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短編「文豪パフェ」

   文豪パフェ・・・680円



 とある町の片隅に、知る人ぞ知る喫茶店がある。そこの名物を食すため、電車を乗り継いで遥々やって来た。ローカル線の小さな駅を降りて、ドーナツみたいなロータリーを右に見ながら通り過ぎる。直ぐに一本道が始まって、二つ目の十字路を右に折れると、左手の角に喫茶店があると云う。ネット上には一切の情報が無く、そこへ無事辿り着いた人から人へ、少しずつ伝わって、やっと僕の番が来たのだ。噂だけは耳に入れていた僕は、友人からこの話が回って来た時、柄にもなく顔綻ばした。にやり歯を見せて笑ってしまった。然しその位、僕にとってこの喫茶店へ行くことは稀少な体験であり、又光栄なことなのである。

 僕は教わった通り歩いた。駅と、それから道中自販機を発見して、喉が渇いていたので小銭を取り出しそうであったけれど、耐えて先を急いだ。一本道を歩いて、二つ目の十字路で右に折れた。天国の門が青空の中で開かれるとしたら、こんな具合かも知れない。

「あった」
 僕には後光が射して見える位建物が眩しかった。聞いていた通り、通りの角に木製の扉を据えた、昔からの建物を雨ニモマケズ風ニモマケズ持たせてきたような喫茶店があった。名前は、「喫茶・文豪」。
 大変聞こえの良い、天地を轟かす素敵な名であると、看板見つめて僕は酔いしれる。そして遂に、ベルを頭に付けた木製の重たい扉を押し開けた。
「いらっしゃいませ」
 思いの外若い女性店員さんがエプロン姿でホールへ立っていた。こちらへ顔向けてにこやかな笑みで出迎えてくれた。一人だ。他にはホールとキッチンを隔てるデシャップ代わりのカウンターの向こうに、料理担当らしきおじさんが一人である。真白のコックコートを着て、ホールには背中を向けたままで、入り口の僕からは、口元の髭が少しばかり見えるだけ。客が入って来ても愛想を見せない主義かしらと思う。

「お一人様ですか」
 女性店員に尋ねられて、僕は慌てて顔を戻す。
「あ、はい。漸く来れました」
 思わず僕の、勝手に抱いてきた長き夢の叶った報告上げてしまい、いきなり赤面した。だがエプロンの彼女はふふ、と如何にも可憐な笑みを見せ、どうぞこちらへ、と僕を席まで案内してくれた。
 裸電球が吊り下がる。傘は恐らくガラス製の、分厚い花びらの様な形をしている。灯りの加減で分かり辛いが、その裾には色が付けてあるようだ。モチーフは、バラか、カーネーションと云った処か。おやテーブルによって違うらしい、あっちはマーガレットだ。これは面白いと思う。レトロな灯が、ここに残っている。それにテーブルと椅子。まるで和洋折衷のモダンが民衆の生活に息づいていた明治から大正を思わせる作りである。この空間に滞在するだけで、最早目的を果たしたような気にさえさせられてしまう。惚れた溜息が零れた。僕が店内の造りに関心を奪われてきょろきょろしていると、銀トレーに水とおしぼりを乗せたエプロンの君が僕の座る席までやって来て、ご注文はお決まりですか。と聞いて来た。

 注文は、家を出る前から決まっている。僕は普段野菜男子である。旬の野菜を買って来ては、煮たり焼いたりスムージーなんぞにして自炊で生きている男子だ。であるから、流行りのマリトッツオなんかよりも、きゅうりが六本百九十八円の方へ破格の魅力を感じるし、仮に家でホットケーキを好き勝手焼いて食す様な真似したとしても、外でパンケーキやらタピオカミルクティーやらプリンアラどうしただとかを注文する様な奇怪な真似は万に一つも有り得ないのだ。
「すみません、文豪パフェ一つ下さい」

 だから今日この時、この台詞を無事持ち出せるようになるまで、随分と時間と根気と胃袋を費やして来た。今、その努力が実り、また一つ感動を覚えている処だ。エプロンの君は畏まりましたと云い於いて、キッチンの口髭さんへオーダーを通しにいった。今度こそ顔が拝見出来るかと席から密かに観察していたが、注文を聞いても髭のおじさんは全く反応無く、ただ手を動かし始めた為にそれが分かるようなものだ。慣れっこなのか、エプロンの君はとんと気にする様子が無い。店の中に外に客は居らず、静かである。少し話し掛けてみようか。そんな馴れ馴れしい男は嫌われるかしら。僕は元々口達者な方でもないので、この、注文の品が出来上がるまでの時間を、川の流れの様に穏やかに過ごすのが不得手なのだ。手持ち無沙汰を必要以上に意識してしまう。早速瞳をぱちつかせて彷徨わせる。水を少し飲んだ。不図、テーブルの端にメニューがある事に気が付いた。これは時間潰しに大変都合の良い代物である。縋る様に手を伸ばした。

