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「KIGEN」第四十六回



六章 「相撲道」


 いちごうが受験する新弟子検査が近付いていた。これに合格しなければ大相撲協会の正式な力士になれない為、大相撲の道を歩むものにとって合格は必須だ。試験の受験資格は、いちごうたちが予てより目指していた中学校卒業、或いは各国の義務教育を修了していること。歳は二十三未満であること。また体格にも検査基準があって、身長一六七センチ以上、体重六七キロ以上である事が一応条件とされている。言い回しに多少幅が持たせてあるのは、検査する側も人であるから、という事らしい。他に内臓検査などの健康診断が行われる。いちごうの場合、誕生時から大柄に出来上がっており、身長は現在一七五センチある。その代わり体重は進化に合わせた部品の除去手術の為に変動が激しく、現在は九三キロだ。彼のイマジンの賜物か、生態系の強さなのか、それともAIの性能か、試しにレントゲンを撮ってみれば、それはもう誰の目にも明らかに現代人の形をしていた。

「楽しみだなあ新弟子検査」

「いいねえいちごう、検査を楽しみに出来るなんて余裕だねえ」

 休日に渉とリビングで語らうのも久し振りの事で、いちごうはソファに寛いで、渉は背徳と称して昼間から第三のビールを開けて上機嫌だ。奏は研究所で取り掛かっている作業が一段落したらと言って、まだ籠っている。

「余裕はないですよ、精一杯。でも、身長も体重もクリアできそうだし、相撲の事を考えると、やっぱり楽しみと言うのが一番合うようです」

「なるほどねえ」

「渉さん、ああ、お父さん、私に相撲を教えてくれてありがとうございました」

「よせよー、まだ合格前なんだからさあ。そう云うのは・・・そうだなあ、昇進した時とかにしてよ」

「その時は親方やおじいに言いたいな」

「なんだよー」

 やっと研究所を抜け出してきた奏は、リビングから盛大な、それもどうやら酔っ払いの笑い声が聞こえて来て、扉の前で苦笑した。




 弟子の一人がAI基盤の一部ロボットであると、垣内部屋から親方の署名入りで書面が送られてきて、相撲協会は慌てふためいていた。噂だけなら十分に広まって、理事会の耳にも届いていた。だが誰も相手にしないだろうと思われていた上、仮に受け入れる部屋があったとしても、実際にはマスコット的な存在に留めるのみで、まさか正式に新弟子検査の受検許可を求めるなどあり得ないと思い込んでいたのだ。だが垣内部屋は歴史ある一門の部屋であり、垣内親方もれっきとした協会員で年寄に名を連ねる一人だ。一定の信頼と人望もある親方が何故AIの片棒を担ぐような真似をしたのか、それとも気が振れたのか。周囲は勝手に憶測飛ばし合ったものの、とにかく招集だとの理事長の判断で、早速臨時理事会が開かれた。

「色々と噂をお聞き及びの事と思いますが、我々相撲協会は対応を迫られています。どうか皆さんの忌憚のない意見をお聞かせ願いたく、よろしくお願いします」

「そもそも突っぱねれば済む話ではないんですか。AIと相撲だなんて馬鹿げてますよ」

 同感だと言う顔で頷く者多数。予想はしていたが、このまま会議を進めても意見は片方へ傾いたまま膠着するのがオチだった。理事長はここ数日で急に増えた何度目かの溜め息を零した。荒波は苦手だ。帆には穏やかな風を受けて進んでいたいタイプだ。だが人生の大半を過ごした相撲をそう簡単に投げ出せる性分でもなく、今は手に汗と書類を握り締めているところである。

「その様な意見を事前に頂いた事もあります。ですが、我々相撲協会は、今度の件に関しまして誠心誠意対応せざるを得ないのです」

 一旦言葉を切って議場をぐるりと見回す。

「そのAIロボットの――ええ・・いちごう君は、既にJAXAの手厚いバックアップを受けています。あそこは皆様御承知の通り、先だって民間企業へ舵を切ったとはいえ、国が誇る世界有数の宇宙開発機構です。どういう経緯で協力体制が整えられたのかは知りませんが、JAXAはいちごう君の存在を、将来を見据えた唯一無二の大事な仲間であり研究対象であると伝えてきました。そしてそれは同時に我が国にとっても貴重な人材、対象であると同義なのだそうです。垣内親方の書面と時を同じくして、文科省からもくれぐれもという念押しを受けています」

 理事長が明かすと室内は一瞬にして騒めきたった。国が?という疑問符がそのまま口から零れ出てしまっている者も居る。理事長はえへんと咳払いして余計な詮索を注意したつもりだ。だが理事の一人が手を挙げた。理事長はどうぞと発言を許可する。

「何故国まで積極的なんです?本当にそんな通達があったんですか」

 理事長は眉をへの字に曲げた。現役時代からの癖である。心が乱されると両端がぐいと下がる。

「あった事は確かです。ただ現時点で国は当事者ではなくあくまで傍観者でいたいようです。皆さん、もう一度申し上げますが、私にしましても国側の事情は知る由もありませんから、どうかそこはあまり掘り下げないで頂きたい」

「それじゃあせめて知っている事を我々に全部公開してもらいたいですな」

「そうそう、我々には知る権利がある」

 理事長はスーツジャケットのポケットからハンカチを取り出して額の汗を拭いた。まさか何も知らない訳じゃないだろうと、勘の鋭い連中ばかりですっかりばれてしまっている。

「ええと、それでは・・あくまで御内密に、この場限りの情報としてお聞き下さいますように、御承知頂けますか」

 無論無論と各自鷹揚に頷いて見せる。


第四十七回に続くー


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ようこそいち書房へ。長編小説はお手元へとって御自分のペースでお読み頂きたく思います。

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