メキシコシティにある、Agoralucisというホリスティックセンターで働いていたころの写真。 ここは、メキシコでのセラピスト人生の集大成を果たした場所。 僕がいたころは、ヨガや気功のクラスやワークショップ、タイ古式やアーユルベーダのマッサージなどが提供されていた。 僕はそこで、クラニオセイクラルセラピー・バイオダイナミクスのセラピストとしてフリーランスで働かせてもらっていた。 10時から20時までの固定された時間そこにいる必要もなく、予約が入った時に行くだけでいい。
歩きます。 とにかく歩きます。。 極寒のサルカンタイ山の麓を後に、あとはマチュピチュに向けて少しずつ下っていきます。 下るにつれて、気温が少しずつ上がってくるのを肌で感じます。 植物限界域っていうのがあって、たぶん3800m以上はほとんど植物は育たないのかな? 上の写真もそんな感じですよね。。 それが、下っていくほどに、緑が見えてきて、その種類がどんどん変わってくるんですよね。花が咲いているのを見たときは、なんかちょっとホッとしました。 当然、ここ数日の間は風呂にも
田んぼに水が張られるこの季節。。 雨降り前なんかに一斉に始まるカエルの大合唱。。 カエルの声を聴くと思い出されるのが、昔、アマゾンで盛られたカエルの毒。。 十数年前にブラジルのアマゾンに滞在した時、現地の人たちが時おり行うというカエルの毒を使った治療の儀式があるというので参加してみた。 現地でKambo(カンボ)と呼ばれる、身体に溜まった毒素や感情を排出する伝統的な治療儀式。 まさに、毒をもって毒を制すといった感じ。。 フタイロネコメガエルというアマゾン流域に生息す
マチュピチュへのトレッキングツアーを現地で申し込んだ。 人気のインカ道を歩くコースではなくて、Salcantayという山を通るルートにしました。 インカ道とはインカ時代に張り巡らされた道路網です。ペルー、ボリビア、エクアドル、チリなど南米6ヶ国にもまたがり、総延長は3万kmに及びます。この道を使って物資を運んだり、チャスキと呼ばれる飛脚が重要な情報を伝達していました。サルカンタイ・トレイルはこのインカ道のひとつ。遺跡を渡り歩くインカ道トレイルとは異なり、エメラルドグリーン
チチカカ湖を船で渡って、ペルーに入りました。 (チチカカ湖に浮かぶ太陽の島での出来事は「不思議な水」にまとめてみました。) そこからさらにバスで進み、ペルーの首都クスコへ。 旅の途中、新しい街に着くと必ずやることが1つあります。 それは、「市場に行くこと」。。 何故なら、そこに暮らす人たちの「生活」が見えるからです。 売られている物、道具。。 野菜、果物、肉類などの食材。。 それらの匂い。。 音楽や言葉のリズム。。 同じスペイン語でも国によってリズムが違う
連休中はハードだったので、明けた月曜日に「待ってました!」とばかりに早朝家を飛び出しました。 以前から行きたいなあと思っていた猿投山です。 天気がよくなりそうなので、植え付けたばかりのナスに水をやりに畑に寄って、ついでに食べごろのスナップエンドウを10個ほどもいでから猿投へと向かいました。 情報によると駐車場は50台分とのことだったので早めの出発です。 連休中はさすがに停められないだろうというのもあっての月曜狙いでした。 6時半くらいに猿投神社に着いてご挨拶。 神
昔は、いつかフォトエッセイ集でも出せたらなあとか思っていて、旅にはいつもノートを持って出かけていた。 旅先で見た風景、市場の活気と匂い、鶏まで乗り込んでくる小型バスでの様子など、リアルタイムで書き記していた。 さらに1日の終わりには、その日を振り返ってまた書く。。 そして旅だけではなく、日常生活における日記的なものもずっと書き記していて、そのノートのボリュームはかなりのものになっていた。 職場の人とのやりとりでムカついたこと、大衆食堂のおばちゃんとのやりとりでうれしか
