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「KIGEN」第七十八回


 


 土俵上での凛々しい姿と、普段のにこやかな笑みを絶やさない優しい姿に、周囲の評価は段々と好意的なものが占めるようになっていった。

「同じなんじゃないか。人も彼も」
「寧ろ人間よりピュアだ」
「かわいい。応援したい」
「横綱になった姿見てみたい」

 基源の活躍を期待する声は、ネット上でも広がっていた。

「革命が起きてる」
「俺たちはもしかして凄い時代に生きてるのでは」
「最近は大相撲中継で基源の活躍を見守るのが一番の生き甲斐になってる」


 世間がどれだけ騒がしくなっても、基源は愚直に稽古に取り組んだ。自分が立派な相撲をとればお客さんが盛り上がる。周囲が喜んでくれる。温かい声援と拍手はいつもちゃんと受け取っていた。耳で聞くというより、肌で感じ、心に届くと言った方が合っているように思った。そんな声援が毎場所続きます様に。大相撲がこの先もずっと盛り上がっていきます様に。基源は人一倍稽古を積んだ。目指す地位はまだ上にある。自分がその場所へ立つに相応しい人物である為に、相撲道のみに留まらず、日頃の所作から立ち居振る舞いに気を配り、品位を学んだ。上位の地位に相応しいものが身について来ると、自然と風格も備わっていく。心が安寧に帰することで、謙虚さが生まれた。周囲への感謝を素直に口に出す。基源が新弟子検査を受けた当時記者会見などの対応に追われた理事長も健在で、最近の基源について感想求められると、土俵上での気迫溢れる相撲もさることながら、土俵下での真摯な態度を評価する声が自分の周囲にも多い事を明かし、安堵の笑みを浮かべた。最近ではポケットのハンカチの出番も少ないらしい。

 基源の相撲道が周囲に認められていくのは、彼をバックアップする研究チームにとっても誇らしい事だった。だがしかし、奏はその一方で心配を募らせていた。

 基源の見た目は今やすっかり人間と遜色なく、言われなければAIロボットだとは分からない。だが彼が元々チタンベースで製作された人工知能搭載型のロボットであるのは紛れもない事実だ。体内の、例えば心臓付近に埋め込まれたままの隕石の欠片付近には、その精密さ故に外せない部品が残されている。人体と細部の作りが異なる為足腰の要部分に僅かながらチタン部品が残っている。それらの部品の損傷と消耗が激しい。急速に進化を遂げた基源の体に対応して来たからだろう。だが一番の要因は相撲に違いなかった。入門以来およそ八年間、基源は開発当初の想定を超えて活動してきた。幾ら体力を向上させようと、スタミナを付けようと、それらは全て人間としての基源の都合であって、機械部分には負担が増す一方だ。だがそうはいっても全ては基源の体一つの出来事であり、全ての症状を受け止めるのは基源本人なのである。


 基源の疲労は日に日に激しくなるばかりだった。奏は部品の交換を何度も提案してきたが、その度基源が拒み続けている。部品交換が勝ちの言い訳になったらよくない。あくまで同じ条件で勝負しなくちゃと言う。

 違うのに、同じであろうとする。

 自分自身が誰より理解している癖に、同じであろうと努めている基源の姿勢が奏にはもどかしかった。しかし同時に、そういう基源の気持ちを誰よりも深く理解している為に、無理強いも出来なかった。


 それでも奏は記録を取り続けた。友人や家族としての感情を差し置いて、いち研究者として、基源の行く末を見届ける覚悟を決めていた。万が一の事態に備え、必要な措置も各種手配済みだった。基源のようなAIと人間の混合型をメンテナンスするのに今後期待の掛かる刹那プログラムは開発途上にある。先頃電子の移動の癖を見抜き、その特徴に沿うプログラムを形成する事で、実験が初めて成功した。順調にいけば臨床試験にまで漕ぎ着けそうで、論文も近々発表される。奏は俄然勢いづいている。一刻も早く実用化して基源に実施して遣りたいと強い思いを持っていた。


 焦るな、そう言い聞かせつつも、眠る時間が惜しい。手を止める時間が勿体無いと思う。もっと時間が欲しい。研究に費やす時間が欲しい。自分を追い込む奏は、もう長く家に帰っていない。そういう奏を、両親は献身的にサポートした。智恵美はそれだけで満足できるわけがなく、少しでも息子を布団の上で休ませたいと思ったし、きちんとした食事を摂らせたいと思った。だが強引に息子の腕を引っ張るような焦燥が募ると、夫の渉が宥めて踏み止まらせるのだった。渉にしても心配がない訳ではなかったが、自分の息子は最早自分たち凡人の頭脳を超越した者であり、彼が居る場所は常識の範疇にない未知なる領域だと思った。健康を害しては元も子もない。だがぎりぎりまでは手を出すまい、それが凡人の父にできる最低限のバックアップだと思った。


 二〇三一年三月場所で、基源は小結こむすびに返り咲き、三役で勝ち越しを決めた。しかし翌五月場所には上位の枠が空かずに、番付は小結のままとなった。小結で十五日間を通して安定した相撲に終始し、白星を幾つ先行させても隙を見せず勝ち越しを決め、千秋楽を迎えた時には二桁勝っていた。勢いに乗り、続く七月場所では満を持して新関脇となった。基源はこの場所でも思い切り相撲を取った。そして、順調に白星を重ね中日勝ち越しは間違いないと思われていた横綱から初金星を挙げた。一人横綱としてここ数年角界を引っ張り続ける横綱のまさかの黒星だった。この大波乱に名古屋の観客は悲鳴と称賛と入り混じった大きな盛り上がりを見せた。投げないで下さいと言うアナウンスもかき消されてしまう程の大歓声の中、小豆色の座布団が四方から飛び交う。溜席たまりせきと呼ばれる土俵下すぐの席に胡坐をかいて座る客たちは皆頭を守って、顔は笑っていた。


第七十九回に続くー


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ようこそいち書房へ。長編小説はお手元へとって御自分のペースでお読み頂きたく思います。

「AI×隕石×大相撲」 三つの歯車が噛み合ったとき、世界に新しい風が吹きました。 それは一つの命だったのか。それとももっと他に、相応しいも…

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