掌編「八月六日と折り鶴」
「お前んとこのクラス一人何羽?」
「八」
「まじか。うちら十一なんだけど」
「誰か休んだとか?」
「それもあるし元々一人少ないだろ」
瞬の説明に啓介と大地は同時にああ、と納得の声を上げた。
「ってか瞬、お前折るの速くね?」
「そうか?」
瞬は手を止めずに、視線さえ持ち上げないまま答えて、黙々と鶴を折ってゆく。今年も全校生徒で千羽、鶴を折り、代表者の平和行進によって、市内の平和記念公園へ運ばれる事に決まっている。今年度は学校の都合で式典には間に合わなかった。瞬は小一の夏、関東から引っ越して来たが、広島に生まれ育った啓介と大地の夏は、物心ついた時から折り鶴と共に在った。平和学習も他県より意欲的で、真夏の日差しを浴びながら、平和への願いを込めた横断幕を掲げて、シュプレヒコールと共に街を歩くのは恒例であった。
瞬は引っ越して来た当時、家族と原爆資料館へ行って、展示物の凄惨なのに衝撃を受けた。全身から血の気が引いて、暫く口を利けなかった。両親も不味いと思ったのか、資料館の見学は途中で引き上げた記憶が或る。後日夏休み前の個人懇談の席で、母は担任から、資料館を訪れるのは高学年以上が適齢なのだと聞かされて、酷く納得したらしい。
瞬は然し、あの日見て於いて良かったと、今では思っている。年を追うごとに、あれが誇張でも何でもなく、忠実な歴史なのだろうと思ったのだ。戦争を、原爆を知る程に、この土地へ越して来て良かったと思った。
瞬が折り紙で鶴を折れるようになったのは、千羽鶴を作る為に保育園で教わった時であった。
「各家庭で七羽お願いします」
おたよりにそう書いてあった。母と二人、正方形の赤や黄の鮮やかな一枚一枚で鶴を折った。お手本は、折り方を覚えたての瞬であった。
「しかも奇麗だな、瞬の鶴は」
「お前のは最後の折り込みが雑だな。おい、嘴曲がってるじゃん」
「だから苦手なの、こういう細かい作業」
「作業って言うな」
「瞬、お前の奴ちょっと見せて」
大地が瞬の一羽を手に取ってみる。尾の折り返しから嘴の先まで、左右対称に見事な仕上がりである。大地はその翼を左右にそうっと広げて、自分の手のひらへ載せた。
「こら、何広げてんだ。千羽鶴だぞ。紐で繋ぐんだからな」
「分かってるよ、直ぐ戻すから。でも、こんなに奇麗に折って貰ったら、禎子さんだって広げてみたくなったと思うよ」
大地は小さな鶴を上から斜めから観察して、満足したようにまたそっと翼を畳むと、瞬の元へ返した。ありがと、と添えると、瞬も「ん」と云って返す。
こうして夏の平和学習の一環で毎年千羽鶴を折る様になったきっかけを作った、佐々木禎子さんの話は有名であり、まさに平和を祈る象徴であった。同じ子どもが、その時代、原子爆弾に拠って命を奪われたと聞けば、幼い子どもでも想像しやすく、折り紙で鶴を折る事が、身近で平和を祈るきっかけにもなっている。
「俺の分終わった」
瞬は手元の十一枚を全て見事な十一羽に変えて云った。二人を見れば未だ数枚残っている。
「手伝おうか?折っても良ければ」
「まじで、頼むよ」
「いいよ」
瞬は二人の折り紙から一枚ずつ取っては、また黙々と鶴を折った。
「木工は得意なんだけどな、なんで折り紙下手くそなんだろ」
「まあいいじゃん、みんな得手不得手があるってことでさ」
「うん・・・て、お前それ鶴じゃないよ、烏になってる」
「え、、あれ、どこで間違えたんだ」
大地は啓介の烏を奪って、間違えた箇所まで戻り、折り直し始めた。啓介が不図スマホの時刻を確認する。
「あ、八時になった」
「そろそろ点ける?テレビ」
「だな」
今年の夏は三人で黙祷しよう。そう提案してきたのは啓介であった。高校最後の夏休み。今後はみんな進路が別れ、瞬はまた県外へ出て行ってしまう。夏が来る度鶴を折り、平和学習を積んで、八月六日と九日と、そして終戦記念日に想いを寄せる事が、後何回出来るか正直分からなかった。いくら思いがあっても、ひとたび社会に出れば、仕事のリズムに添わなければならない。電車で移動中かも知れないし、朝礼中かもしれない。必ず夏休みで、市内の原爆ドームが大写しになる平和記念式典を見られる学生の今とは違う日々が待っているのだ。
啓介にしても、三百六十五日二十四時間、ずっと平和について考えている訳じゃない。けれどやはり、この土地で生まれ育った事にそれなりの意味を考えるし、世界は平和である方が良いに決まっていると思うのだ。教室では熱を揮って語ることは出来ないが、瞬や大地の前でなら、自分の内にある素朴で純粋な平和への想いを口に出す事ができた。二人は提案にすんなり賛同して、瞬は家でしようと朝早くの訪問を受け入れてくれた。
「ああ、やってる。原爆ドームだ」
「首相も来てんな」
「テント置くようになって良かったよな、みんな高齢者ばかりでさ、暑いもんな」
画面に流れてくる映像を眺めながら、好き好き感想を述べて行く。そして、音楽が止まる。平和の鐘の音に合わせて、一分間の黙祷が行われる。
「おーしみんな立って」
「もう立ってるよ。あれ、瞬、早く」
「うん」
瞬はばたばたっと椅子から離れると、二人の傍へ駆け寄った。
「全部出来たよ」
「ええ!今の間に!?」
千羽分の、三人で合わせて三十羽。平和への小さな祈りが、テーブルの上へ積み重ねられている。
おわり
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