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「KIGEN」第二十九回


「先生は本当に賢くていらっしゃる。私はいたく尊敬致します」

「いちごう、何言い出すの、失礼だよ」

「ええそうかなあ、だって奏、先生は頭の回転が速いだけじゃなくて行動力もある。それにこんな珍妙な生物と対峙しても動じることなく、とても親切に、丁寧に向き合って下さるんだよ。心から思い遣りのある人間か余程の変人じゃないと出来ない所業だよ」

「ははは、それ僕はどっちの部類に入れられてるんだろ。変人かな?」

「いえ、どちらもですよ。先生は優しい上に変人ですよ。だから賢いんです」

「いちごう!」

 奏は冷や汗をかいた。普段紳士な一面も見せるいちごうだが、時々軟派だったり、こうして目上の人間だろうと構い無しに気安い口を利くのが、奏にはとても信じられず、そんな場面に出くわす度にいつか相手に怒鳴られるのではないかと恐怖に身を縮こませているのに、いくら注意してもいちごうは変わらず鷹揚な振る舞いをして憚らない。

「中々図太い神経をしてるなあ。神経があるのか知らんが」

「三河さんっ、奏くんが困りますから、余計な事言わないであげて下さい」

「いやあ先生すみません、いちごうは基本奏と同い年設定なので、子ども染みた口を利くんです。元は人工知能ですから大人にも辞書にもなれるんですけど」

 渉の弁解に合わせて奏は頭を下げて謝った。開発者として下げずにはいられない。

「奏くん、君は責任感が強いんだね。僕も職業柄たくさんの人間を見て来た積りだけど、十代でこれだけ出来た人間もそうそう居ないよ。僕は君の方こそ賢い人間だと思うな。いちごうさんの揚げ足を取った訳じゃないよ。お褒めに預かり光栄だよいちごうさん。お言葉有難く頂戴します」

「こちらこそ、これからもどうぞよろしくお願い致します」

「なんだか妙な具合だな」

「ですね」

 三河と矢留世はしかし、現場がスムーズに進行する事へ重点を置くため、頭を切り替えて今後の相談をするべく話を進める事にした。医学で解明できる方面は十分に手を尽くして貰った。今度は自分たちが力を発揮する番である。三河は奏らへ、本部を通して国へも報告を上げる提案をした。それから正式にいちごうの生態を研究するチームをJAXA内に発足し、責任者の一人に奏も加わるよう勧めた。

「僕も加えて貰えるんでしょうか」

「当然だ。君はいちごうの開発者であり製作者だ。誰よりもいちごう君の生態に詳しい」

「僕も三河さんと同じ意見だよ。いちごう君の生態は、おそらく世界に唯一のものだ。もう一企業や個人で匿ってフォローする段階は超えていると思う。ちゃんと命があるんだもん、ね」

「はい、ここに、ドクドク、聞こえます。私の命です」

「世界唯一と云う事は、今後どんな危険に出くわすかも知れない。社会では僕等の想像もつかない様な現実がそこら中に転がってるから。本気で守るためには、国のバックアップが必要不可欠になって来ると思う」

「――大丈夫でしょうか。その所為でいちごうが国に取り上げられたりとか、そう云う心配は無いでしょうか」

「強制する権利はないな。だからあくまで研究は、表向きJAXA主導を守る。身内自慢じゃないが、うちの名は世界にそれなり知れ渡っているからな、少しは役に立つだろうと思う。で、実際は奏くんが当然主導者であるべきだと思う。要するにだな、今の内に包み隠さず言っておく方が、JAXAの看板を隠れ蓑に、安全な場所で奏くんに真っ当な研究を続けて貰えるだろう。だから奏くんが正式にチームに入ってくれるならありがたい。それが何より一番だ。本部へも堂々と出入りできるしな。いちごう君の傍を離れないで済むならお互いにとっても安心だろう」

「三河さん、あなたいい人ですね」

「今頃気付いたか?」

 いちごうの戯言を躱して、三河は奏の目を見た。周囲の環境次第では自分を発揮できない憶病な面を持つ中学生。だがそれは彼の心がピュアな証拠である。この先どんな困難にぶつかろうとも、理不尽に心折られそうになっても、真っ直ぐな心を持ち続けて欲しい。そうして君の生まれ持った才能を遺憾なく発揮して、世界を驚かして欲しい。宇宙に名を馳せて欲しい。三河は胸の内でそんな事を思うのだ。あくまで対等な立場で奏の意向を確認する為、彼が口を開くのを待った。

 強い瞳と向き合うのが苦手だった。怖いと思ってしまう。逃げ出したいと思ってしまう。そんな自分が嫌いだった。だがいちごうが誕生して、自分の中に責任者の感情が芽生えた頃から、逃げるばかりでは駄目だと奮い立つ自分を見つけるようになった。どうしても足が竦みそうな時はいちごうが助けてくれた。父が手を差し伸べてくれた。心強さを得た代わりに、助けられるばかりではなく自分も誰かを助けたいと思うようになった。自信なんていつまで経ってもないんだろうけど、それでも役に立てる事があるのなら、逃げずに頑張ってみよう。微かに揺らぐ恐怖心と格闘しながらも、奏は三河の目をきちんと見た。

 あ。

 真っ直ぐに見詰め合ったら、同じだった。相手の黒目と自分の黒目は同じ強さでとんとぶつかって、自分が相手を抑えようとしていない様に、相手も自分を抑えようとしていない事に気が付いた。不安が払われると、素朴な誠実が見えた。

 もしかして僕は、頼りにされているんだろうか。チームに入ってくれたらありがたい。三河さんはそう言った。ずっと年下の僕に、親切な言葉で、本来ならばこちらからお願いしたい様な提案をしてくれたんだ。そうだ、奢ってはいけない。僕はまだまだ人から頼られるような人間じゃないんだもの。

 でも、嬉しかったな。

 奏は奥歯をきゅっと噛み締めた。気合が入って小鼻が膨らむ。


第三十回に続くー



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