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掌編「桃、菖蒲。いざ勝負。」


 僕はお雛様が好きだった。子どもの頃、三つ上の姉の御蔭で、毎年家にはお雛様が飾られていた。勝手に触らない約束を守れば、好きなだけ見てて良かった。お雛様とお内裏様の、白くてきれいな顔立ち、それに立派な冠や衣装。年に一度灯りの下へ出されては、じっと並んで、僕らの生活の中に溶け込んでいる。だけどその佇まいには気品があって、雛壇の上だけは、やっぱり特別なんだと子ども心に思った。なにより、必ず二人寄り添って並んでいるところが好きだった。

 それから、桃の節句にお雛様と分けっこして食べるあられやちらし寿司が、とても特別な食べ物みたいで嬉しかった。


 去年僕は結婚して、一人目が生まれた。男の子だった。くてんくてんだった赤ん坊は最近むちむちの手足をやんちゃに動かして、順調に大きくなっている。新米パパの僕は毎日振り回されて嬉しく思う。寝不足はちょっと辛いけど。

 ところで僕は、年が明けてからずっとそわそわしている事があった。このまま僕が何も言わなかったら、あっという間に三月になってしまいそうなのだ。

 僕はお雛様が買いたい。

 家にお雛様を迎えるのが憧れだったのだ。我が家のお雛様を飾って桃の節句を祝いたい。でもうちは男の子で、マンションの我が家は手狭だし、五月までに兜を用意する事を思うと、中々言い出せないでいる。僕の妻は節約上手で、子どもが生まれる前から将来を見据えて貯金を続けているようなしっかり者だから、まずサプライズはよくないと思う。それに人形にもそれぞれ個性があるから、一緒に選ぶ方が良いとも思う。

 このまま何も言わずに三月を迎えて残念な気持ちになるよりは、思い切って妻に相談してみようと思う。その方が良いに決まってると、僕はこの頃ずっと機会を探っていたんだ。


 母乳をたっぷり飲んで、おむつ替えも終わってさっぱりとした息子は、珍しく眠るでもなく、ベビーベッドで御機嫌にしている。チャンス到来だ。僕は相談があるんだと言って、妻にとうとう打ち明けた。


「ダメ」
 けんもほろろに返された。
「やっぱり、そうだよね・・・。五月までに兜を用意しなきゃだもんね。でも、一応理由を聞いてもいい?兜以外の理由があればだけど」
「女の子が生まれたら、孫への贈り物にするって楽しみにしてる人が居るから」
「それって・・」
「うちのお母さん」
 僕はなんだあーと盛大に安心して相好を崩した。そしてふと、妻の表情が気になって前のめりになった。
「できたの?」
「―まだ」
 それもそうだ。だけど僕はもう、今から待ち遠しくて待ち遠しくて仕方がなくなった。さっきまでヘコんでいた自分はあっさりどこかへ飛んで行った。

「ああー、はやく出会いたいなあ」
「どっちに?娘?お雛様?」
「両方!」

 僕らは豪快に笑った。あんまり楽しそうにしてたからか、ベビーベッドの上でいい子にしていた息子が僕も仲間に入れろと泣き出した。

 安心しな、も少しあったかくなったら、君の立派な兜を選びに行くからね。これからもすくすく大きくなって、一緒にたくさん遊ぼう。それから、もしも妹ができたら、君もきっと嬉しいと思う。ううん、絶対嬉しいに決まってる。みんなで仲良く、お雛様の前であられを食べよう。それとも、粽を食べて背比べ勝負かな。楽しみだなあ。

 むちむちの手足を力いっぱい動かして、君が一層派手に泣き始めた。

                             おわり

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