありがとうございました。



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