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「KIGEN」第七十九回



 関脇が定着した基源は、毎場所十番勝つのは当たり前になった。直近三場所で三十三勝する事が大関昇進への一つの目安となって久しい中、基源の活躍はそこへいつ到達してもおかしくなかった。また、相手が誰であろうと真正面から当たって電車道で堂々相撲をとる姿は、観客は勿論大相撲関係者からも軒並み高評価が下されており、理事会はいよいよ彼を、角界を背負う力士の一人として見るようになった。だが、純粋なる人間では無い基源が、角界において引退後も重要な役割を担う権利を有する事となる、大関以上に昇進するとなると、より確かな理解と周囲の協力がなければ成立しない事が予想された。そこで理事会は、基源の大関への扉を開けるべく準備に動き出した。今や副理事となっている十勝が中心となって、大相撲協会の未来を見据えた規則の改訂との名目で、人とAIが共生していく為のルールの策定を進める事を世間に宣言した。


 二〇三二年春、大相撲界にもVR、いわゆる仮想現実の技術を応用した新時代向けの観客席が新設された。仮想空間を創り出す技術を応用して、家に居ながら溜席や正面席と同じ視点でのリアルタイム相撲観戦が可能になったのだ。テレビ中継とは異なり、例えば力士が土俵から降って来るかも知れない、土俵下の臨場感を味わう事が出来る。取組前の力士が審判や自分の前を手の甲を見せながら通過していき、用意された座布団へどっかと尻を落とす姿を横目に、土俵上の力士の様子をじっくり眺めることができる。館内の緊張感や力士の息遣いまでもがありのまま聞こえて来るのだ。例えば寝たきりの高齢者でも、大勢の集まる場所へ出掛けることが困難な状態にある人でも、誰でも安心して観戦可能な席だ。近未来志向の革新的な観客席の新設により、大相撲界はその裾野を少しずつ、老若男女問わず広げていった。


「さて、北極さん、今場所も盛り上がる館内を一望しながらお届けして参りたいと思います。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします。それにしても凄い盛り上がりだね」
「そうですね、ここ最近の場所中の盛り上がりを見ていますと、大相撲全盛期にも匹敵するのではないかと思ったりもしますが、いかがでしょうか」
「うん――」

 北極さんは館内に目を向けて、皺の刻まれた目を細めた。


「眩しいね」
「――はい。こうしてみますと、大相撲ファンの皆様の客層も随分広がったように、以前から年齢層は広かったとは思いますが、若い世代の方々が増えた様に思います。私の思い込みかもしれませんが」
「いや、増えてますよ。どっちを見ても目立って見えますもん。それにさ、熱心だよね。一生懸命うちわとか振ってね。嬉しいね」
「ええ。まるでアイドルのコンサート会場にいるようですね」
「ん?アイドル?ああ、そうかな。行った事無いけど」

 お目当ての力士が花道を歩いて出てくるのを、今か今かと待ち設ける観客の熱気が国技館を包み込む。熱心なファンが手にするのはお手製のうちわや横断幕で、どうやらお気に入りの力士のまわしの色と合わせたらしいカラフルな装いが、あちらこちらで期待に満ちてはためいている。一方で往年の相撲ファンは場所の一部始終を見届けようと云う気概で泰然として座っている。

「さて、二〇三二年五月場所、基源関の大関とりに向けての大事な大事な十五日間が、ここ両国で、始まります」
「頑張って欲しいね」
「そうですね」
「ところで基源はさ、僕の若い頃に似てると思わない?」
「若い頃ですか?」
「似てない?」
「いえ、言われてみれば・・・どことなく、雰囲気が」
「でしょ。彼いい男だもん」
「はは、そうですね」


 重圧をまるで感じさせない伸び伸びとした取り組みを見せた基源は、上位陣の厚い壁も次々と撃破して、優勝争い迄演じて見せた。結果は十四勝一敗。直近三場所で三十三勝という目安も余裕でクリアした。この結果を受けて審判部の審判部長が臨時理事会の招集を理事長に要請し、了承された。基源の大関昇進は理事会で満場一致の賛成をもらった。更に番付編成会議を経て、正式に昇進が決定した。基源はこの時二十四歳であった。


 基源が謹慎処分を言い渡されて土俵から暫く離れていた期間も、着々自分の相撲と向き合ってきた天秀峰。そんな彼に、基源はとうとう追い着いた。七月場所に向けて発表された番付の東の正位には大関天秀峰が、西の正位には新大関基源が就いた。実は先場所で基源が唯一黒星となった相手が、十五戦全勝を決めて優勝した天秀峰だった。


 若く、実力と人気を兼ね備えて切磋琢磨するふたりの大関に、横綱審議委員会も今後の活躍を期待する談話が発表された。そして相撲協会からは、この七月場所が兼ねてより話題に上っていた天秀峰の綱とり挑戦となる事が発表された。幕内入りして二度の優勝経験を持つ天秀峰の実力からして、周囲の寄せる期待は大きかった。本人にしてもそれは重々承知のものであり、相変わらずちっとも緩まない凛々しい眉の奥で、熱い眼差しを燃やしていた。ところが、天秀峰の綱とりはあえなく失敗に終わった。表向き常と変わらぬ様に見えた天秀峰だったが、やはり見えないプレッシャーを随分背負っていたのか、序盤から動きが硬かった。薄氷を踏むような白星を拾いつつ、どうにか中日を六勝二敗で折り返したが、その翌日、平幕相手に強引な相撲を取って自らケガを呼び込んだ。その影響で成績は八勝七敗。かろうじて勝ち越しはしたものの、内容から言っても横綱に上がれるものでは無いと判断された。

 その一方で新大関の基源は躍動した。これまで通り自分の相撲を貫いて、時に変化する相手にも惑わされる事無く落ち着いてまわしを取りに行き、投げて良し、押して良しの抜群の安定感で下半身の強さを印象付けた。十勝五敗と、大関としてはぎりぎり合格点といったところだが、ライバルと評される天秀峰が不振だっただけに、活躍の目立つ場所となった。


第八十回に続くー


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ようこそいち書房へ。長編小説はお手元へとって御自分のペースでお読み頂きたく思います。

「AI×隕石×大相撲」 三つの歯車が噛み合ったとき、世界に新しい風が吹きました。 それは一つの命だったのか。それとももっと他に、相応しいも…

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