よりクリニカルに、 そして、よりスピリチュアルに。。 クラニオ・バイオに出会ってシフトチェンジが始まりました。 僕自身の気功やヨガのプラクティスとも重なって、 施術への探求が一気に深まったのもこのころです。 人とは何か? 身体、こころ、魂の複合体? それらを総括的に包み込んで整えてくれるのが、 僕にとっての クラニオセイクラルセラピー・バイオダイナミクスでした。 クラニオの学びを深める中で、 僕の意識の扉が開くのもどんどん加速して、 新しい出会いが怒濤
当時、標高2200mあるメキシコシティに住んでいたので、高山病なんかにはならないだろうと思っていました。 でも、ボリビアのラ・パスは甘くなかったです。空港が4000mのところにあるんですよね。。 普段、4、5000m級の山にも登っていたので、まあ大丈夫だろうと高をくくっていたら、見事に高山病になりました。 歩いて少しずつ高度を上げていけばいいんでしょうけど、飛行なんかで一気に上げると、やっぱりダメなんですね。。 宿についたころは、「ちょっと頭が痛いなあ」って程度だった
ある日ホテルに出張を依頼されて、 終わったのがもう夜中。。 バスはもうないし、 流しのTAXIは時間的にもさすがに危ないし・・ かと言って、安全な手配TAXIなんか頼んだら、稼いだお金がパーになる。 アパートまで5,6キロ。。 歩いて帰れない距離じゃない。 ってわけで歩き始めたものの、 しばらくしたら背後に人の気配。。 2人いる。 ホテルは、あまり治安のよくない場所にあったから、 もしかしたら後をつけられてたかな。。 早歩きしたら向こうもスピードを上げ
日本で身につけた東洋式の施術を引っ提げて、いざメキシコへ。 最初は生活の基盤を整えるのに苦労しました。 1泊300円の安宿を出てアパートを借りようというとき、 「もう明日から住めるよ」っていう 管理人の言葉を鵜呑みにして引っ越しをしてみたら 水も電気もガスもない。。。 なんかの手違いか? 管理人に確認してみたら、 「あ、そうでしたね。今すぐに。。」 あ、なんだ、ちょっと忘れてただけかな。。 飲み水とロウソクは一応買っておこう。。 で、夜ご飯は屋台のタコス
砂漠から帰ってきて数日後にイギリスの研修へ。 ロンドンから電車で西へ3時間、Dartmoor National Parkっていうだだっぴろい(945sq km)森の中にある学校。 授業はともかく、今回も森の空気を吸うのが楽しみ。乾燥した砂漠から木や湿った土の匂いのする森の中へ。感覚はずいぶん違うけどこの森のエネルギーもまたすごい。いわゆるrey lineの近くにあるってことも影響してるかもしれない。 その森の中で野生の鹿をみた。奈良公園の鹿みたいにもっそもそしていなくて、
Quemadoでの祈りの効果が、早くも現れてきてる。 まだ物理的に確認できないものは仕方がないにしても、 身近なものについては、効果を見ることができる。。 少なくとも何かが「動いている」のを感じる。 ものごとが進むのが前よりもスムーズだし、意思の疎通にしても、話のわかる人との接点が多くなってきたし(残念ながら僕のコミュニケーション能力が上がったわけではないです。。)、ごちゃごちゃうるさいひとは遠ざかっていくし。自分の頭の中もずいぶん掃除できたように感じる。 砂漠へ行く
ある朝、起きて、シリアルと乾燥フルーツを食べた。というか、ここ最近は毎日これが朝食。。 ちなみに昼と夜はツナ缶とクラッカー。 おしっこは濃い黄色。うん〇はカタイ。明らかに水分不足。 このころになると野うん〇も快感から「普通な感じ」になってきてた。つめの垢なんてどうしようもないし、からだの垢も皮膚の1部になってたし、べとついた髪も、「ムースいらんやん」ですむし。人間って、シンプルやなあって。 いわゆるこういう、パワースポット、と呼ばれるところには「何か」があるんだろうか
メキシコシティから北へ8時間。荒っぽい運転に揺られて着いた砂漠の町。 そこから、約6日間、歩きに歩いた。。 水と食料と寝袋と、わずかな着替えと。。 人間って、こんなにシンプルに生きていけるんやな、って。。 昼間は炎天下をひたすら歩く。 夜は缶詰のイワシのようにみんなでくっついて寝る。 1日に2,30キロ、1週間で140キロほど歩いた。 徐々に、無駄の動きのない、楽な歩き方がわかってくる。 歩くこと自体が瞑想になり、上から糸で操られているように勝手に手足が動く。