見出し画像

「KIGEN」第七十七回


     十章 「揺れる国技館」

 二十八年七月場所、基源が土俵へ帰って来た。幕下からの再出発を、観客は拍手で迎えた。力強く、穏やかに、激励と期待が籠められていた。彼の復帰を何処よりも行を割いて詳細に伝えたのはローカル東京だった。渉はそれを満足気に保存した。アイリーも無論切り取った。相撲ファンからは歓迎された基源だが、長く土俵を離れたとあって、世間の関心は薄れかけていた。しかし基源は自分の相撲に集中していた。毎場所勝ち星を重ねて、ぐんぐん番付を上げていく。そして二十九年三月場所には十両復帰を遂げた。だが今の基源には通過点に過ぎなかった。浮かれることも無く、勝ちにこだわる気迫の籠った相撲を取り続けた結果、復帰の場所を全勝優勝で飾った。幕内に成績不振者がいたこともあって、基源は翌五月場所での幕内復帰が発表された。この時の基源は身長一八四センチ、体重一二九キロ。幕内の中でも軽量だった。


 基源の幕内復帰はメディアでも話題になった。この頃は一家に一台AIの装備が理想とされる程、以前にも増してAIと人との距離は近くなっていた。家庭によって求められる水準や装備は異なるものの、人々の生活を感情抜きに補助してくれるAIは、力強いサポーターなのだった。そんなAIの未知なる先をゆく基源は、群を抜いて高性能だった。見た目が人間と遜色ない有形タイプは、現代技術をもってしてもまだ成し遂げられていない。家庭向きAIの容姿は多種多様だが相変わらず機械じみていて、仮想現実の方が人気だ。

 基源は一歩土俵を離れれば人好きのするにこやかな笑顔が復活する。ファンが益々増えていく。それで場所が始まる前からスポーツ雑誌のインタビューに答えるなどして、相撲協会の為の活動も担った。

 五月場所初日、テレビ中継で全国へ大相撲を届ける正面放送席には、ベテランアナウンサーと共に、初日と言えばこの人とお茶の間にもすっかりお馴染みの解説者、北極さんが並んで座り、再入幕の基源を話題に上らせた。

「北極さん、いよいよ五月場所が始まりますが、今場所の見どころといえば――」
「うん?そうだね、居るよね、一人。注目株が」
「と言いますと?」
「ん?ほんとは分かってるでしょう。彼だよ、基源」
「やはり、と正直に申し上げておきます。今場所の注目は何と言っても再入幕を果たした基源関でしょうか」
「謹慎処分受けて幕下迄落ちたんだっけ。何場所だった?四?」
「そうですね。三場所の処分に加えて怪我でひと場所休場していますから。それが見事に返り咲いて、幕内です」
「頑張ったよね。よく腐らずに続けたと思うよ、僕は」
「はい」
「やっぱり指導者が良かったのかな」
「垣内親方ですか」
「そうね、彼も素晴らしいし、まあ、他にもさ、良い指導者に恵まれたんだろうね。詳しくは知らないけど」
「なるほど」
「周囲の人たちに感謝しないとね、一人じゃ出来なかったと思うんだ」
「そうですね、基源関自身も、復帰後は特に、日頃から周囲への感謝をしきりと口に出すようになった印象があります」
「うん、これから楽しみな力士だよ。僕はさ、ずっと応援してたんだよ」
「そうなんですか?」
「うん、彼は一部がロボットでしょう」
「はい、そうですね。人工知能が備わっています」
「入門当時は批判も多かったじゃない。それでも負けずに、愚直に自分の力士人生を歩んで来たじゃない。挫折も経験して、けれど折れなかった」
「はい」
「不屈の精神じゃない、僕は好きだよそういうの。立派だと思います」
「そうですね。これからの活躍から益々目が離せませんね」
「そうでしょ、注目してますよ、きっとみんながね」
「はい。北極さん」
「何?」
「今日も素敵なお言葉を頂戴して、テレビ中継を御覧になられている全国の皆様も喜んでおられると思います」
「そう?良かった」


 館内に、呼出しが打つひょうしぎの音が気持ちよく響き渡り、豪奢な化粧まわしを着けた力士たちがぞろぞろと花道を歩いて来る。その一番後ろを、志を胸に抱く基源が歩いていた。

 基源は五月場所で勝ち越しを決め、注目力士としてインタビューを受けた。カメラの前へ立ち、そこで改めて明言した。

「私は横綱になりたいのです。もう迷いません、ひたすら上を目指します。それだけが、私の生きる目標です」

 世間にいかなる意見が溢れようと気にならなくなった。同じ血を通わせていても擦れ違う人がいる。全く同じ人間はいない。自分だけが特別な訳が無く、誰か一人が特別という事もない。この世は元より平等に出来ているのだ。全員を知ることは難しい。でも、自分を支えてくれる人たちを大切にすることはできる。自分は自分を支えてくれる人たちの為に生きればいいんだ。基源はそう思った。


 同年九月場所には、十一勝を挙げて技能賞を獲得した。幕内で相撲を取る事にも徐々に慣れて、番付を少しずつ上げた。翌年二〇三〇年九月場所では新小結として土俵へ上がり、上位陣と初めて総当たりした。そして、幕内へ上がって初めて負け越しを経験した。六勝九敗だった。更に年が明けて迎えた一月場所では、前頭筆頭で白星を重ねて十二勝三敗となり、敢闘賞を受賞した。今場所では初めて優勝争いに絡み、十五日間の場所中の終盤には、結びの一番で行われる横綱戦が組まれた。好調な横綱から金星を獲れば自身の優勝の目も出てきそうで、基源にとり大きなチャンスだった。気合十分で土俵に上がった基源だったが、大金星とはならなかった。取り組みを振り返ってインタビューを受けた基源は、

「強かったです。胸を借りるつもりで思い切り当たったんですけど見事に跳ね返されました。私はもっともっと強くなります。勉強になりました」

 と清々しい笑顔で語った。この潔い基源の姿がメディアを通じて世に流れ、一度は離れていったファンが復活したり、相撲を知らなかった新規のファンが生まれるなどして、相撲界に基源の存在感が増していった。春には二十三歳になる基源。心身ともに、かつてない充実の時期を迎えた。


第七十八回に続くー


ここから先は

0字
ようこそいち書房へ。長編小説はお手元へとって御自分のペースでお読み頂きたく思います。

「AI×隕石×大相撲」 三つの歯車が噛み合ったとき、世界に新しい風が吹きました。 それは一つの命だったのか。それとももっと他に、相応しいも…

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が参加している募集

#私の作品紹介

96,828件

#AIとやってみた

28,024件

お読み頂きありがとうございます。「あなたに届け物語」お楽しみ頂けたなら幸いにございます。