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「KIGEN」第八十八回(終)


 とある幼稚園の遊戯室。講演前に、エプロン姿の先生が園児を前にお話を始める。

「今日のお話し会の先生は、JAXAっていう、宇宙を相手にお仕事をする、とーっても凄い人たちです。それからもう一人、スペシャルゲストも登場するそうですよ。楽しみだね。それでは先生、よろしくお願いします」

 小さな手がぱちぱち鳴らされる中、奏はそろそろと園児の前へ歩み出た。傍らにはサポート役で矢留世が控えている。今日の講義テーマは「ロボットと人」。これまでのロボット工学における人とロボットとの歩みを嚙み砕いて説明し、人とAIの共存を幼い内から考えていくというものである。プロジェクションマッピングなどで園児の目を楽しませつつお話を進めて、ここでスペシャルゲストが登場となる。

 だれえ?

 どこからくるのお?

 子どもの声が飛び交う中、遊戯室の出入り口から、ゆっくりと入室する姿が室内中の注目を浴びる。大柄な男性で、まわし一つで入って来た。にこにこと笑顔が絶えず、目尻の皺が人懐こい印象を与える。前列の園児が真っ直ぐに指を差した。

「きげんだー!」

「ぼくしってるー」

「わたしもー!」

 あっという間に大騒ぎとなり、園児たちは挙って立ち上がりかけたが、すかさずマイクを握った先生が元の通りに座らせた。その手腕に感心しつつ、奏が口を開いた。

「僕の友人であり、家族の基源です」

「みなさんこんにちは、基源だよ」

「ここに居る基源は、みんなと同じ人の体を持っていません。けれど、昔と同じ基源なんです」

「とりあえずね、私も服を着ていいかなあ」

「どうして着て来なかったの?」

「奏がまわしで来いって言ったんだもん」

「ええっ、人のせいにしないでよ。自分でそうしたいって言ったじゃない。段取りに無い事言わないでよ」

 二人の様子に園児たちが笑い出した。それから現在の基源を形作っている仕組みを簡単に説明して、二人に聞きたい事を手を挙げて質問する時間となった。興味津々の手が部屋のあちこちで挙がっていった。

「きげんはどうしてこわれないの?」

「簡単に言うとね、磁石のプラスとマイナスってわかるかな。あれと同じなんだよ」

 奏がマイクを小脇に挟んで右手と左手でぐうを作って見せる。すかさず矢留世が傍へ寄り、マイクを引き取って奏の口元へ持っていく。

「こっちがプラスの時は、こっちの手はマイナスで、引きあってぴったりくっつく。それで、こっちの手がマイナスになったら、反対にこっちの手はプラスになるんだ。そうすると二つの拳はどうなると思う?」

「くっつくー」 

「正解。そうやっていつでもぎゅっとくっつきあっているから、どんな衝撃を受けても元の形に戻れるんだ」

「すげえー」

「かっけえー」

 奏が説明を終えると、基源が豪快に、高く飛び上がった。膝を曲げて、スノーボードでもはめているような格好で空中に停滞すると、そこから今度はスローモーションだ。まるでそこだけ時間が止まったような錯覚を起こす。驚いた子ども達が目をまん丸にして口をぽかんと開けている。この間基源の体は全く乱れない。そして、人の形を維持したままゆっくり地面に着地すると、何事もなかったかのように澄ましている。粒子の移動と結合が高速かつ滑らかで、肉眼で映像の歪みに気付くことは不可能なのだ。

 子ども達をすっかり虜にした基源と奏は、順調に質疑応答を熟していった。質疑応答の終盤、また一人手を挙げた子どもがいた。奏が指名すると、当てられた子はおずおずと立ち上がった。

「ええっと、き、き、きげんは―」

 子ども達から笑い声が上がった。かつての奏と同じだった。こんな風に言おうとイメージはできるのに、口が上手く動かないのだ。焦れば焦る程に頭の中から言葉が遠ざかって行く。言いたかった事が分からなくなる。笑われることが恥ずかしいのに、それすら口に出せないで、代わりに自分も笑ってみる。だが、全然楽しくなかった。

 奏は力強くマイクを握り締めた。そして子ども達の間を縫って質問者の隣へ到着すると、同じ背丈になるようにしゃがんだ。そこからマイクは要らない。昔自分が矢留世に言って貰ったように、子どもの目を見て、ゆったりと声を掛ける。

「大丈夫、ゆっくりでいいんだよ」

 子どもはこくんと頷くと、もう一度息を吸って、口を開いた。奏は自分でも気付かない内に子どもの背中に手を当てていた。手の平から、子どもの熱い体温が伝わって来た。無事に質問を終えた子どもは、言い終えた途端に勢いよく座った。奏は立ち上がると、また子ども達の間を縫って元の位置へ戻った。そしてマイクを構えると、

「とっても素敵な質問だよ、ありがとう」と言った。

 質問した子どもは照れ臭そうに笑って、膝の間に顔をうずめた。

                       (終章・若い瞳・終)



おわり


※この物語はフィクションです。登場する人物、団体等は、実在のものと一切関係ありません。しかしながら、これからもずっと、私たち人類に夢と希望を届け続けて下さいますように、実在するJAXAと大相撲協会を、私は一個人として応援致しております。
                             作者


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ようこそいち書房へ。長編小説はお手元へとって御自分のペースでお読み頂きたく思います。

「AI×隕石×大相撲」 三つの歯車が噛み合ったとき、世界に新しい風が吹きました。 それは一つの命だったのか。それとももっと他に、相応しいも…

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