 本を一冊手にしたような心持ちがした。実に文学的である。実に芸術的である。ふむふむ、へえ、と感心し通しであった。あんまり素晴らしいので手帳へ書き留めておこうかと思い付いた矢先、
「お待たせしました~」
 と云って、遂に、その名物パフェの全貌が明らかにされる瞬間がやって来た。僕は急いでメニューをぱたんと閉じて元の位置へ戻した。

 目の前にすっと置かれた「文豪パフェ」。何と云う贅沢な容姿。煌びやかをこれでもかと身に纏い、正に豪華絢爛、僕の様な庶民には手の付けようがない。これは本当に食い物かと僕は内心慄いている。これが本当に六百と八十円税込みだか訝っている。だが、今日までの手に汗滲むよな努力を、生クリームに耐性を作るべく励んだ裏で流し続けた冷や汗の数リットルを、無駄にするわけにいかない。エプロンの君に負けない位ににっこり笑って、
「美味しいそうだ、頂きます」と云い切った。すかさずエプロンの君が僕を止めた。
「仕上げに川端康成か谷崎潤一郎、どちらになさいますか」
「え」
「川端ですとてっぷりとした生クリームをお載せします」
「雪国だ!」
 エプロンの君にっこり笑う。何度も笑って貰って僕はすっかり楽しくなっている。
「谷崎潤一郎ですと上に粉糖はらはらかけさせて頂きます」
「細雪ですね。うわあ迷うなあ」
 だが僕はスイーツに免疫のない男子だから、谷崎にしておく。エプロンの君は、パフェの上からはらはらと、淡い雪を降らしてくれた。
「それでは、どうぞお召し上がり下さいませ。先に作家の説明が必要ですか?」
「いえ、自分で発見したいです。正解かどうか、教えて貰えるとありがたいです」
 エプロンの君はすっかり心得ているかの如くに頷いた。
「皆さんそう仰います」
「―ですよね」

 パフェスプーンは長い。持ち慣れない僕はもたつくが、左手で器を支えて、右手でスプーンを持ち、とうとう取り掛かる。
 細雪の下、真っ先に見つかるのは芥川龍之介だろうと思う。清々しい酸味を持った蜜柑である。時々漱石の様子を横目に伺っているらしい。奮発して隣に置いてあげようかしらと僕は気を利かせる。その夏目漱石は、何だろう。ああ、坊ちゃん団子か。団子は好きだから、一寸後へ残しておこうと思う。それから、ああまた、太宰は直ぐに沈もうとする。グッドバイってことかな。折角美味しいりんごの角切りなのにな。

 どうやら悉く文豪揃いで、看板に偽り無しだ。これは堀り起こし甲斐があると、僕は一層楽しくなって来る。ぶつぶつ解説呟きながら、長いスプーンを夢中で扱っている。
「あの、森鷗外はどこですか?居そうなものだけど、全然見当たらないんです」
「すみません、鷗外はレアキャラでして、百個に一個、入るかどうかです」
「そうですか。それじゃあ普段はどこにいるんですか」
 僕はつい想像の翼広げて斜めな質問してしまった。でもエプロンの君は小首傾げて答えを考えてくれた。
「いまだ歴史と世界の旅を続けています」
「なるほど」
 二人して我が意を得たりと云った風の笑みを零す。僕はまたパフェと向き合った。クラムボンみたいな見てくれから宮沢賢治だろうと予測を付けたけれど、どうも自信が無い。仕方なく教え乞うた。すると、食材で唯一自家製の、小松菜入りメレンゲだと種明かしされた。
「そうか、このグリーン、農民への敬意なんだ。深いな」
 小松菜のメレンゲは口に入れた途端に甘くほどけて舌の上へ消えた。存外に美味しくて驚いた。パフェも愈々中盤を越えて来る。

