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短編「好奇心」

 気になったことは試さないで居られない、好奇心の化身が僕の本質なんです。だって、知らないって寂しいんだもの。

 その昔、僕も自分の学習机を持っていました。学校の授業で、豆電球のキットを手に入れた僕は、電池で手軽に点くその灯りに心奪われました。豆電球から伸びる二本の銅線は、それぞれをプラスとマイナスに繋ぐと、灯りが点灯します。電池のサイズによって、明るさも変わるのです。これは凄い発見でした。僕はそのキットを家に持ち帰って、もっと独自に研究を進めようと思い付いたのです。

 当時は両親が外で働いていましたから、家に帰ると夕方までは僕一人です。一人というのは、大変に都合が良く、いいものです。何をするにも自由ですから。ただ、時々は寂しかったりしたことも、一応白状しておきます。さて、豆電球を手にした僕は、電池以外のもので、明るさを確かめたくって仕方がありません。自分の机に向かう椅子に座って、何か無いかしら、視線を家中に張り巡らします。ぐるりと一周して、不図、学習机のコンセントの差込口が目に留まりました。僕は「これだ!」と思ったのです。電池でもあんなに明るい豆電球ですから、それよりもパワーのありそうなコンセントの差込口ならば、もっともっと、とんでもなく明るい電球が見られるのではないかと、そう仮説を立てました。

 差込口も、穴が二つあります。僕は豆電球から延びる銅線も二本です。銅線を両手で一本ずつ、ビニールの処を持って、輝く瞬間を見逃さないように、豆電球に目を凝らして近付けて行きました。そして、銅線が穴に触れた瞬間でした。

 ばちっ!!

 と、聞いたことのないような激しい音がして、同時に火花のようなものが弾けます。そして少しく煙が上がりました。差込口から出ているみたいです。豆電球はどうなったかと、僕は慌てて電球に目を向けます。中の細い銅線みたいなのが、切れたように見受けられました。所謂ショートというものなのでしょう。火も出なければ、僕も感電しないで済みましたけど、一歩間違うと死んでいたかもしれません。僕はどうやらとんでもないことをしてしまったらしいと、後から恐ろしくなりました。心臓が整うまで少しだけ待って見て、万が一壊していたら大変だと、例の差込口へ、電動鉛筆削り器のコンセントを恐る恐る差し込んでみます。問題なく使えて、僕はほっとしました。

 母が帰宅してから、念の為に正直に報告した僕は、先ず一度説教を浴びました。更に母は、父が帰宅したら報告すると非情な宣告をするのです。僕は今日中にもう一回お説教かと、夜になるのが嫌でした。そうして帰宅した父へ、母は本当に僕の実験を報告しました。僕は首を竦めて怒られるのを待っています。ところが父は、報告を聞いて笑いました。僕も母も驚いて父を見ますと、父は「俺も昔やってみた」と云うのです。僕はえっと驚いて、それからなんだ、と安心しました。母は隣で、呆れたように溜め息を吐きました。流した視線に、似た物親子なのかと悟るような意識が込められていました。

 それからまた別の日、僕は逆さまの世界に興味津々でした。例えば公園のブランコの柵。あれを鉄棒の様にしてぶら下がって見て、反対向きの世界を眺めてみるのはどうだろう。そうしたら世界はどんな風に映るだろう。きっといつもの景色はもっと面白く見えるに違いない。そう想像すると、もうやってみなければ気が済みません。ここで一応断っておきますが、鉄棒では駄目なのです。あの、ブランコの柵の低さ、地面も見える、あの高さでなければ駄目だったのです。

 僕は早速公園へ出かけました。ブランコがあります。都合よく誰も遊んでいません。僕は柵へ近付きました。不図、角の部分の、柵の支柱のある場所が気になります。あの支柱も視界に入れて見たら、更に面白いかもしれない。あの角の処で寸止めしたら、僕はかっこいいかも知れない。何故だか僕はそう思い込んでしまったのです。両手で柵に、鉄棒のように掴まって、勢いよく前へ倒れ込みます。あくまで柵の支柱の真ん前で止められる積りです。ところがあんまり勢いが良すぎたのと、そもそも無茶な思い込みですから、僕はめでたく支柱におでこをがつんとぶつけました。視界が一瞬真っ暗になりました。忽ち目の周りがガンガンジンジンしてきて、頭がくらくらしてきます。涙も出てきました。これはまずい。僕はよろよろと、急いで家へ帰りました。

 すっかりやらかしてしまった僕ですが、がつんと行く前に、逆さまの世界が瞳に映ったのは確かです。刹那の光景でしたが、砂の地面は頭の上へ、建物も木も全部逆さまでした。目の前には、大きなピンク色の柱が聳えていました。冷たくて、異様に硬い金属でした。人間の顔が太刀打ちできるような代物ではありませんでした。念のため書き添えておきますが、とんでもなく痛かったです。

 他にも僕は、自転車で加速を続けると足はペダルについて行けるかとか、高い所にあるものを取るのに、椅子や箱を積み上げて乗る事は可能なのか、それにちょっとここでは言えないような実験も色々とやってきました。そして、実験から学んだことは、危機管理能力を養うことの大切さでした。ただの好奇心で動けば、知らないうちに命の危険と隣合わせと云う事も少なくありません。僕は今になって、よく生きていられたなと身震いするようなことが幾らでもあるのです。

 しかし、厄介なことに、コントロールできないのが、好奇心なのです。僕の体は、八十パーセントの水分と、二十パーセントの好奇心で出来ているのです。僕から好奇心を抜き取ったら、それはもう僕ではありません。だから僕は、大人になった今でも、好奇心の化身で生きてしまっているのです。

 だって、知らないって、寂しいではありませんか。

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