見出し画像

他人を信用できない理由※発達障害者の憂鬱



久しぶりにnoteを書こうとしてみて、言語化って意外と難しいんだなと思った。毎回、です・ます調にするか、だ・である調にするか迷う。
※私は語尾をあまり固定していないので、何となく気分で語尾を変えています。

  • 他人と深くかかわない

  • 人を薄っすら嫌い

  • 職場の人と仲良くなろうとすること、仲良くなることを苦痛に感じる

  • 深くかかわりたくない

上記のような感情を抱いたことがある方は、少しは共感できるかもしれない※noteを書く前に書いた箇条書きの一部です。





『皆さんは、誰かを好きになったことは有りますか?』

そう言われたとき、皆さんは恋愛的な好きを思い浮かべるのだろうか。
私も、正直恋愛というものをコンテンツとして知っているから、何となくそのことを聞いているのだろうな、と思ってしまう方だ。

会社の同僚のことは好きだろうか。心から信頼できる人はいるだろうか。

私は、正直いないし、人を信用する怖さを知っているから、出来ないのだろうと思う。
ずっと信用『できない』ではなく、『しない』というようにしていたし、恋愛も『できない』というのは違う気がするので、『しない』と心の中で言うようにしていた。

恋愛できないという表現を使うと、好きなのに結ばれないとか、相手がいなくて寂しがっているような印象を与えるからだ。
私は好きになったことすらないので、正直恋愛できないから自分を不幸と思えないし、恋愛できないから孤独だとも思わない。

だから恋愛をできないといより、『しない』という言い方の方が近い、というだけで、別に恋愛を全くしたくないわけでもない。
それだけ人のことを好きになれるってすごいことだと思う。

それでも私は、たぶん、ずーーーっと手前で引っかかっている。普通に人と友達になったり、仲良くなったりすることでさえ、たぶん恐怖を抱いている。だから恋人なんて、以ての外なんだよと思う。

私を傷つけてきたのは、いつだって『社会』だった。けれど私は、絵や歌の才能のように目立った武器がなかったから、社会で生きるほかない。


けれど人と『深く』かかわるのが、どうしようもなく嫌なのだ。


今まで、どれだけ努力してきたろうか、と思う。

物凄く苦痛だった学校が、今では必ずしも行かなくて良い場所となりつつある。あの頃、私が通っていたころも、不登校の人間はクラスに一人いるぐらいの割合で存在していたけれど、今ほど不登校の人間に許容的ではなかった気がする。実際はそうでもないのだろう、とは思うけれど、偏見は少しずつ薄れているのではないか?と感じる。


ただ、学校に行かなくとも良くとも、どこかに所属していないと生きていけないことは変わらない。

私は、友達だと思っていた人に段々と避けられたり、陰口を言われるようになった記憶が未だに、ふとした時に蘇る。

フラッシュバックというほど胸が苦しくなるわけでもない
それほど辛くなるわけでもない。ただ、ふと思い出す瞬間が多くあって、それは大抵人と関わった時にある。

過去のことを思い出して息苦しくなるわけでもない。
別に人と関わることができないわけでもない。

ただ、積極的に自分から関わる気になれず、必要以上に仲良くなりたくないと思ってしまうのは、何より私自身が傷つきたくないからだと思う。

現に私は、初対面の時はあまり緊張せずに済むけれど、二回目以降誘うのは緊張するし嫌だなと感じる。

仲良くなりたいと思う相手ほど、余計に誘いたくないと思ってしまう気がするし、実際誘わない。

他人をそれほど信用できないのは、学生時代、卒業するたびに再スタートする気持ちで頑張っても、結局初めは仲良くなれても、だんだん嫌われた記憶があるからかもしれない。

小中高、仲良くなろうとして空回りばかりしてダメだった。今思えば私の言動は全てが空回りしていて、疎まれても仕方がないと思うが、当時の私にはわからなかった。私はいつも考えすぎて言葉にできず、相手に誤解されてばかりだった。そのうえ、自分に自信がないあまり卑屈な言動になりがちだった。


大学で、人とあまり深く関わらない人たちと知り合い、そういう生き方もあると学んでいった。

人と仲良くならなくても良い、そう思うと楽になれた。

職場の人を信用しない方が、信じて裏切られたり嫌われたりするよりは100倍良いことも経験上わかっている。

特に職場の人は嫌われると仕事がしづらくなるし、あまり自分のことを知られていない方が仕事がしやすい。職場内恋愛などは、(そもそもできないが)以ての外だ。


つまらない、暗い、気持ち悪い、何考えてるかわからない。


そうしたことを言われたことがある人たちは、またそう言われるのが怖くないだろうか。
恋愛する人たちは嫌われるのが怖くないだろうか。失恋しても、また恋愛ができるのはなぜだろうか。


私が臆病なのは悪いことなのかもしれない。ただ、私は深く関わるよりも、傷ついても痛くない『表面上』だけで人と関わることを学んだ。

心の深い部分を傷つけられないように接することを学んだし、誰にも私の深いところには近づけさせたくない。


家族にも言わないことはある。

けれど、私は中身のないくだらない話をして笑い合える相手さえいれば、それで良いと思う。

今のところは家族だけだけれど、そういう相手ができるよう、少しずつ他人と関わる努力をしていこうと思っている。

例えばここで、自己開示をしているように。

プライベートで関わる数少ない人たちと、もっとくだらない話ができたら良いなと。






自己紹介

発達障害かどうか少しでも悩んだことがある方は、診断を受けに行くのも有りかと私は思っています。
義務教育で福祉制度のことを学ぶ機会が増えればよいなと思いますが……


ここまで読んでくださり、ありがとうございます!非会員ユーザーでもスキは押せますので、良ければ押してくださると励みになります。