「この赤いのと緑の層はなんですか。」
「層ではなく、段、と呼んで下さい。赤は木苺のソース、緑は特製野草ベースのクリームです。蒲公英とか、蕗とか、春の野山に自生するようなものです。けれど殆ど風味だけで、味は無いんですよ。苦味も消してありますから。そしてこの段は、幸田露伴、文親子を表しています」
 エプロンの君はさも得意気にえへんと少し顎を上げる。屹度見た目にも味にも自信があるんだろう。僕の考察も段々熱を帯びて行く。
「これはコアな所を持って来たな。先ず幸田露伴で野道を選ぶなんて。その上なんでまた娘の「段」にしたんですか」
「店長の趣味です」
 へえ、と云って僕はキッチンに居るコックコートの口髭さん、もとい店長へ顔を向けるが、店長は先刻から絶対こちらを振り返らない。でも、代わりに二つは合わせて食べて、とても美味しかった。
「これなら、大幅な段を堕ちないで済みますね」
 僕の感想にエプロンの君がはっとする。そして、
「そうですね」
 と目尻に皺を寄せた。僕はこれでエプロンの君も相当の文学少女であると確信した。それにしても明らかにこの遣り取りが耳に届いている筈なのに、僕からはどうしても、口の上に奇麗に並んだ髭の、右側の先しか見えない。シャイなのかな。ああいう人こそ語り合いたいはずなのにと僕の方も少し寂しく思う。だけど同時に、仕方が無い、通うかとも思い定めた。もう、そうと決めてしまった。そして、器の底の方へ沈んでいた太宰を一粒残さず拾い上げ、最後に坊っちゃん団子を一口で放り込んだ。

 とうとう食べきったと、お腹も心も大分満足で居る。噛みしめながらも、ところで、どうして繁盛しないのだろうと考えてしまう。仮令人伝でなければ見つけられないとしても、一度来たら通う事だって出来る筈だ、僕がそう決めた様に。多くの人間がそうならば、ここは僕の貸し切りでなくって、他の席にもお客が入り、一層賑やかに、時にはお客同士意気投合して文豪の話に華を咲かせることだってできるだろうに。僕はそうならないのが惜しいと思った。それでエプロンの君へ正直にその理由を尋ねてみた。エプロンの君は困った様に笑ってみせた。
「だって、パフェの味がしつこ過ぎるんですよ。ほら、名だたる役者揃いでしょう、味が、喧嘩しちゃって」
「ええ、そうですか。僕はけっこう好きでしたよ。自家製の小松菜のメレンゲなんて感動ものでした」
「あなたも大分気違いでいらっしゃるのね」
 僕は目を瞬いた。気違いなんて面白いと思った。要するに、「本」狂いってことかな。それはそれで、光栄だと思うあたり、やっぱりエプロンの君の云う通りかも知れない。僕は思い出したように腕時計に目を落とした。電車の時刻までにはまだ余裕があった。
「追加をしてもいいですか」

 僕はメニューを広げて、中島敦のかめれおん珈琲を頼んだ。名前は奇抜だが中身は尋常な珈琲だと聞いて安心して注文した。それなら器でもレインボーなのかなと予想してみる。珈琲が来るまで、もう一度メニューをじっくり見聞する。
「梶井基次郎のレモンマカロン」。案外ストレートだなと思う。
「樋口一葉の竹筒くずきり」。これは、駄洒落かしら。ここまで取り揃えられてくると、文豪パフェの海外版も隠れメニューにありそうだと思う。なにしろ「罪と罰」と云う名の「カレーラーメン」が気になる。こんなメニューがありなら、海外の文豪パフェがあっても可笑しくない。僕の楽しみは尽きなかった。

 珈琲の、最後の一口まで味わい尽くしてしまった。ピンクのカメレオン色のカップの底に、漢字で日記と書いてあった。駄洒落だろうか、洒落だろうか。どちらにしても、嗚呼、とても幸福な時間を味わうことが出来た。僕は遂に席を立ち、勘定をした。そして、ベルをカランと鳴らしながら重たい扉を半分程開けて、見送りに傍まで出て来てくれたエプロンの君に目を合わせた。
「ご馳走さまでした。それでは、宮沢賢治を愛して止まないお父様にもどうぞよろしく」
「あら、どうして」
「表の看板の下にそっと書いて在るじゃないですか。「店主はずいぶん不愛想でしょうがどうか一々こらえて下さい。」と。」
 エプロンの君が笑う。素敵な笑顔だ。
「親子だって云うのは」
「それは――また今度来たときに」
 僕は後ろ姿の瓜二つな店員たちにさよならを告げて、小さな駅目指して歩き出した。

                         END



※最後まで御読み頂きありがとうございました。畏れ多くも文豪作家を散りばめて好き勝手させて頂きながら大変楽しく書きました。偉大なる先輩諸氏に心より感謝申し上げます。          令和三年八月 いち                                  

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