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火の浄化

昔は、いつかフォトエッセイ集でも出せたらなあとか思っていて、旅にはいつもノートを持って出かけていた。

旅先で見た風景、市場の活気と匂い、鶏まで乗り込んでくる小型バスでの様子など、リアルタイムで書き記していた。

さらに1日の終わりには、その日を振り返ってまた書く。。

そして旅だけではなく、日常生活における日記的なものもずっと書き記していて、そのノートのボリュームはかなりのものになっていた。

職場の人とのやりとりでムカついたこと、大衆食堂のおばちゃんとのやりとりでうれしかったこと、出会い、ときめき、気づき、なんでも書き綴っていた。

でもある日、そのノートのエネルギーが「ねっとりと重たい」感じがした。

そりゃそうだ。

もちろん人が読んでも気持ちのいいことも書いてあるけど、妬みとか罪悪感とか絶望感まで記してあって、それらは単なる「文字」ではなくて、そのときの感情までねっとりと乗っかってるんよね。

で、ある癒しの儀式に参加させてもらったときに、儀式の最後に今までのノート全部を火の中に放り込んだ。

メキシコに関わらず、ネイティブの儀式では必ず火は使われていて、いつの間にか僕は儀式中の「火の番」を仰せつかるようになっていたのだ。

火は、ゆっくりと分厚いノートを包み込み、メラメラとまるで魔物のように形を変えながら、ゆっくりと時間をかけて灰になっていった。

ねっとりとしたエネルギーは、聖なる火の力によって煙となって昇華した。

胸の周りがずいぶんスッキリしたのは気のせいだったろうか。。

日本に帰る直前の、最後の儀式だった。


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火でいうともう1つ面白い話がある。

とある砂漠の民のシャーマンの下である儀式に参加していた時、突然長い糸が参加者全員に配られた。

今までの性的関係を浄化するんだそうだ。

曰く、性的関係を結ぶということは、相手のカルマを背負うことなんだよ、と。それだけでなく、相手がこれまで関係してきた野郎どものカルマまで背負うことになるんだよ、と。。

・・・・

えええ??知らんわい!!

って叫びたくなったね。そんな、会ったこともない野郎のカルマなんて。

ってことで、それらを火の力で浄化しようという儀式。。

配られた糸に結び目を作る。今まで関係してきた数を玉結びしていくのだ。僕の隣にいた女の子は、全員が結び終わってるのにまだまだ終わらない様子で、「どんだけやっとんねん」って周りか突っ込まれていた。(みんな仲間だったしね)

そういう明るさというかオープンさがメキシコのいいところ。

そして、その玉結びができた糸を聖なる火の中に入れていくのだ。

一瞬で消えた。きれいさっぱり。


で、それ以来、例え素敵な人と出会ってもいろいろ躊躇してしまう、、実はかなりのビビりです。


でもその砂漠での火の儀式の翌日に、彼らの聖地に足を踏み入れてみたわけだけど、そこで放った「意図」の具現化がめちゃくちゃ早かった。


願い事とかやりたいこと、引き寄せたいことなどを「意図」すると、すぐに目の前に現れる、それが本当なのかもしれない。

実際、マヤ語には「探す」という言葉と「見つかる」という言葉が合わさった意味の言葉が存在すると、らしい。別々では存在しない。探すと同時に見つかってる、そういうことなのだろう。

でもそういう状態に持っていくには、いろいろときれいにしておかないとダメだと、そう火に教えられた気がした。


もう1つ。

大切なものは、目には見えないし形も存在しない。

そして、言葉で言い表せるものでもない。


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